「わたしたちの震災物語 ハート再生ワーカーズ」井上きみどり
井上きみどりさんと言えば「子供なんか大キライ」が有名。
もともと関西出身だけど、3.11の時、仙台に住んでいて被災する。
この作品の特異な点は、NPOの活動に焦点を当てていること。
ホント、いろんなNPOがあって、活動されているのに驚いた。
ただ、そのスタッフの質もピンからキリまで。
そのあたりもきちんと描かれている。
P31
「津波でこどもがひとり亡くなった・・・?」
「でもひとりでも助かって良かったじゃない!」
「不幸中の幸いよ!」
(それは励ましになってないって・・・それより、子どもを亡くした人を他人が励ます必要があるのか?)
(身内でも、むずかしい、と思うけど・・・可能なのは、心に寄り添うことだけ)
P83
避難所で子どもに勉強を教えるボランティア活動を始めようとする話。
それに対する、役所の対応のひどさも描かれている。
「避難所の自治会の審議にかけるので待ってください」
「市と区に許可をもらわないとダメだということになりました」
「区の会議にかけなきゃダメですねー」
結局、市会議員を紹介してもらって根回しをして承諾をもらう・・・あぁ、情けない。
P110
余震に対する、犬と猫の反応が面白い。
犬は余震を予知して、ぐらぐら来る前に車に避難。
猫は余震が来ても、平然と寝ている。
それにしても、様々なNPOがあるのに、感心した。
興味があったら読んでみて。
絵はこんな感じ。↓
【ネット上の紹介】
自らも被災した作者が訪ねた被災地、ボランティア、そして被災者たちの記録マンガ 被災体験 石ノ森萬画館編/赤ちゃん一時避難プロジェクト/日本冒険遊び場づくり協会/被災体験 福島県いわき市編/日本トイレ研究所/学習サポート NPOアスイク/浜のミサンガ 環(三陸に仕事を!プロジェクト)/動物愛護団体 アニマルピース/サンドウィッチマンの7か月/チェルノブイリから学ぶべきこと/危機管理アドバイザーに聞く、女性と防災/宮城県仙台市 井上家の場合
「昭和二十年夏、子供たちが見た戦争」梯久美子
著者は、平成23年、未曾有の震災が日本を襲ったとき、次のようなことを感じたそうだ。
P315-316
きっと子供たちは忘れないだろう。分析したり、言葉で表現したりすることがいまはできなくても、目にした光景は、心の深いところに焼きついて、消えないに違いない。
そんなことを考えたのは、去年から今年にかけて、本書に登場する10人にインタビューしたからだ。いずれも戦争の時代を子供として生きた人たちで、太平洋戦争が始まったときの年齢は、5歳から10歳である。
本書では、10人の著名な方にインタビューが行われている。
相当な下準備をして、臨まれたと思う。
少し、文章を紹介する。
P117、辻村寿三郎さん
三次に移った辻村さん母子は、父が残してくれた畑で麦やジャガイモを育てていた。8月6日の朝も2人で畑に出ていたが、ふと見ると、広島市の方角の空が真っ黒になっている。
「何だろう、あれ」「広島の方だよね」
(中略)
昼ごろになって、焼けただれた人たちが三次の町に押し寄せてきた。
P119、辻村寿三郎さん
原爆ドームのところに水の出る水道があって、そこに孤児になった子供たちが寄り集まっているらしい、という話を耳にしたのは、夕暮れになるころでした。
行ってみたら、みっちゃんが、ふっと出てきたんです。お兄ちゃんと一緒に。そのときの姿を、20年近く経ってから人形にしたのね。それが、あなたがテレビで見たというあの人形です。ええ、みっちゃんが猫を抱いていて。
あの猫はね、冷たかった。死んでる猫だったのよ。みっちゃんもお兄ちゃんも、その後、1年くらいで死んでしまった。
そうです、あの人形は私の原点。まだ30歳になるかならないかのころに作った、ごく初期の作品です。
P230-231、山田洋次さん・・・当時信じられていた「本土決戦」についてのコメント
日本全土に米軍が上陸してくるということは、もう負けということじゃないですか。ましてみんな死んでしまったら当然負けです。それなのに、そうなるまで戦うと真面目に考えている矛盾・・・・・・。
