【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

「山と渓谷」2011年8月号

2011年09月30日 22時02分57秒 | 読書(山関係)


「山と渓谷」2011年8月号

テント泊特集。
様々なメーカーのテントが紹介されていて参考になる。
ただし、テントというのは、カタログを見ただけでは分からない。
ポールのしなやかさ、生地の丈夫さ、設営しやすさ、風が吹いた時の状態・・・。
使ってはじめて分かることばかり。

P132
クマによる人身事故報告書について
04年に109人(2人死亡)、06年に145人(3人死亡)の被害が出たクマの大量出没年には、全国的に10月の被害が急増、といった傾向がわかる。
・・・明日から10月なので気になる。
http://www.japanbear.sakura.ne.jp/cms/

P146
『山の本棚』文章:池内紀さん
今号では「ファーブル記」(山田吉彦)をとりあげている。
山田吉彦さんのペンネームが「きだみのる」とは知らなかった・・・同一人物だったのか。

P170-173
「日本の山岳ガイド制度の現在と未来」
山岳ガイドといっても様々な種類があるし、組織もいろいろ。
ガイドの技量にばらつきがある理由・・・
①山岳ガイドは国家資格ではなく、資格がなくてもガイド業を行うことができるため、充分な講習や試験を受けていない“自称ガイド”が大勢いること。
②ガイドを認定する組織が全国的にいくつもあり、それぞれが独自の基準を設けているため、どこの組織で認定を受けるかによってガイディングのスキルに差が生じてしまっていること。

他にも様々な問題点が指摘されている。

P220-221
「汗かき特集」・・・質問と答えでわかりやすく学習
●「太っている人は汗かきなの?」
 答えは・・・NO、とのこと。
 「40歳を越えると汗腺がゆるむので汗が多くなることがあります。
  また睡眠不足が続くと、寝ている間にかく汗の量が少なくなるぶん、日中にたくさん汗をかいてしまうことも」
  「むしろ、汗をかけず、体温調整がうまくできないほうが心配です」

●「水分を摂らなければ汗が少なくなるの?」
 答えは・・・「水を飲んでも飲まなくても汗は同じくかくものです」
 「水よりイオン飲料がおすすめです」、と。
 汗をかくと水分だけでなく、ナトリウムやカリウムなどの電解質も流れ出てしまう。
 脱水状態になると、筋肉の異常収縮が起こって足をつることがあり、最悪、意識を失うこともある。


登山・ハイキングをしていると、山頂でビールを飲んでいる光景を見かける。
これは、どうなんだろう?
「アルコールを分解するために体の水分を使ってしまうので、脱水になります。飲んだらその3倍の水を摂りたいものです」、と。
皆さん、気をつけて下さい。

【おまけ】
クライミング中の飲酒についてエピソードを紹介する。
(私のクライミング仲間○○さん、初期鳳来・鬼岩開拓メンバー)
『100岩場』を読むと、鳳来鬼岩「クライミングショウ」初登・草野俊達氏と記載されている。
ほんのわずか時間差で、第2登が同日にでたのを、ご存じだろうか?
実は、その方、ビールを飲んでいてトライ出遅れ、初登を逃したのである。(残念!)
これにより、『クライミング中飲んではいけない』、という教訓をクライマー達に残した。
(それより、鬼岩までよくビール持ってあがったなぁ)


「殺人症候群」貫井徳郎

2011年09月29日 22時41分46秒 | 読書(小説/日本)


「殺人症候群」貫井徳郎

皆さんは、貫井徳郎作品を読んだことがあるだろうか?
暗くて重い、が共通する特徴と言われる。
第4回鮎川哲也賞最終候補に残ったのが「慟哭」。
ちなみに、第3回鮎川哲也賞受賞は「ななつのこ」で加納朋子さん・・・後の貫井哲朗氏の奥さんである。

いきなり話は脱線するけど、作家同士の結婚、ってのは、よくあるのだろうか?
(親子だったら・・・森鴎外→森茉莉、幸田露伴→幸田文、太宰治→太田治子、斎藤茂吉→北杜夫)
作家で夫婦ってのは、有名どころでは、吉村昭さんと津村節子さん。
あと小野不由美さん&綾辻行人さん、藤田宜永さん&小池真理子さん。
新田次郎さんの奥さんは藤原ていさんだけどノンフィクション、エッセイ、自伝だけで、小説は書いていないし。
角田光代さんは伊藤たかみさんと結婚していたけど、離婚したし。

漫画家どうしの方が多いかも・・・本宮ひろ志さん&もりたじゅんさん、松本零士さん&牧美也子さん、新谷かおるさん&佐伯かよのさん、弘兼憲史さん&柴門ふみさん、富樫義博さん&武内直子さん吉田戦車さん&伊藤理佐さん。

本文に入る前に、脱線ばかりでスマン。
「殺人症候群」だけど、ホントよかった、レベルが高い。
これも、「少年犯罪」、「犯罪と遺族」のテーマがらみで読んだ。
(すなわち「心にナイフをしのばせて」「ユニット」の関連で読んだ)
テーマはずばり『遺族の犯人への復讐』。
少しだけ文章を紹介しておく。

