「夢の積み立てしませんか」矢口高雄
矢口高雄さんの銀行員時代の生活と、
漫画家としてデビューする経緯が書かれている。
とても面白く一気読みだった。
P161
「印鑑をお持ちでしょうか・・・・・・?」、などと言う例です。しかし、厳密に言えばこれは間違いです。印鑑とは、ハンコそのものではなく、紙等に押捺した印影のことです。ハンコそのものは印形、もしくは印判です。とはいえ、印鑑でも通じるわけですから、目くじらを立てるほどのことでもないわけですが、ハンコで充分正しいのです。
水木しげる先生のコメント
P241
マンガは略図じゃない――この一言には、目からウロコが落ちる思いでした。
それまでのボクは、マンガは手早く描くものだ、と思い込んでいました。さっきの水木先生のペンさばきは、力強く、気迫に満ちたものでしたが、想像以上にゆっくりとした運びで、細心であり、繊細だったのです。
【ネット上の紹介】
「釣りキチ三平」「ふるさと」「マタギ」等の自然マンガで知られる著者がマンガ家としてデビューしたのは、12年と2カ月にも及ぶ銀行員生活を経たあとであった。デビュー作「長持唄考」(51頁)他、マンガ・カット多数収録。
試雇に任ずる
雇に任ずる
書記補に任ずる
書記に任ずる
願により職を解く
「ネット右翼になった父」鈴木大介
晩年、父親がヘイトスラングを口にし、嫌韓嫌中ワードを使うようになる。
どうして右傾化したのか?
その謎を探る。
P142
安倍晋三氏の死去によって、自民党議員の組織的支持層だった宗教団体が、伝統的家族観への回帰を推進し、女性の自由な人権やジェンダーへの多様性に対する大きな抵抗勢力であることが一気に語られるようになった。
P160
父はずっと損保業界に勤めていたが、戦後の損保業界では在日朝鮮人による保険料の不正請求(偽装事故等の案件)が極めて多く、その対処に苦悩したことも嫌韓感情の根底にあったのではないかというのだ。
P89
【価値観テスト】(抜粋)
(外交)日米同盟を強化すべきだ。
(外交)防衛費はもっと増やすべきだ。
(外交)日本は核保有を目指すべきだ。
(外交)集団的自衛権に賛成だ。
(経済)多少の格差を生んでも、経済成長は大事だ。
(経済)公共事業は減らすべきだ。
(経済)福祉をこれ以上充実させるなら増税すべきだ。
(社会)夫婦別姓に反対だ。
(社会)外国人労働者の受け入れ拡大に反対だ。
(社会)体罰はやむを得ない
出典根拠→価値観診断テスト
【ネット上の紹介】
ヘイトスラングを口にする父テレビの報道番組に毒づき続ける父右傾したYouTubeチャンネルを垂れ流す父 老いて右傾化した父と、子どもたちの分断「現代の家族病」に融和の道はあるか? ルポライターの長男が挑んだ、家族再生の道程! <本書の内容>社会的弱者に自己責任論をかざし、嫌韓嫌中ワードを使うようになった父。息子は言葉を失い、心を閉ざしてしまう。 父はいつから、なぜ、ネット右翼になってしまったのか? 父は本当にネット右翼だったのか?そもそもネトウヨの定義とは何か? 保守とは何か? 対話の回復を拒んだまま、末期がんの父を看取ってしまった息子は、苦悩し、煩悶する。父と家族の間にできた分断は不可避だったのか? 解消は不可能なのか? コミュニケーション不全に陥った親子に贈る、失望と落胆、のち愛と希望の家族論!