僕は、あのときの日本、そしてあのときの自分を思い出すたびに、いまの時代でも、日本人のほとんど全員が間違えて信じていることがあるんじゃないかという気がして仕方がないんです。だって、あのころの、馬鹿げた政策を推進した日本の政治家たちと、全く人種が違うほど優秀な人たちが戦後の政治を担ってきたとは思えないから。
P295、五木寛之さん
国民の「民」という字は、もともとは目に針を刺すという意味があるんだそうです。物事が見えない、判断できない状態に置かれている者ということですね。そう考えると「民主主義」というのは、実はあまりいい言葉ではないのかもしれません。
P310-311、五木寛之さん
引き揚げてきて内地に上陸すると、女の人たちは「婦人調査部」というところで身体検査をうけなければなりませんでした。レイプされて性病にかかっていないか、妊娠してしないかなどを調べるんです。
敗戦後の混乱の中で暴行を受け、妊娠してしまった人は――これを「不法妊娠」と言ったんですが――トラックで福岡の郊外にある施設に連れて行かれ、堕胎手術を受けさせられたそうです。
当時その仕事にたずさわった日赤の婦長さんという人に話を聞いたことがあります。麻酔なしの手術だったそうですが、泣き声をあげる人は1人もいなかったとおっしゃっていました。それを聞いて、何ともいえない気持ちになりましたね。
当時、人工中絶手術は法律で認められていませんでした。医師法違反に問われる危険を承知で、引き揚げ者のために献身的に働いた医師たちがいたんです。
五木寛之さんは、壮絶な引き揚げ体験をされている。
・・・次の言葉は、とても重い、と感じる。(P312)
引き揚げのことを題材に作品を書くことを僕はしてこなかったんですが、おそらくこれからもしないと思います。
10人すべての方の話を紹介したいけど無理。
実際に読んでみて、文庫本で出てるから。
PS
先日、児童虐待の本を紹介した。
国家による、「児童虐待」、ってのもある・・・「戦争」が、それだと思う。
【ネット上の紹介】
最前線に慰問に行った子がいた。38度線を命からがら逃げのびた子がいた。闇市で働いた子がいた。疎開したり、軍国少年だったり、満洲にいたり…。そしてみんな終戦の時、普通の子供だった。そんな彼らの目に、大人たちは、戦争は、日本の未来はどのように映ったのか。10人の著名人が語った10の戦争、10の戦後、大宅壮一ノンフィクション賞受賞の作家が綴った、あの戦争の証言を聞くシリーズ、第3弾。
[目次]
私は疎開してみたかったのね。違うところに行ったら、違う世界が見えるんじゃないか。別の運命があるんじゃないか。そう思ったの。(角野栄子)
そうしたらね、入ってきたんですよ。ジープを先頭に。ついこの前まで、鬼畜米英と思っていたんだけど、目の前で見ると、やっぱり輝いて見えてしまう。(児玉清)
僕は、いい時代に育ったと思っているんです。敗戦直後の、ものすごく自由で解放された雰囲気。誰もが貧しかったけれど、活気があった(舘野泉)
原爆ドームに行ってみたら、ふっと出てきたんです。ええ、みっちゃんが猫を抱いていて。あの猫はね、冷たかった。死んでる猫だったのよ。(辻村寿三郎)
あのころは女学生も来て、僕の見ている前で打っていた。僕、聞いたんですよ。「なんでヒロポン打つの」って。そしたら「痩せたいから」。(梁石日)
出征した担任教師が戦死。これからまだまだ、いろいろなことが起こるにちがいないと思いました。とにかく憂鬱でした、世界が。(福原義春)
ええ、私にはわかっていました。この人たちはもうすぐ死んでいくんだって。一度飛び立ったら還ってきてはいけないということも。(中村メイコ)
終戦後の大連ではコックリさんが大流行しました。大の大人が「コックリさん、コックリさん、私たちはいつ帰れますでしょうか」とやる。(山田洋次)
僕はたぶんあのとき、心底怖かったんだと思います。もしかしたら僕があの浮浪児になっていたかもしれない。何かが間違ったら、あの少年は僕だったかもしれない、と。(倉本聰)
少なくとも兵士は銃を持って戦場に出た。でも一般の市民は、誰も守ってくれない無法状態の中に丸腰のまま放り出されたのです。(五木寛之)
「誕生日を知らない女の子 虐待-その後の子どもたち」黒川祥子
すさまじい内容である。
世の中に、これほど酷い親がいるのか。
でも、現実は枚挙にいとまがない。
虐待を受けた子どもは保護される。
養護施設に入ったり、里子になったり。
それで、一安心なのか?