P583
「(前略)少年法は刑罰を与えることが目的じゃなく、少年を更生させることが主眼だというでしょ。でも、未成年だったら無条件に、更正する権利があるわけ?更正する権利なんか与えるべきじゃない、生まれついての凶悪犯もいるんじゃないの?あたしはそこがずっと疑問だった」

P593
屑は生まれつき、心が膿んでいるいるのだ。その膿は、どんな誠意も努力も摘出不能だ。被害の拡大を防ぎたければ、心を膿んでいる者をこの世から消去する他に手だてはない。

・・・もっとも過激な箇所を紹介したので、誤解のないように。
作品全体を読んで、作者の提示する問題を判断し考えて欲しい。
非常に重く、読後感も暗い・・・それでも、読む価値有り、と思う。
いったい『正義』とは何だろう?・・・考え込んでしまう。
文庫本で702ページ、ずっしりと重く、内容も重い作品。(普通の文庫本3冊分くらいある)
気合いを入れて読んで欲しい。(過激で、残酷な描写もあるので、万人には薦めない)

PS
2002年度の作品だけど、年末の「文春ミステリ」にも、「このミス」からもモレている。
人気投票アテにならない、ということを証明した。
私は「殺人症候群」2002年度1位でもいい、と思う。

【参考リンク】
He Wailed 〈Tokuro Nukui Official site〉-
(著者公式サイト)
『週刊文春 傑作ミステリーベスト10』
『このミステリーがすごい!』

【ネット上の紹介】
警視庁内には、捜査課が表立って動けない事件を処理する特殊チームが存在した。そのリーダーである環敬吾は、部下の原田柾一郎、武藤隆、倉持真栄に、一見無関係と見える複数の殺人事件の繋がりを探るように命じる。「大切な人を殺した相手に復讐するのは悪か?」「この世の正義とは何か?」という大きなテーマと抜群のエンターテインメント性を融合させた怒濤のノンストップ1100枚。


知らなかったこと

2011年09月28日 21時11分42秒 | 読書(小説/日本)

知らなかった。
永井するみさんが亡くなられていたなんて・・・。
ウィキペディアに次のように書かれている。(たまたま検索して分かった)

2010年9月3日、死去。『小説推理』(双葉社)に連作短編「秘密は日記に隠すもの」シリーズを連載中で、死去の1週間前に第4回が掲載されたばかりだった。

永井するみさんは、私がほとんどの作品を読んでいる数少ない作家の一人。
なんと言っていいか、ちょっと絶句である。
新刊が出ないからおかしいなぁ、と思っていた・・・年に1冊~2冊は出るのに。
三浦凪シリーズも、もう読むことができないんですね。

(↑読みやすさ、親しみやすさでは、この3冊なんかどうでしょう)

最後に、双葉文庫「ダブル」巻末の著者インタビュー記事を抜粋させていただく。P458

(前略)最近は、事件の派手さと言う面では現実のほうが小説を凌駕しているので、私はむしろ人の心理が起こす事件を書いていきたいと思っています。
―今後のご予定は?
2010年は「小説推理」での連作短編と、別の出版社になりますが、3月に女性の逃避行をテーマにした新刊が出ます。また、刑事物にも初挑戦する予定になっています。警察ものは、一度書いてみたいと思っていたんですが、これまでに優れた作品が多くでているジャンルですし、男性作家のものだととても緻密に警察組織のことを書いていたりするでしょう?だから、私はそういうアプローチではなく、女性刑事を中心にした心理サスペンス的なミステリーにしようかなと思っています。(2009年12月29日収録)

それにしても残念だ。
子どもさんもまだ小さかったように思うけど。
謹んでご冥福をお祈りします。

がんばれ北大! 新進ミステリー作家 永井するみさん (1997年2月)
WEB本の雑誌 作家の読書道:第67回 永井するみさん(2007年5月25日) 
作家・永井するみ先生逝去|お知らせ|東京創元社(2010年9月6日記事)

PS
死因が書かれていないのが気になる。


「月刊社会保険」10月号

2011年09月26日 21時43分33秒 | 読書(エッセイ&コラム)

皆さん、今月の自分の給与明細を見ましたか?
9月から『厚生年金保険料率』が改定された。→保険料額表
また、4、5、6月の3ヶ月『算定基礎』で、9月から『標準報酬月額』が変更になる。(『月変』もあるし)そんな訳で、9月はなにかと給与明細の数字が変わる月。→標準報酬月額の決め方

さて、標記の「月刊社会保険」も目をとおすようにしている。
P4-7で『平成23年版厚生労働白書』が取り上げられている。
日本では50年前1961年(昭和36年)に「国民皆保険・皆年金」が実現した。
そこで23年版では、半世紀にわたる歴史をふり返っている。

第2章第2節(国民皆保険・皆年金の実現)
高度経済成長を背景に社会保障の重点が「救貧」から「防貧」に移り、日本の社会保障制度体系が整備された。また、この時期に大企業を中心に日本型雇用慣行が普及・定着し、サラリーマンの夫、専業主婦の妻と子どもからなる「標準世帯」が日本の社会保障制度の前提となった。