第1章 分断
第2章 対峙
第3章 検証
第4章 証言
第5章 追想
第6章 邂逅
P47
特定秘密保護法は若手の官僚が主導したと言われています。今回の集団的自衛権の解釈改憲については、どうも外務省の主導のようです。むしろ防衛省は消極的ですよ。
P66
従軍慰安婦問題で、世界が日本という国に問うていることの本質は、女性の人権に対するスタンスであり、求められているのは、歴史事実に対する贖罪です。
P92
日本人は日露戦争を経験した後、初めて「国民」になったということだったんです。
P104
ちょうど明治維新のときにプロイセンとフランスの間で普仏戦争が起こって、皆、そちらに回ってしまったんです。列強が日本へ来なくなった隙に、明治維新を起こしたんですね。(中略)
井伊大老が桜田門外の変で暗殺された翌年に、アメリカは南北戦争が始まっている。
P126
国家総動員法では、成立のときの国会の論議で、例の佐藤賢了の「黙れ」事件がありました。(中略)法案の説明のために来ていた1軍人である佐藤が「黙れ」と怒鳴りつけた。国民は国家の言うことを聞いていればいいんだ。国会議員など軍人に逆らうなという意識です。(中略)
私(半藤一利)は、戦後、佐藤賢了に会っているんです。
「ああいう法律を通したことについて、反省なさっていませんか」と尋ねた。すると、「ばかもん、国防に任じている者には、戦争のできない国家なんて国家じゃないんだ」と怒鳴られました。終戦から13年くらいたった頃です。
P162
以前の中国には反英だってあったのに、1915年に「21ヶ条の要求」が出されてから、中国のナショナリストの反感は全部、日本に向いた。
P168
岸は満洲の官僚でしたし、日米安保条約にサインした吉田茂は奉天で総領事でした。
P181
西安事件で、蒋介石を監禁したとの報を受けたとき、毛沢東は蒋の処刑を望んだ。が、スターリンや周恩来は反対し、日本軍と戦うためには国民党軍と共産党軍との協力が大事と、毛沢東を説得した。
P201
反日の底の方に、侮日という古層がある。日本の今日のあるのは韓国文化を上手く取り入れて、それを消化したからだ。韓国のほうが兄貴なんだ、という抜きがたい優越感が底のほうにある。
【ネット上の紹介】
“憎悪の連鎖”をどうやって断ち切ればいいのか。“自虐史観”“居直り史観”を共に排して、歴史を直視すれば、解決の道は見えてくる―。「気づいたら戦争」にならないための“本物の愛国者”入門。
プロローグ 「国家ナショナリズム」が「庶民ナショナリズム」を駆逐する
第1章 現代日本のナショナリズムが歪んだ理由
第2章 近代史が教える日本のナショナリズムの実体
第3章 中国と韓国の「反日感情」の歴史背景
第4章 現代の中国および韓国のナショナリズム
第5章 将来に向けての日本のナショナリズム
「幻の声」宇江佐真理
髪結い伊三次捕物余話シリーズ15冊読み返し。
江戸に暮らす人々の生活が、情感ある文章で描かれる。
①幻の声
②紫紺のつばめ
③さらば深川
④さんだらぼっち
⑤黒く塗れ
⑥君を乗せる舟
⑦雨を見たか
⑧我、言挙げす
⑨今日を刻む時計
⑩心に吹く風
⑪明日のことは知らず
⑫名もなき日々を
⑬昨日のまこと、今日のうそ
⑭月は誰のもの
⑮竈河岸
「竈河岸」P449著者あとがきより
私が江戸時代の人々に惹かれるのは、誰しも現実を直視して生きているからだと思います。(中略)髪結い伊三次シリーズを家族の話と片づけられるのは承服できません。私は人が人として生き行く意味を追求したいのです。それに家族の問題がたまたま絡んで来るだけのことなのです。
「明日のことは知らず」著者あとがきより
P293
私の病状が悪化して、よれよれのぼろぼろになっても、どうぞ同情はご無用に。私は小説家として生きたことを心底誇りに思っているのであるから。
「昨日のまこと、今日のうそ」大矢博子さんの解説より
P293
宇江佐さんはもういなくても、本を開けば、彼らはそこにいつでもいてくれる。こうして遺された作品がある限り、読み続ける限り、読者は宇江佐真理を忘れない。それが本当の供養なのだ。
宇江佐真理さんは2015年、乳癌で亡くなられた。66歳。
もう少し長生きしてほしかった。
【ネット上の紹介】
町方同心のお手先をつとめる廻り髪結いの伊三次。恋しい思い女・深川芸者のお文に後ろ髪を引かれながら、今日も江戸の巷を東奔西走…オール読物新人賞受賞
「池上彰の世界から見る平成史」
朝鮮戦争 1950年6月-1953年7月休戦
ベトナム戦争 1960年-1975年
アフガニスタン侵攻 1979年-1989年
P46
1991年12月、ついにソ連が崩壊します。(中略)
西側諸国は「資本主義の勝利」だと思いました。(中略)
西側諸国は、自分たちの国が、ソ連の仲間になったら困ると思えばこそ、政府は福祉を充実させ、労働者を大切にしてきました。