P24著者の言葉
「殺されずにすんで」児童相談所によって保護された子どもたちは、それで一件落着なのか。そうではなかった。
ならば、保護された膨大な子どもたちの「その後」に何が待っているのか。そこに、きちんと光をあてなければいけないのではないか。何よりも、まずはこの目でありのままを見ていきたい。
P38里子を引き取って育てている里親の言葉
「私は里子を預かるまで、子どもは愛情さえあればスクスク育つものだと思っていました。実子はそうやって育ちましたから。三歳の男の子が里子に来てから、妻は一年間の記憶がないと言います。私もまだつらくて話せない。ひょっとしたら殺してしまうかもと思ったこともあります。正直、子どもへの怒りが湧くこともありました」
P51保護されて里子になったみゆちゃんの夢
「みゆちゃん、怖い夢を見たの?」
「声がするの。お母さんのコワイ声がするの。『おまえなんか、連れて行ってやる。こんなところで幸せになったらだめだ。おまえなんか、不幸にしてやる。おまえみたいなやつはだめだ。おまえなんか、ぶっ殺す』って・・・・・・」
それは、実母の声だった。
P116
2008年2月1日に行われた「児童養護施設入所児童等調査結果」によれば、養護施設の場合、両親の虐待・酷使が14.4%、両親の放任・怠惰が7.6%、両親の行方不明が6.9%と、それぞれ個別にさまざまな事情があってのことだろうが、数字だけを見ていると親の身勝手さに眼を覆いたくなる。
P213
一般に「親の、子への愛は無償だ」と言われているが、虐待を見ている限り、それは逆だとしか思えない。子の、親への愛こそが無償なのだ。
P231虐待を受けた子どもが、年齢を重ねて母親になった場合はどうか?
それにしても、わが子に愛情を注ぎ、普通の親と同じように育てようとすればするほど、自分の過去と向き合わざるを得ないということを初めて知った。「してもらえなかった自分」の悔しさや悲しみが子どもの成長の節目ごとに湧きあがってくるのが、被虐待児にとっての子育てなのか。だとすれば、それは何と困難なことだろう。
児童問題に興味がある方に、一読をお薦めする。
2013年第11回開高健ノンフィクション賞受賞作である。
【おまけ】
今年放映された日本テレビのドラマ『明日、ママがいない』について、黒川祥子さんが、次のようにコメントされている。(押さえておきたい箇所を、私が抜粋した)
何らかの問題によって親から離れて暮らしている子どもは、深い喪失感を持っています。「無条件に愛してほしい」という子どもなら当然の願いが叶えられていないからです。その喪失感や、その喪失感を周囲の大人がどう受けとめていくかについてを描いてほしい。そこが一番大切なポイントだからです。主人公がヒーローのように周囲の子を助けて、勧善懲悪のドラマにするのではなくて。芦田愛菜さんが演じている子こそ、自分の心にふたをしてしまっている子です。「つらい環境でも、子どもたちは健気に生きています」だけで終わってはダメだと思います。
施設出身者の子たちに、「このドラマについてどう思う?」と聞いたら、「フィクションだと思った」と言っていました。その理由を聞いたら、「子どもたちの関係がフラットだから」と。子どもたちの間に階層があって、「ボス」からいじめられることもある。芦田愛菜さんが演じる主人公と新入りの女の子がすぐに仲間になることこそ嘘くさいと。出身者だからこその言葉だと思いました。
全文は次のとおり
→虐待受けた子どもたちを取材した著者が語る「明日ママ ...