第2章第3節(制度の見直し期、昭和50年から60年代)
2度のオイルショックにより高度経済成長が終焉し、経済が安定成長に移行するといった経済社会の状況変化や、「増税なき財政再建」に対応することが課題であった。

第2章第4節(少子・高齢化への対応)
1990年代に入り、日本の人口構造は生産年齢人口が横ばいから減少に転じ、現役世代の負担感が急増する時代を迎えた。1994年の65歳以上人口比率は14.5%を超え、「高齢化社会」が到来した。

P5に『時代背景図』があって、とても分かりやすい。
これを見ると昭和23年の死因順位1位は結核、2位は脳卒中、となっている。男女平均寿命は50歳代。
そして平成になると、死因順位1位は癌、2位は心臓病、と変化。男女平均寿命は80歳前後になってくる。
昭和20年代に第1次ベビーブームがあった。つまり『団塊の世代』誕生、である。(昭和25年の平均世帯人員は4.97人)
この団塊の世代はやたらと精力的で競争好き、過剰なエネルギーを持てあましていた。
学生運動を盛り上げ、全共闘世代と言われ闘争したのも彼らである。
しかし、いったん就職すると、今度は企業戦士として「モーレツ社員」になって高度経済成長を支え、盛り上げた。
核家族化も推し進めた。当時「家付き、カー(車)付き、婆ぁ抜き」、というフレーズが流行ったのを思い出す。
そして今、団塊の世代は定年を迎えている。(平成17年平均世帯人員2.56人)
過剰なエネルギーはどうしたのだろう?
(日本百名山全山登頂を目指して奔走しているのは案外彼らかもしれない)

話はがらっと変わる。
P18-20「世界の街かどで道ばたで」が面白い。
実はこのシリーズ、毎回楽しみにしている。
書かれているのは藤川鉄馬さん。
今回の標題は「遺伝子に組み込まれた『人を担ぐ精神』」・・・イギリス人のユーモアについて。
BBCテレビ「渡り鳥」のペンギン(!)が、冬を過ごすために、南極から南米の熱帯雨林に空を飛んで移動する様子を放映した、と。(この映像はネット上でも評判が高いらしい)
http://www.youtube.com/watch?v=9dfWzp7rYR4
(2008年エイプリルフール)


「山と渓谷」2011年7月号

2011年09月25日 08時17分46秒 | 読書(山関係)


「山と渓谷」2011年7月号

先日、この号のストーブ特集を紹介した。
それ以外にも、興味深い記事があるので紹介する。

P90-105
「山岳救助の世界」
警察組織には山岳救助隊が組織されているところが多い。
なぜ警察が山岳遭難救助を行うのか?
警察法第2条に次のように書かれているから・・・
「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当たることをもつてその責務とする」
街中であれ3000メートルの山の稜線の上であれ、命の危険に瀕している人がいたら、警察官はこれを助けなければならないのである、と。
なるほどそうだったのか。

P146
「山の本棚」
池内紀さんの連載だけど、今回は高群逸枝さんの「娘巡礼記」が取り上げられている。
毎回、さまざまな本が紹介されていて、この連載はおもしろい。
もし単行本化されたら購入したい、と思う。


P202
「山の小物インプレッション」
ライターは大塚真さん、今回はカレーランキング。
それにしても、いろんなカレーがあるもんですねぇ。
ちなみに、3位まで書くと・・・
①明治銀座カリー
②エスビー食品ディナーカレー
③アマノフーズ瞬間美食香るビーフカレー


101手成功!

2011年09月24日 20時41分47秒 | ジム練習

阿武山登頂したあと、ナカガイジム(高槻店)に移動。
(私はフリーパス会員なので、高槻店にも出向いている)
練習内容は次のとおり。

①ボルダーサーキット黄色テープ20本
②垂壁長モノ3本
109手課題
101手課題
⑤ボルダーサーキット白色テープ20本□

101手課題が成功して喜んでいる。(今のバージョンになってたぶん第2登)
夏の間ずっとトライしていて、9月下旬になってやっと成功した。
ホント、苦労しました。(これからもメニューに入れてコンスタントにRPしたい)

この101手は、109手同様、石井君作成の課題。
109手はガバばかりの持久系だけど、101手もコンセプトは同じ。
でも、全体にムーブ難しめで、109手より3グレード上(あるいは数字ひとつ上)、と思う。
もし、109手が11+なら、101手は12cくらいに感じる。
(あくまでも目安なので、追求しないように)
私はルートクライマーなので、両者とも持久力練習に打って付け。
しかも指にやさしいので、私にはうれしい課題で、『高槻店の目玉商品』と思っている。

PS1
ホントは、これに厳しめのボルダー練習をプラスしたら良いんだけど、遠慮している。
身体を壊さないよう、体調と相談しながら調整していきたい。

PS2
このところ暑かったり涼しくなったり、湿度もそれにつれ微妙に変化している。
指の手入れはキチンとしないと硬くなって割れるので注意したい。


ライフル

2011年09月24日 08時06分19秒 | クライミング(海外)