しかし、社会主義が失敗し、もう敵がいなくなったと思えばやりたい放題です。(中略)
東側の安い労働力を使って、稼ぎたいだけ稼ぐ。こうして自国の中間層が消滅し、格差が広がっていきます。
社会主義の崩壊は、資本主義の暴走を生んだのです。
P62
米ソの冷戦は1945年のヤルタ会談から始まり、1989年のマルタ会談をもって終結しました。よく「ヤルタからマルタへ」といわれます。
P74
中東はアラブ人が圧倒的に多いのですが、イランはペルシャ人の国。犬猿の仲です。
イラクにしてみれば、アラブ人を代表してイランに戦争をふっかけてやったのに、クェートは知らん顔。イラクとクェートの国境地帯の油田は地下で繋がっているので、「自国の資源が盗まれている」というわけです。(中略)
イラクは撤退しなかったので、アメリカ軍を中心として多国籍軍はイラクを攻撃します。これが「湾岸戦争」です。
P123
北朝鮮では金日成(キムイルソン)→金正日(キムジョンイル)→金正恩(キムジョンウン)と3代世襲が続いています。社会主義国では常識的にありえません。北朝鮮をつくったのはソ連ですが、ソ連ではレーニンやスターリンの息子が指導者になっていません。
P131
郵政民営化はアメリカの要望でもありました。当時、郵便貯金と簡易保険に入っているお金が全部で350兆円。民営化が実現すれば、このお金が民間に流れます。(後略)(アメリカの郵政事業は国営です)
【ネット上の紹介】
平成時代が31年で終わりを迎える。平成のスタートは、東西冷戦終結とも重なり、新たな世界と歩みを同じくした時代だ。日本の大きな分岐点となった激動の平成時代を世界との関わり、51のニュースから読み解く、知らないと恥をかく世界の大問題・特別版。
プロローグ 東西冷戦終結と平成の始まり―東西冷戦の歴史と世界の関係を理解しておこう(「平成」じゃない平成がスタート
すべてはスターリンの“裏切り”から始まった
ベルリンの壁は、恥ずかしい壁?
冷戦への決定打「トルーマン・ドクトリン」 ほか)
世界から見る平成史(昭和天皇崩御の裏で…
いまの選挙制度につながる事件
消費税は平成の幕開けとともに
劉暁波と天安門事件 ほか)
「妖しい刀」櫻部由美子
シリーズ3作目。
P153
因縁のはじまりは、神君家康公の祖父にあたる松平清康公を殺害した刀が村正銘だったことだ。続いて父・広忠公の命を奪った刀も村正の手になるものだった。その後、嫡子である信康公が切腹した際の介錯に使われたのが村正で、家康自身も少年のころに村正の短刀で怪我をしたとされている。
P276
「神農とは、はるか大昔の唐国を治めたとされる皇帝の1人で、医薬の神としても知られている。まだこの世に医術というものがなかったころ、神農は己のまわりにあるすべてのものを口に入れ、食べられるか、食べられないか、薬になるか、毒になるか、身をもって試したそうだ。見よ、常人でない証に角が生えておろう」
【ネット上の紹介】
「一刻も早く相手の女を呪ってくださいまし」。人生の仕切り直しを願う人々が訪れる“出直し神社”に、穏やかでない願いを訴える者が訪れた。袋物問屋・茜屋のお松と名乗る女は、店主で夫の茂兵衛が伯父から相続した家に入り浸るようになり、女を呼び入れているに違いないと言う。その家には大黒さまが化けて出るとの噂もある。うしろ戸の婆はお松に、まずは浮気を確かめよと、神社の手伝いをしている少女・おけいを連れていくように言い…。流行り病に人殺し事件と、大忙し。抜群の読み応えと大好評のシリーズ、第三作。
「神のひき臼」櫻部由美子
シリーズ2作目。
少しのファンタジー色を加味した時代小説の佳編。
1作目もよかったけど、さらに面白く楽しい仕上がり。
P146
乞胸とは、寺社の境内や空き地なので、芸を見せて世渡りする人々の総称である。町人としての身分を認められてはいるが、物乞いと同列に扱われることもある家業だった。
P214
そもそも〈うわなり〉とは、光源氏のような男が複数の妻をもっていた時代、先妻のあとから迎えた後妻をさして言った言葉である。それから時代が下り、先妻が一族の女たちを頼んで、憎い後妻の家へ押しかける風習が〈うわなり打ち〉と呼ばれた。→「山桜記」葉室麟
【関連図書】
「くら姫 出直し神社たね銭貸し」櫻部由美子
【ネット上の紹介】
人生に行き詰まり、やり直したいと願う人々が、縁起の良い“たね銭”を授かりに訪れる“出直し神社”。神社を守るのは、うしろ戸の婆と呼ばれる老女。不器量だが働き者の娘・おけいがその手伝いをしている。ある日、赤ん坊を背負った千代という少女が神社に迷い込んできた。お千代は婆に促され、搗き米屋のおかみである母の、度が過ぎる吝嗇ぶりに家じゅうが悩まされていると打ち明ける。手習い処に通いたいお千代が子守りに縛られずにすむよう、おけいは女中として搗き米屋に住みこむことになったが…!?抜群の読み応え、シリーズ第二作!