【ネット上の紹介】
心の傷と闘う子どもたちの現実と、再生への希望。“お化けの声”が聞こえてくる美由。「カーテンのお部屋」に何時間も引きこもる雅人。家族を知らず、周囲はすべて敵だった拓海。どんなに傷ついても、実母のもとに帰りたいと願う明日香。「子どもを殺してしまうかもしれない」と虐待の連鎖に苦しむ沙織。そして、彼らに寄り添い、再生へと導く医師や里親たち。家族とは何か!?生きるとは何か!?人間の可能性を見つめた感動の記録。2013年第11回開高健ノンフィクション賞受賞作!
[目次]
第1章 美由―壁になっていた女の子
第2章 雅人―カーテンのお部屋
第3章 拓海―「大人になるって、つらいことだろう」
第4章 明日香―「奴隷でもいいから、帰りたい」
第5章 沙織―「無条件に愛せますか」
「セラピスト Silence in Psychotherapy」最相葉月
読みごたえがあった。
「目から鱗」の数々・・・なるほど、そうなのか!、と。
なぜ、この本を著したのか、について、著者自ら次のように書かれている。
P321
守秘義務に守られたカウンセリングの世界で起きていることを知りたい。人はなぜ病むのかではなく、なぜ回復するのかを知りたい。回復への道のりを知り、人が潜在的にもつ力のすばらしさを伝えたい。箱庭療法と風景構成法を窓とし、心理療法の歴史を辿りたい。セラピストとクライエントが同じ時間を過ごした結果、現れる景色を見てみたい。思いはたくさんあった。
さて、内容について、興味深い箇所を列挙していく。
P79
ところが、そのうち、いくら分析しても治らないケースが現れるようになった。(中略)分析で治るというのは、分析そのものよりも、人の話をじっと聞いてくれるとうことが功を奏したとは考えられないか。つまり、相手の話を丁寧に聴くことのもたらす力に気づいた。これがのちに、カウンセリングと呼ばれるようになったものである。
P113
とかく日本の教育者とか宗教家など、りっぱな人は、説教するのが非常に好きでして(外国人はこれほど説教するのが好きではないですが)、そういう日本の教育者の説教ぐせに対して、ロジャースの理論はそれを真っ向うからぶちこわす役割をもった。
P158
ところが、精神分析に限らず、19世紀末、西洋近代に誕生した臨床心理学のほとんどの理論では、意識すれば治る、が大前提となっていた。
P234
統合失調症は認知機能の低下によるものと考えられている現在からみると信じられない話でしょうが、私が学生だった80年代初頭までは、人格水準の低下に陥る人格の病だと教わっていたのです。人の中心に人格があって、それがやられる病だというのです。
P288
「精神科医と心理士は別ものと考えています。医師は、人間の生命をより長く持続させることを目的としています。一方、心理士は、その人個人がいかに自分を生きるか、それに徹底して寄り添うことが目的です」
P289河合隼雄「幸せな死のために」からの引用・・・聞き手は井田真木子
「ユングの理論はあなたにとってものすごく有用なときがあるんです。それは、しかし、あなたにとってですよね。すべての人にとってではないです。
ユングの理論をあなたに適用するとか、フロイトの理論をあなたに適用するというのは間違っているというのが、僕の考え方なんです。
でも、それをやるサイコロジストがすごく多い。それでみんな迷惑するわけ」
P295-296、2007年、病に倒れる直前の河合隼雄のインタビュー
「対人恐怖症は、今はほとんどなくなってきたんです。(中略)今は葛藤なしにポンと引っ込んでしまうんです。赤面恐怖の人もものすごい減っています。(中略)それがなくなってきてる代わりに、途方もない引きこもりになるか、バンと深刻な犯罪になるか」
引きこもるか、深刻な犯罪を引き起こすか。両極端のようでしてその違いが紙一重であることは、数々の凶悪犯罪が証明している。
(中略)
境界例とはパーソナリティ障害の一型で、もとは神経症と精神病の境界領域にあるという意味で「境界例」と名付けられた。親子関係や恋人関係、治療者との関係など二者関係にこだわり、しがみつく。相手を賞賛し理想化したかと思うと、こき下ろす。すさまじい自己主張をし、相手に配慮することはない、などの特徴がある。(中略)