私が山とクライミングを始めたのは80年代初め。
つきあい始めておよそ30年になる。

最初の10年くらいは、蜜月期間であった。
特に最初の数年はラブラブ状態で、クライミングのことばかり考えていた。
(12年目くらいでヨーロッパに行った。当時ユーロもシェンゲン協定もなかった)
その後の10年は惰性、なんとなく続けていた。(付かず離れず、といった倦怠期夫婦のような)
さらに、20年目を過ぎて、クライミングは空気になった。
・・・普通に存在している、でも無かったら困る、といった感じ。
そんなわけで、現在に至っている。
現在クライミングといえば、たまに行く海外のみ。

2007年タイ・プラナーン
2008年オーストラリア・ブルーマウンテンズ
2008年アメリカ・ライフル
2009年中国・桂林
2010年ベトナム・カットバ島
2011年ニュージーランド・ペインズフォード&キャッスルヒル

ムリをすれば身体がこわれるし、ムリをしなければ上達しないのがクライミング。
精神(モチ)と肉体(老化)の両面で岐路に立っている。
私なりに、なんとか折れ合って、間をとっているのが上記海外クライミング。
次の10年はどんな感じになるのだろう?
いずれにせよ、次の10年でオワリかも、と思う。
悔いの残らないよう、区切りをつけたい。

さて、8月から9月にかけて、遠藤由加さんがライフルに行っておられた。
次回私もライフルに行く時に備えて、資料としてリンクしておく。
以下のとおり。

(08/27)1年ぶりのRIFLE
(08/28)Rifle 2日目
(08/29)古なでしこJAPAN+子なでしこ
(08/30)なんてこったい!!
(08/31)疲労で…
(09/01)引きこもり
(09/02)前半戦、後2日
(09/03)Thives 13a
(09/04)ガガ様と…
(09/04)きたーーー!!ベストシーズン!
(09/06)づづづかれだ~~~ぁ
(09/07)この期に及んで…
(09/07)ライフルの植物とか
(09/08)雨降りな日々
(09/09)くやしいけれど…
(09/10)おわった


台風一過

2011年09月23日 20時57分30秒 | 登山&アウトドア(関西)

天気が良いので、自転車で安威川沿いに走り、阿武山にも登ってきた。

安威川沿いの道はジョギングする人が多い

なかなかじっとしてくれない蝶

よく晴れてくれた

尾根からの景色・・・吹田方面

雨後の筍ならぬ、雨後のキノコ

鳥居の中に高層ビル群が見える


「日本人の坐り方」矢田部英正

2011年09月22日 20時31分15秒 | 読書(ノンフィクション)


「日本人の坐り方」矢田部英正

時代劇TVを観ていて気になる。
当時の人は、こんな風に坐っていたのだろうか?、と。
いつから正坐があたりまえになってしまったのだろう?、と。
そんなわけで、この本を見つけた時は嬉しくなった。
いくつか文章を紹介する。

P9
「ダルマ」というのは、もともとはインドの言葉で、万物の「摂理」とか、人の踏み行うべき「道」のことを意味している。つまり自然のなかにも、人間のなかにも、同じように存在する秩序あるはたらきが「法(ダルマ)」であって、その真実を見極め、体得するための根本に、ダルマさんはまず「坐る」ということを自らに課したわけである。

P41
もともと「アグラ」とは貴族が坐る「台座」や「腰掛け」などの「座具」の総称であった。「胡坐」と書いて「アグラ」と読ませるのはあくまで当て字だ。「胡」とは、中国の北方や西域の騎馬民族ことで、彼らは日頃馬に跨がって生活していたので、腰掛けを携えて移動し、坐る時にはそれを利用していた。このような腰掛けが日本にも伝わり、「胡坐」と呼ばれるようになる。これに腰掛けると足は楽なので、やがて「台座」や「腰掛け」を使って安楽に坐ることも「アグラ」と呼ばれるようになり、「胡坐」という漢字が当てられたようである。
本書では膝を開いて足を上下に組む坐り方を「胡坐」と呼び、これに対して足を組まずに前後に揃える坐り方を「安坐」とする。


昔の絵巻を調べると、いろいろな坐り方のバリエーションがあったことが分かってくる。
P74
江戸時代も中頃になると、浮世絵や肖像画のなかに正坐で坐る人たちがちらほら見られるようになるのだが、それ以前の室町時代や鎌倉時代、平安時代の絵巻のなかで、正坐をしている人の姿は極めて少ない。庶民も武士も僧侶も公家も、古代・中世の日本人は大半が「胡坐」や「安座」、「立て膝」などで坐っているのだ。

P75
資料でいろいろな坐り方を見ていると、昔の人は足首も股関節もとても柔らかかったことが一目瞭然で、たとえ正坐が一般的な坐り方でなかったとしても、やろうと思えば簡単にできただろう、ということも容易に推察できる。(中略)むしろ男性は膝を大きく横に広げて堂々と坐ることを好んだし、女性もゆったりとしたキモノの下で、自由に足を組んだり立てたりして、寛いで坐ることを好んだ。