「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
以前読んだ本の再読。
調べたら2014年に読んでいる。
もう10年近く経つのか。
(前回は単行本、今回は文庫本で読んだ・・・ページ番号は新潮文庫版に変更した)
内容は、序章+5章ある。
序章 日本近現代史を考える
1章 日清戦争―「侵略・被侵略」では見えてこないもの
2章 日露戦争―朝鮮か満州か、それが問題
3章 第一次世界大戦―日本が抱いた主観的な挫折
4章 満州事変と日中戦争―日本切腹、中国介錯論
5章 太平洋戦争―戦死者の死に場所を教えられなかった国
P54
戦前期の憲法原理は一言で言えば「国体」でした。「天皇制」といいかえてもかまいません。
P75、なぜトロツキーでなく、スターリンが選ばれたのか?
この人たち(ボリシェビキ)は、1789年に起きたフランス革命が、ナポレオンという戦争の天才、軍事的なリーダーシップを持ったカリスマの登場によって変質した結果、ヨーロッパが長い間、戦争状態になったと考えていました。
(中略)
レーニンが死んだとき、軍事的なカリスマ性を持っていたトロツキーではなく、国内に向けた支配をきっちりやりそうな人、ということでスターリンを後継者として選んでしまうのです。
(中略)
一つの事件は全く関係のないように見える他の事件に影響を与え、教訓をもたらすものなのです。しかも、此処が大切なところですが、これが人類のためになる教訓、あるいは正しい選択であるとは限らない。
P92、ベトナム戦争の遠因
満州事変、日中戦争の時期においてアメリカは、中国の巨大な市場が日本によって独占されるのではないか、門戸開放政策が守られないのではないかと考え、中国国民政策を支持してきたわけです。それが、せっかく敵であった日本が倒れたというのに、また戦中期に大変な額の対中援助を行ったのに、49年以降の中国が共産化してしまった。
これはアメリカにとっては、嘆きであったでしょう。10億の国民にコルゲート歯磨き1本売っただけで、10億本分儲かる、とはよく言われた冗談ですが。こういった景気のよい資本主義的な進出ができなくなる。この中国喪失の体験により、アメリカ人のなかに非常に大きなトラウマが生まれました。戦争の最後の部分で、内戦がその国を支配しそうになったとき、あくまで介入して、自らの望む体制つくりあげなければならない、このような教訓が導きだされました。ですから、北ベトナムと南ベトナムが対立したとき、南ベトナムを傀儡化して間接的に北ベトナムを支配するのに止まるではなく、北ベトナム自体を倒そうとするわけです。
以上が、ベトナム戦争にアメリカが深入りした際、歴史を誤用したという、アーネスト・メイの解釈です。
P104
日本側が早く不平等条約を廃止してくださいと言い続けたとき、列強が「それでは商法、民法を編纂してくださいというのは、ある意味、正統な言い分ではあったわけですね。
P163
戦争には勝ったはずなのに、ロシア、ドイツ、フランスが文句をつけたからといって中国に遼東半島を返さなければならなくなった。これは戦争には強くても、外交が弱かったせいだ。政府が弱腰なために、国民が血を流して得たものを勝手に返してしまった。政府がそういう勝手なことをできてしまうのは、国民に選挙権が十分になかったからだ、との考えを抱いたというわけです。(こうして普通選挙への運動が高まる)
P195、日露戦争の原因
日露戦争が起きたのはなぜかという質問への答え方には、時代とともにかなり変化があったのです。
(中略)
戦争を避けようとしていたのはむしろ日本で、戦争を、より積極的に訴えたのはロシアだという結論になりそうです。(2005年国際会議、ルコイヤノフ先生の報告)
P204