P82
江戸時代になるとそれまでの常識が覆り、「端坐」という新しい価値が武士の間に定着しはじめる。それは「端正に坐る」ということの他にも、坐次を重視した殿中の儀礼においては「下座の端から坐る」という「折り目正しさ」も求められたことを意味している。将軍に拝謁するもっとも格式の高い儀礼のなかで、忠誠を誓う大名たちの坐法は、各々の存在をより大きく見せる安座や胡坐よりも、慎ましく膝を閉じて「かしこまった」坐り方がより好ましいと考えられたにちがいない。またそれは身分の高い者に対する「つくばう(屈服する)」という身体的な記号でもある。

P85
武士の儀礼に精通していた石州は、「端坐」で行われる拝謁儀礼の坐法をすぐに茶の湯に取り入れたわけでなかった。したがって、手前での坐は「立て膝」を正式としながらも、客によっては「安座」や「胡坐」でゆったり坐らせ、茶をいただくときだけ「立て膝」に正す、という作法を用いた。

女性にも「端坐」がひろまっていくが、これは寛永年間(1624-1644)、と。
幕府が反物の寸法を改定する禁令を出したことがもとで、キモノの身幅が急に狭くなっていく。
現在のキモノとほぼ同じ寸法に落ち着いたそうだ。
P88
室町時代には女性も普通に行っていた「胡坐」や「安座」の坐り方が、江戸時代の女性にほとんど見られなくなるのは、おそらく幕府が改定した反物の寸法と密接な関係があるだろう。

P95
「正坐だけが作法である、というような常識は、いつ頃どのようにしてつくられたのだろうか?」(中略)
明治13年(1880)には、当時の小笠原弓馬術礼法の当主である小笠原清務が礼法の必要性を東京府に申し立てたのが始まり、と。
「正坐」は、「学校で習った正しい姿勢」を示す言葉として、日本国民全体の共通言語となっていったのであろう。

P116-117
ひとつのわかりやすい基準が絶対的な価値として祀り上げられ、人々の思考を停止させてしまう。その硬直した精神構造は「偶像崇拝」と同じものである。あらためて思い返すと「正坐」という言葉は、近代以降、日本人の坐の概念を支配し続けてきた偶像だったのではないか、そう思われてならない。

P117
「正しい基準」というのは、それが定まると同時に基準と対立する「正しくないもの」を排除してしまう。近代以前は、「胡坐」も「安坐」も「立て膝」も有用な坐り方として生活のなかに位置づけられていたのだが、「正坐」が正しい基準になってからというもの、いつのまにか基準から外れた「崩れた作法」とのレッテルを貼られてしまった感がある。しかしそれは永い永い日本の伝統から考えれば、ごく最近につくられた近代文化のなかの基準のひとつにすぎない、というのが本当のところではないだろうか。

以上、いかがでしょうか。
興味深くて、おもしろいでしょう?
これ以外にも、「遊女は決して袴を穿かない」(P147)とか「正坐と言わない夏目漱石」とか(P112)が興味深い。
よかったら読んでみて。オススメ。

【ネット上の紹介】
畳や床の上に直接腰を下ろして「坐る」。私たちが普段、何気なく行っている動作は、日本人が長い年月をかけて培ってきた身体文化だ。しかもそれは、「正坐」のみを正しい坐とするような堅苦しいものではなく、崩しの自由を許容し、豊かなバリエーションを備えた世界なのである。古今の絵巻、絵画、仏像、画像などから「坐り方」の具体例を抽き出して日本人の身体技法の変遷を辿り、その背後には衣服や居住環境の変化、さらには社会や政治の力学までが影を落としていることを解き明かす画期的論考。


「ユニット」佐々木譲

2011年09月21日 21時50分56秒 | 読書(小説/日本)


「ユニット」佐々木譲

この作品に様々なテーマを読むことが出来る・・・「少年法」「犯罪者の更生」「加害者と遺族」「残された者の心の傷」「家族」。(単に、エンターテイメントとして読むこともできるけど)
このブログをずっと読まれている方は気づいたかもしれない。
先日読んだ「心にナイフをしのばせて」(奥野修司)の関連か?、と。
・・・そうなんです。
あの時、「少年法」や「遺族」の問題を考えてしまった。
そんなわけで、テーマ関連ありそうな、この作品を読んでみた。

本作品はミステリとしての面白さも追求しながら、ストーリーを展開していく。
17歳の少年に妻と子どもを殺された男が主人公。
この男性がいかに苦しみ、葛藤し、心の傷を乗り越えようとするかが作品の読みどころ。
その分、加害者の少年が、いかにもな「悪役」として描かれる。
「いかにも」なんだけど、リアリティがある。
いったいどうなるんだ、とハラハラしながら読んだ。
一気読みのおもしろさ。

【参考リンク】
「心にナイフをしのばせて」奥野修司

【ネット上の紹介】
十七歳の少年に妻を凌辱され殺された男、真鍋。警察官である夫の家庭内暴力に苦しみ、家を飛び出した女、祐子。やがて二人は同じ職場で働くことになる。ある日、少年の出所を知った真鍋は復讐を決意。一方、祐子にも夫の執拗な追跡の手が迫っていた。少年犯罪と復讐権、さらに家族のあり方を問う長編。


「野田ともうします。」柘植文

2011年09月20日 20時14分46秒 | 読書(マンガ/アニメ)


「野田ともうします。」柘植文

今年2月に発行されたのに、読んだのは先日。
新刊パトロールに登録していたのに、連絡が来なかったから。(あるいは私のチェックモレ?)
こういうモレがあるから困ったものだ。

著者自身がブログを作っている方は、ブログでチェックできる。
現在、私がブログをチェックして新刊発売と同時に購入する方は・・・
荻原規子さん、中野京子さん、石井光太さん・・・。
また、著者ブログが無くて、新刊パトロールでチェックしているのは100人くらい。
無条件即購入する作家もいれば、中味をチェックして検討してから読むようにしている方・・・永井するみさん、奥田英朗さん、山本幸久さん、高田郁さん、多島斗志之さん、松田志乃ぶさん・・・とかいろいろ。

柘植文さんはブログを作っておられるので、今後ブログ上でチェックしよう、と思う。

いろいろ絵日記 柘植文 

「野田ともうします。」(2)を読んだ時の感想。
http://blog.goo.ne.jp/takimoto_2010/e/7fcf139d529237c9239b7d2b02b9efb7

【ネット上の紹介】
みんな野田さんに夢中です!!(あなたもきっと好きになる……。) この1冊にお値段以上の野田エキス、詰まってます! 出身地は「群馬県」、現在の住まいは「埼玉県」、大学での専攻は「ロシア文学」。時に、鼻メガネの欠点について考察し、時に爆弾の線を切るなら赤の線を選ぶ理由を力説する。そんな地味女子の魅力満載の第3巻。


「世界の果てでも漫画描き」(2)エジプト・シリア編、ヤマザキマリ

2011年09月19日 18時19分24秒 | 読書(マンガ/アニメ)


「世界の果てでも漫画描き」(2)エジプト・シリア編、ヤマザキマリ

放浪作家・ヤマザキマリさん最新刊。
前回・キューバ編に続き、今回はエジプト・シリア編。
読んでいると行きたくなる。(それも、観光化されたエジプトでなく、シリアへ)
さて、興味深い箇所を紹介する。

P87
ダマスカスのバブトゥーマ地区へ行った時の話。
そこはディープなイスラム国なのに、キリスト教徒が多く住んでいる場所。
まわりは、ほとんどアラビアン・ナイトな世界。
その街角にマリア像がある。また、近くにユダヤ教地区もあったりする。

「イスラム教はキリスト教・ユダヤ教の信者を「啓典の民」として庇護し、共存共栄で囲ってきたんだ」
「寛容だね-」


また、番外編として【世界の翼編】がいい。
過去に乗った航空会社、訪れた空港をくらべている。
全体的に日系、アジア系の航空会社のサービスはよい、と。
優秀なCAが多いのは、シンガポール航空、エミレーツ航空、カタール航空。
空港でよかったのが、スイス・チューリッヒ空港、オランダ・スキポール空港。
ナンバーワンは、名古屋・中部国際空港・・・展望露天風呂があるから、と。
さすが、風呂にこだわるヤマザキマリさん。

【ネット上の紹介】
これまで旅した国の数、30数カ国。エジプトで挙式、古代遺跡が多数残るシリアをディープに放浪! 又、細密かつ大胆な描写力でダマスカスの女性を描いた傑作短篇も収録。


つかのまの晴れ

2011年09月18日 20時00分33秒 | 登山&アウトドア(関西)


まだまだ暑いけど・・・秋を感じる

歩け歩け、山頂は近い

山頂に育つ野いちご

中央に小さく見える京都タワー

梅田方面高層ビル群


「山と渓谷」2011年7月号・ストーブ特集

2011年09月16日 00時25分02秒 | 読書(山関係)


「山と渓谷」2011年7月号

P195-201
小型軽量ガスストーブの特集が気になるので読んだ。
比較されているのは次の5つ。

①SOTO(SOD-300)8400円
②EPI(REVO-3700)9975円
③PRIMUS(P-114)7140円
④PRIMUS(P-153)8925円
⑤SNOWPEAK(Chi)5980円

私が良いと思ったのたのは、②と③で、出力はそれぞれ3700kcal/h, 2300kcal/hで、EPIの出力が高い。
しかし、ガス消費量と燃焼時間は、308g/h 約60分,150g/h 約90分で、PRIMUSの方が効率がよい。
沸騰時間も9℃と25℃で、比較されている。
PRIMUSはEPIに出力で負けているのに、EPIと同等か、それ以上の結果が出ている。(5製品の中でもトップクラス)
さらに、深鍋と広口鍋の沸騰時間比較が興味深い。
次のように書かれている。