日清戦争は帝国主義時代の代理戦争でしたが、日露戦争もやはり代理戦争です。ロシアに財政的援助を与えるのがドイツ・フランス、日本に財政的援助を与えるのがイギリス・アメリカです。
P211
ロシアが黒竜江省、吉林省、遼寧省という3つの省を占領していたことで排除されていた国々が平等に満洲に入れるようになった。(中略)「さあ、帝国主義のみなさん、いらっしゃい」と中国東北部を開いた。これが日露戦争でした。
P218
日露戦後、増税がなされたことで、選挙資格を制限する直接税10円を結果的に払う層が1.6倍になり、選挙権を持つ人が150万を超えたこと、これが大切なポイントです。
P279、血脈について
吉田茂は自分の妻のお父さんが、パリ講和会議で次席全権大使を務める牧野伸顕だった。(中略)岳父である牧野に連れて行ってくれと頼み、1918年にパリに旅立つのです。(牧野伸顕は大久保利通の二男である。麻生太郎は牧野伸顕の曾孫・・・権力者の血脈が絡まり合っている)
P283、ケインズ「あなたたちアメリカ人は折れた葦です」
ケインズは、ドイツから取り立てるべき賠償金の額をできるだけ少なくするとともに、アメリカに対して英仏が負っている戦債の支払い条件を緩和するよう求めたのです。しかしアメリカ側は、このような経済学が支持する妥当な計画に背を向け、とにかく英仏からの戦債返済を第一とする計画を、パリ講和会議において主張したのです。
1919年の時点で、ケインズの言うとおりに、寛容な賠償額をドイツに課していれば、あるいは29年の世界恐慌はなかったのではないか、このように予想したい誘惑にかられてしまいます。そうであれば、第二次世界大戦も起こらなかったかもしれません。けれども、ケインズの案は通らなかった。その結果ケインズは「あなたたちアメリカ人は折れた葦です」という手紙を残してパリを去ることになりました。
(「折れた葦」=旧約聖書「イザヤ書」;「折れた葦の杖を頼みにしているが、それは、寄りかかる者の手を刺し通すだけだ」)
P304
盧溝橋は、12世紀末につくられた、北京郊外の永定河に架けられた橋で、マルコ・ポーロが『東方見聞録』でその美しさを称えたことで有名です。
P299、関東軍とは?
満州事変のほうは、二年前の29年から、関東軍参謀の石原莞爾らによって、しっかりと事前に準備された計画でした。関東軍というのは、日露戦後、ロシアから日本が獲得した関東州(中心地域は旅順・大連です)の防備と、これまたロシアから譲渡された中東鉄道南支線、日本はこの鉄道に南満州鉄道と名前をつけましたが、この鉄道保護を任務として置かれた軍隊のことをいいます。
P313
長谷部恭男先生の説・・・どんな時に戦争が起きるか?
ある国の国民が、ある相手国に対して、「あの国は我々の国に対して、我々の生存を脅かすことをしている」あるいは、「あの国は我々の国に対して、我々の過去の歴史を否定するようなことをしている」といった認識を強く抱くようになっていた場合、戦争が起こる傾向がある、と。
P315、満州とは?
満州というのは「あて字」で、もともとはManjju(マンジュ)と発音する民族が住んでいた地域に対し、ヨーロッパ人や日本人などが、その発音に漢字の音をあてて「満洲」と書き、それが慣用的に戦後の日本では「満州」と表記されるようになったものだといいます。
P377
本来、中国の華中地域、上海や杭州などは、満洲や中国の河北地域との密接な経済関係のうえに繁栄していた。中国で有名な浙江財閥というのは、こうした上海や杭州などの豊かな地域を背景にした財閥でありました。軍事的な指導者であった蒋介石を永剤的に支えていたのは、渦中の浙江財閥だったのです。(宋嘉澍は、浙江財閥の創始者。娘の美齢は、蒋介石の妻となる。姉の慶齢は孫文の妻)
P379、日本切腹、中国介錯!