広口型では、深底方に比べ、時間にして40秒から1分ほど速く沸騰し、被検体E(SNOWPEAKのこと)では2分近くも短縮したのだ。考えてみれば、熱を受ける面積が広くなるので当然の結果ではあるのだが、これまで「深底鍋のほうが利便性が高い」という習わしに従い、疑問を抱かずにクッカーを使用してきたことを反省しなくてはならない。(詳しくは実際の「山と渓谷」を読んでみて)

さて、以上の結果どうでしょうか?
「ジェットボイルについて書いていない・・・どうなってんだ?」、と思われることでしょうね。
この特集が『本体重量100g以下の小型ガスストーブ』、ってことになってるので、『オールインワンタイプ』は、どうしてもモレてしまう。そこで、2010年11月「山と渓谷」を見てみよう。

この号でもストーブ特集を企画している。
私が『オールインワン・タイプ』で気になったのは、JETBOILとPRIMUS・イータパックライト。
2-3人で行くならPRIMUS・イータパックライト、1人ならJETBOILのコンパクトタイプがよい、と思う。(どちらも、風に強く、かなり熱効率が良い)

イータパックライト15,000円(税込¥15,750)
http://www.iwatani-primus.co.jp/products/primus/37.html
【本体重量】572g(本体、1.2ℓ専用ポット、フタ)
【収納サイズ】21.5×19×13cm
【出力】2.2kW/1,800kcal/h(Gガス使用時)
【ガス消費量】140g/h
【燃焼時間】約100分(IP-250ガス使用時)約45分(PG-110ガス使用時)
【セット内容】バーナーベース部、1.2ℓ専用ポット(鍋)、フタ、風防、ポット用ハンドル、
専用インシュレーションバッグ、ボウル、ヒートエクスチェンジャープロテクター

JETBOILはZIP、PCS FLASH、SOLと種類が多いし、同じ型でもチタン軽量タイプもある。→http://webshop.montbell.jp/goods/list.php?category=328000
好みに応じて、検討したらよい。例えばZIPの仕様は次のとおり。

JETBOIL(ZIP)8900円
【総重量】407g(ゴトク、スタビライザーを含む)
【サイズ】φ104mm×高さ165mm(収納時)
【容量】0.8L(調理容量は0.5L)
【出力】1134kcal/h
【ガス消費量】100g/h
【沸騰到達時間】0.5Lで約2分30秒(ジェットパワー1缶で約12Lの水を沸騰可能)

以上、ストーブ特集の感想は、こんな感じ。
ところで、「お前は何を使ってんだ?」と言われそう。
山岳会時代はホエーブスを使用。(プレヒート+ポンピングが手間だった)個人山行では、EPIヘッド、2種類を使用してきた。(それぞれ30年くらい前と、20年くらい前に購入)
ちなみに、普通のキャンプでは一般家庭用カセットコンロを使用・・・車で行けるキャンプ場、例えば小川山なら、これで十分、と思う。(また、韓国製ジョイントを使って一般ガスカートリッジ+EPIヘッドの組合せも利用した。これはスーパーでカートリッジ購入できて便利)
そのうち、EPIヘッドもだいぶ古くなって、火力が落ちてきたので、今はIwataniジュニアバーナーを使っている。
湯もわりと早く沸くし、そんなに悪くない。登山用品店に行かなくてもカートリッジ購入できて便利だし、ランニングコストも安い。
欠点は少し重くて、かさばること・・・かな。

カセットガスジュニアバーナー                         

カセットガス
ジュニアバーナー

CB-JRB-2
最大発熱2.7kw(2,300kcal/h)



【参考リンク】
http://www.i-cg.jp/cf/outdoor/index.html


「共依存・からめとる愛」信田さよ子

2011年09月14日 23時11分47秒 | 読書(ノンフィクション)


「共依存・からめとる愛 苦しいけれど、離れられない」信田さよ子

これはよかった、オススメだよ。
(とは言うものの、マニア向けかなぁ・・・どんなマニアだ?)
著者は臨床心理士でカウンセラー。
長年にわたる実践と経験から、複雑な人間心理を洞察している。
本作品では、「共依存」をキーワードに「愛」を分析していく。

P97
対象を自分なくして生きられなくしていくこと、依存されたい欲求を満たすこと、これらは暴力で相手を屈服させるよりはるかに隠微で陰影に富んだ快感をもたらしてくれるだろう。

P124
児童虐待防止法の第2条四によれば、子どもがDVを目撃することは「児童に著しい心理的外傷を与える言動」であり、虐待だと定義される。2003年に改正されたこの定義は大きな意味をもつ。これまでは父が母に暴力や暴言を行使しても、直接子どもに向けられなければ虐待ではないと考えられていたからだ。妻にDVをふるうことは同時に彼らが子どもを虐待することを意味する。

P141-142
かけがえのなさとは、交換不可能、唯一無二とも表現できる。恋愛において、このかけがえのはなさ相互的であると考えられている。だから、ふたりの結びつきは強固となり、「あなたしかいない」「君しかいない」という排他的な世界が構成される。
しかしかけがえのなさがいつも相互的であるとは限らない。たとえは、生まれたばかりの新生児にとって、母親とはかけがえのない存在である。生命維持のためにも、あらゆる発達のためにも、新生児にとっては親はかけがえのない存在である。しかし、親にとって新生児はかけがえのない存在だろうか。そのかけがえのなさは主として心理的・情緒的紐帯に限定されている。むしろ経済的・時間的には負担を強いられる存在でもあり、相互的とはいえない。
かけがえのなさが非相互的な場合、その関係は非対称的で権力的なものになる。つまりかけがえのない存在になったほうが、もう一方に対して強者となり権力的になりうるということだ。
親は、だから子どもにとって強者であり、権力的な存在である。子どもの虐待を見ればそれは明らかだ。親以外に自分を養育してくれるひとがいない(かけがえのない)ことを子どもはよく知っている。その親に殴られたり食事を取り上げられたりすれば、それは自分が悪い子だからと思うしかない。


P148
かわいそうな他者をわざわざ選ぶひと、なんらかの障害をもった他者に近づくひとは珍しくない。これらは、ヒューマニズムあるれる自己犠牲的選択に見えるが、「かけがえのなさ」が非対称的でれば、そこから容易に共依存という対象支配が生まれる。ところが相手に尽くしているとしか考えないひとたちは、支配していることに無自覚である。

P162
妻として母として彼女たちが家族を生き抜くためには、子どもを支配するしかなかったこと、そんな必然として共依存をとらえれば、明らかにマイナスのラベルであるこの言葉が、それ以外に残されていなかった選択肢であることがわかるだろう。そう自覚されることで、おそらく別の選択肢もぼんやりと見えてくるかもしれない。しかしそれは彼女たちにとって残酷なことでもある。自覚することによって、初めて彼女たちが子どもに行使した支配の責任が浮かび上がるのだから。

P167
おそらく、DVという言葉もない時代に、夫の暴力と浮気の日常に対処するひとつの方法は、夫を「大きな息子」として子ども扱いすることだった。過去形で書いたが、現在でもカウンセリングにやってくる女性たちの多くが、夫の行状(暴力、浪費、浮気など)を耐えてやり過ごすために「夫を3番目の子どもと思うことにしました」「男の人って、なんて幼稚なんでしょうね」と、夫を子どもの位置に、自分を母親の位置に立たせる。近代文学の登場人物の男性像が、多く「頑是無い子ども」として描かれていることとそれは無関係ではないだろう。日本では、男性(父)の「子どもの座の占有」は、広く社会的に容認されている。結婚した多くの女性も、不承不承それに慣らされていく。そのためには、夫を子どもとして支配し所有したという幻想が不可欠だ。

P170
子どもである夫と母としての妻という構図は、アルコール依存症の夫婦を例にするとよく見える。妻たちが、アルコール依存症の夫をケアし保護することで、却って夫の回復を阻害してしまうこと、これがそもそもの共依存の語源だった。夫を保護することが、まるで夫に依存しているかのように見えたので、嗜癖者に依存する「共依存」と命名されたのだ。彼女たちは果たして夫に依存していたのだろうか。むしろ、彼女たちは夫に依存しているというより、夫をケアし支配する快感を得、子ども扱いすることで、所有欲を満たされていたのではないだろうか。


最後に、著者は講演に行くとしばしば次のようなことを聞かれるそうだ。
「よくストレスが溜まりませんね、どのようにしてストレスを発散していらっしゃるんでしょうか」
これに対して、次のように書かれている。

P10
そもそも人生の暗部や家族の裏側の話を聞くことにストレスを感じるひとは、こんなハードな職業に就くべきではないだろう。むしろクライエントの話を聞くと、脳内麻薬(エンドルフィン)が放出されるようなひとこそふさわしいと思う。私は明らかにそのタイプの人間なのだ。この上なく悲惨で奇怪な話を聞くことで、人間の不可思議さに触れ、私の頭の中を秩序立てていたパラダイムが音を立てて崩れ落ちる瞬間の開放感を味わう。これを抜きにカウンセラーを続けることなどできないだろう。それはどこか文学を読みふけることで得られる満足感と似ている。

PS
この本を読もうと思ってチェックしたのは2年前のこと。
フリーライター前原政之さんのブログ・紹介文を読んだから。
(この方のブログは興味深い本を紹介してくれて、けっこう参考になる)

【参考リンク】
信田さよ子『共依存・からめとる愛』
 

【ネット上の紹介】
依存は悪ではない。鍵を握るのは依存させる人なのだ。「愛だったはずなのに、なぜ苦しいのか」への明快な答えがここにある。長年、家族援助をしてきたベテランカウンセラーである著者が、愛という名のもとに隠れた支配・共依存を解明する。
[目次]第1章 アダルト・チルドレンと共依存;第2章 共依存とケア;第3章 ケアする男たち;第4章 『風味絶佳』は「風味絶佳」だ;第5章 「冬のソナタ」は純愛ドラマか?;第6章 母の愛は息子を救えるか?;第7章 かけがえのなさという幻想;第8章 暴力と共依存;第9章 偽装された関係