日中戦争が始まる前の1935年、胡適は「日本切腹、中国介錯論」を唱えます。すごいネーミングですよね。日本の切腹を中国が介錯するのだと。
P386
汪兆銘の夫人はなかなか豪傑で、汪兆銘が中国人の敵、すなわち漢奸だと批判されたときに、「蒋介石は英米を選んだ、毛沢東はソ連を選んだ、自分の夫・汪兆銘は日本を選んだ、そこにどのような違いがあるのか」と反論したといいます。
P459
日本古来の慰霊の考え方というのは、若い男性が、未婚のまま子孫を残すこともなく郷土から離れて異郷で人知れず非業の死を遂げると、こうした魂はたたる、と考えられていたのですね。つまり、戦争などで外国で戦死した青年の魂は、死んだ場所死んだ時を明らかにして葬ってあげなければならない。
P466-467、分村移民について
国や県は、ある村が村ぐるみで満州に移民すれば、これこれの特別助成金、別途助成金を、村の道路整備や産業振興のためにあげますよ、という政策を打ちだします。
このような仕組みによる移民を分村移民というのですが、助成金をもらわなければ経営が苦しい村々が、県の移民行政を担当する拓務主事などの熱心な誘いにのせられて分村移民に応じ、結果的に引揚げの課程で多くの犠牲を出していることがわかっている。
(中略)
満州からの引き揚げといったとき、我々はすぐに、ソ連軍侵攻の過酷さ、開拓移民に通告することなく撤退した関東軍を批判しがちなのですが、その前に思いださなければならないことは、分村移民をすすめる際に国や県がなにをしたかということです。
P469-470、日本とドイツの食糧事情について
戦時中の日本は国民の食糧を最も軽視した国の一つだと思います。敗戦間近の頃の国民の摂取カロリーは、1933年時点の6割に落ちていた。40年段階で農民が41%もいた日本で、なぜこのようなことが起きたのでしょうか。日本の農業は労働集約型です。そのような国なのに、農民には徴集猶予がほとんどありませんでした。(中略)
それにくらべてドイツは違っていました。ドイツの国土は日本にもまして破壊されましたが、45年3月、降伏する2ヶ月前までのエネルギー消費量は、なんと33年の1、2割増しでした。むしろ戦前よりよかったのです。
【満蒙とはどこか?】P316
満州事変・・・柳条湖は奉天の近く
日中戦争・・・盧溝橋は北京郊外
【感想と疑問】
本作品は、中高校生を相手に、5日間にわたって講義した記録。
非常に丁寧、分かりやすく説明されている。
単に講義するだけでなく、質問が出て、高校生が答える、という授業形式。
一方通行でなく、双方向の関係。
よく、ついていった、と思う。
栄光学園・歴史研究部のメンバーを相手にしている。
加藤先生は桜陰高校出身・・・女子校では全国トップの進学校。
でも、どうして桜陰で「授業」しなかったんだろう?
男子校で授業したかった?
編集部担当者の都合?
「上海灯蛾」上田早夕里
1930年代、アヘンと青幇がテーマ。
上海が主な舞台だが、香港、満洲、ビルマにも移動。
想定以上に面白かった。一気読み。
上海裏社会が描かれるので、一癖ある人物ばかり登場する。
唯一、沈蘭の存在が普通なので救われる。
P29
青幇とは、中国社会を裏から支えている秘密結社である。その歴史も清の時代まで遡れる。河川で暴れる水賊から積み荷を守るため、水運業者が結束したのが始まりだ。当時、清政府は結社を禁じていた。加えて、水運業者はその頃から禁制品を運んでおり、秘密組織として成長せざるを得なかったのだ。
P42
「生まれつき体からいい匂いがする体質のことです。伝説によれば楊貴妃がそうだったとか。香水をつけなくても香りが常に漂い、体を洗ってもとれません」(中略)
芳香異体。
【ネット上の紹介】
一九三四年上海。「魔都」と呼ばれるほど繁栄と悪徳を誇るこの地に成功を夢見て渡ってきた日本人の青年・吾郷次郎。租界で商売をする彼のもとへ、原田ユキヱと名乗る謎めいた女から極上の阿片と芥子の種が持ち込まれる。次郎は上海の裏社会を支配する青幇の一員・楊直に渡りをつけるが、これをきっかけに、阿片ビジネスへ引き摺り込まれてしまう。やがて、上海では第二次上海事変が勃発。関東軍と青幇との間で、阿片をめぐって暗闘が繰り広げられる。満州から新品種を持ち出されたことを嗅ぎつけた関東軍は、盗まれた阿片と芥子の種の行方を執拗に追う。一方、次郎と楊直はビルマの山中で阿片芥子の栽培をスタートさせ、インドシナ半島とその周辺でのモルヒネとヘロインの流通を目論む。軍靴の響き絶えない大陸において、阿片売買による莫大な富と帝国の栄耀に群がり、灯火に惹き寄せられる蛾のように熱狂し、燃え尽きていった男たちの物語。
「新編本日もいとをかし!!枕草子」小迎裕美子
コミック版「枕草子」。
紫式部といえばよく清少納言とライバル扱いされていますが
2人は実際に会ったことはなく なのになぜシキブは勝手にナゴンをライバル視していたかというと
「私の夫の悪口を枕草子に実名でかいたからよー!!こきおろしたから」
御嶽の蔵王権現お参りする際に、藤原の信孝(シキブの夫)という人は
ドハデで悪趣味TPOを考えない服装で参拝
山を下りる人も登る人も「なんなんだアレは!?」とあきれかえったとか
【関連図書】
「紫式部日記」小迎裕美子
【ネット上の紹介】
嫌いなものは嫌い!好きなものは好き!キッパリ申して何が悪い!?気持ちいいほど正直な平安エッセイをコミカライズ!!!!!千年前の出来事が今も心をざわつかせる!
ナゴンにまつわるエトセトラ
ドキドキする日々
にくらしい日々
私のすきな日々
失敗する日々
ロマンスな日々
センチメンタルな日々
にくらしい日々 パート2
すばらしい日々
毒舌な日々
ナゴンにまつわるエトセトラ パート2
巻末おまけ コムカイ的ワタシノソウシ
「あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書」保阪正康
2014年に読んだ本の再読。
P21
島国である日本の主力は飽くまでも海軍であるとされた。主に薩摩藩の多い海軍、長州藩の多い陸軍との力関係も影響していた。だが明治10年、西南の役が起こる。皮肉にも薩摩の西郷隆盛が起こした西南の役により、陸軍の重要さが認識されていったのである。
P42
太平洋戦争下では、日中戦争後の昭和12年に「大本営」が設置されている。「大本営陸軍部」と「参謀本部」、「大本営海軍部」と「軍令部」、それぞれ用語として両方使われた。紛らわしいのであるが、どちらもほぼ同義語と考えていい。
P55
太平洋戦争開戦前の日米の戦力比は、陸軍省戦備課が内々に試算すると、その総合力は何と1対10であったという。米国を相手に戦争するに当って、首相、陸相の東條英機が、その国力差、戦力比の分析に、いかに甘い考えを持っていたかが今では明らかになっている。(東條英機は「精神力で勝っているはずだから、五分五分で戦える」、としたそうだ)
P78
「北進」論者、「南進」論者とも、それぞれ強い拘りがあった。「北進」論者は、主に陸軍に多かった。
P86
太平洋戦争において「武力発動」できたのは、唯一海軍だけであった。いくら行く軍が、南洋諸島や東南アジアで「武力発動」をしたくても、海軍の護衛で運んでもらえなければ、始めようがない。
P88
私が見るところ、海軍での1番の首謀者は、海軍省軍務局にいた石川信吾や岡敬純、あるいは軍令部作戦課にいた富岡定俊、神重徳といった辺りの軍官僚たちだと思う。
P92
東條の秘書官だった赤松はこうも言っていた。
「あの戦争は、陸軍だけが悪者になっているね。しかも東條さんはその中でも悪人中の悪人という始末だ。だが、僕ら陸軍の軍人には大いに異論がある。あの戦争を始めたのは海軍さんだよ・・・・・・」
P105
私は、この戦争が決定的に愚かだったと思う、大きな一つの理由がある。それは、「この戦争はいつ終わりにするのか」をまるで考えていなかったことだ。
P111
ミッドウェーで生き残った者たちは日本に戻ると幽閉状態におかれた。
P120
例えば、もし「ミッドウェー海戦」で戦争を終結していたら・・・・・・。もちろん、これはありえない歴史上の「イフ」である。しかし、吉田茂がひそかに和平工作を模索しているなど、その時点で全く可能性がゼロだったとは言い切れない。
「戦争を終結させる」とはいわない、なにせまともに「戦争の終結」像すらも日本の首脳部は考えていなかったのだから。でも、せめて“綻び”が出始めた昭和17年末の段階で、「このままの戦い方でいいのか」、あるいはもっと単純に「この戦争は何のために戦っているのか」と、どうして立ち止まって、誰も顧みなかったのか。
P121-122
資料に目を通していて痛感した。軍指導者たちは“戦争を戦っている”のではなく、”自己満足”しているだけなのだと。おかしな美学に酔い、1人悦に入ってしまっているだけなのだ。兵士たちはそれぞれの戦闘地域で飢えや病で死んでいるのに、である。
挙げ句の果てが、「陸軍」と「海軍」の足の引っ張り合いであった。
「日本は太平洋戦争において、本当はアメリカと戦っているのではない。陸軍と海軍が戦っていた、その合い間にアメリカと戦っていた・・・・・・」などと揶揄されてしまう所以である。
P148
昭和18年に戦況が悪化すると、東條の演説や側近への話には筋道の通らない論理が含まれるようになった。たとえば、「戦争が終わるということは、戦いが終わった時のこと、それは我々が勝つということだ。そして、我々が戦争に勝つということは、結局、“我々が負けない”ということである」、という意味不明のことさえ口にした。あるいは「戦争は負けたと思ったときは負け。そのときに彼我の差がでる」とも言うのである。
P150
十月に、陸軍の飛行学校に、学生たちへのねぎらいも込めて、視察に行った時のこと。東條は学生に「B-29が飛んできたとする。そうしたら、君は何で打ち落とすか」と問い掛けた。問い掛けられた学生は教科書通りに「15センチ高射砲で撃ち落とします」と答えると、東條は「違う、そうじゃない。精神力で打ち落すんだ」と語ったという。(じゃ、手本を見せてください、って)
P172
牟田口(廉也)は、実は泥沼の日中戦争のきっかけとなった盧溝橋事件をおこした部隊の連隊長であった。日頃から「支那事変はわしの一発で始まった。だから大東亜戦争はわしがかたをつけねばならん」というのが牟田口の口癖であった。
(その牟田口が考えた作戦が、悪評高い「インパール作戦」だ)
P179
私はインパール作戦で辛うじて生きのこった兵士たちに取材を試みたことがある。彼らの大半は数珠をにぎりしめて私の取材に応じた。そして私がひとたび牟田口の名を口にするや、体をふるわせ、「あんな軍人が畳の上で死んだことは許されない」と悪しざまに罵ることでも共通していた。
P204
4月28日、パルチザンに捕まったムッソリーニは銃殺処刑、逆さ吊りにされ晒された。4月30日、ドイツでは、ソ連がベルリン市内まで侵攻。その最中、ヒトラーは官邸の地下壕で拳銃自殺をしている。
P228
“勝ち戦”に乗じて日本の領土が欲しかったスターリンは、トルーマンに「我々は関東軍を掌握し、北海道方面に侵攻している。ソ連の制圧地域として北海道を認めて欲しい」と要求していた。しかし、トルーマンは、決してそれを認めなかった。スターリンはもう一度、「北海道が欲しい」と重ねて訴えるが、やはり断られてしまう。ならばと、「領土の代わりに、関東軍の兵を労働力としてもらう」と勝手に決めてしまった節があるのだ。
こうして「シベリア抑留」が行われた。
P222-223
歴史に他の選択肢はないが、「原爆」を落とされ、負けた。その結果、アメリカに占領されてよかったという見方もできる――。
(結果として、そうかもしれないが違和感を感じる。広島や長崎の方に、「原爆を落とされてよかった」、と言えるのか?)
P234
「戦争が終わった日」は、8月15日ではない。ミズーリ号で「降伏文書」に正式調印した9月2日がそうである。いってみれば8月15日は、単に日本が「まーけた!」といっただけにすぎない日なのだ。
世界の教科書でも、みんな第2次世界大戦が終了したのは、9月2日と書かれている。
【言葉の説明】P52
八紘一宇・・・日本書紀、神武天皇が大和橿原に都を定めた詔に出てくる言葉
「八紘」とは「四方と四隅」を表し、八方のはるかに遠い果てを指す。「一宇」は一つの家のことである。つまり、「地の果てまで一つの家のようにまとめて天皇の統治下におく」という意味となる。
東條英機の「戦陣訓」P70
有名な一節・・・「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」表現は島崎藤村が推敲したとされる。
この思想のために、多くの軍人、兵士たちが玉砕の憂き目にあったのである。
【残念な点】
当時のメディアと大衆の動向に触れていない。
文献も掲載されていない。そこが残念。
本書は、保阪正康作品の中でもよく読まれている人気作品。
一度は読んでおいて損はない。
【ネット上の紹介】
戦後六十年の間、太平洋戦争は様々に語られ、記されてきた。だが、本当にその全体像を明確に捉えたものがあったといえるだろうか―。旧日本軍の構造から説き起こし、どうして戦争を始めなければならなかったのか、引き起こした“真の黒幕”とは誰だったのか、なぜ無謀な戦いを続けざるをえなかったのか、その実態を炙り出す。単純な善悪二元論を排し、「あの戦争」を歴史の中に位置づける唯一無二の試み。
[目次]
第1章 旧日本軍のメカニズム(職業軍人への道
一般兵を募る「徴兵制」の仕組み ほか)
第2章 開戦に至るまでのターニングポイント(発言せざる天皇が怒った「二・二六事件」
坂を転げ落ちるように―「真珠湾」に至るまで)
第3章 快進撃から泥沼へ(「この戦争はなぜ続けるのか」―二つの決定的敗戦
曖昧な“真ん中”、昭和十八年)
第4章 敗戦へ―「負け方」の研究(もはやレールに乗って走るだけ
そして天皇が動いた)
第5章 八月十五日は「終戦記念日」ではない―戦後の日本