因果関係は定かではないが、バブル経済の形成過程で臨床家たちが境界例の患者と接する機会が増えたと実感していたことは確かである。
ところが、境界例のクライエントも1990年代に入ると徐々に減少し、代わって解離性障害が増加する。(中略)
しかし、この解離性障害もやがて流行が去り、とくに典型的な多重人格のクライエントはあまり見かけなくなる。
代わって、今世紀に入ってから目立つようになったのが、発達障害である。(中略)
発達障害には、授業中や座っているべきときに席を離れてしまう「多動性」や「不注意」、含みのある言葉や嫌みをいわれてもわからず、言葉どおりに受けとめてしまうことがあるなどの「対人関係やこだわり等」に特徴がある。
(引きこもりが犯罪予備軍と曲解されかねない表現は抵抗を感じる。また、境界例が減ってきたと言うが、ストーカーやモンスターペアレントは、境界例のバリエーションのように思える。彼らは自ら受診しないので、症例としてカウントされないのではないか?・・・クレームをつけて申し訳ない。byたきやん)
P301
ところが、近代に入り、「主体の確立」が要請されるようになって、それに応えられない人たちが出てくるようになった。第二次産業化が、それに適応できない人たちを統合失調症としてはじき出し、第三次産業化が、発達障害を生み出した。
P308
「人が変わるって、命がけなんです。時には怒りにもなる。あいつのせいで変わった、といって治療者を殺しにいった人もいますから」
殺しにいった?
「アメリカでは実際にあったことです。つまり、いくら歪んでいても、おかしいといっても、そうなっていることに必然性があるんですね。不登校だった子が、学校に行けるようになってよかったと素直に喜べるほど単純なことではないんです。そこを治療者がわかっていなくて、ああよかったと思っているときに自殺したりするんです」
【ネット上の紹介】
密室で行われ、守秘義務があるため、外からはうかがい知れない。呼称や資格が乱立し、値段はバラバラ。「信頼できるセラピストに出会うまで5年かかる」とも言われる。「心」をめぐる取材は、そんなカウンセリングへの不審と河合隼雄を特集した雑誌の、ある論文をきっかけに始まった。うつ病患者100万人突破のいま、現代人必読のノンフィクション。
[目次]
逐語録
第1章 少年と箱庭
第2章 カウンセラーをつくる
第3章 日本人をカウンセリングせよ
第4章 「私」の箱庭
第5章 ボーン・セラピスト
第6章 砂と画用紙
第7章 黒船の到来
第8章 悩めない病
第9章 回復のかなしみ
【おまけ】
この本とは関係ないけど、以前、最相葉月さんが米原万里さんの「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」を、評されたことがあって、リンクしたことがある。
再度、リンクしておくので、よかったら読んでみて。
→【本の達人 電子書籍を読む】嘘つきアーニャの真っ赤な真実 [著]米原万里
岩田山(嵐山モンキーパーク)に登った続き。
せっかく嵐山に来たので、嵯峨野を散策した。
観光地だけあって、外人が多い。
東洋人(中国人と韓国人)が多い、と感じた。
ただし、岩田山はほとんど西欧人(白人)ばかり。
この違いは何だろう?
欧米人は、自然と動物を楽しもうと考え、
東洋人は、自国にない景観を見たいと思い、
日本人は、ご馳走を食べて、お土産を買いたいのか?
渡月橋の近くを歩いていると、
韓国の若い女性人2人が、
「チクリンチクリン」、と尋ねてきた。
これは韓国語?、英語?
「???」と、疑問符で頭が満たされる。
察しの悪いオヤジに業を煮やしたのか、スマートフォンの画像を見せてくれた。
「チクリン」=「竹林」であった。
なんだ・・・。
私も、岩田山を登った後、定番の「竹林の道」に足を運んだ
竹林より、このような普通の風景の方が好ましい
祇王寺に移動・・・ここは平家物語ゆかりのお寺なので、押さえておきたい(苔が絶妙)
鳥居本町は昔ながらの町並み続く
石仏が似合う散策路である
今回のルートは、JTBのMOOKを利用して調べた
(時間がないので、効率よく回って、すみやかに帰宅したい)
中身は、こんな感じで、詳しく載っている
本を買ってまで歩きたくない、と言う方は、『阪急電鉄によるサイト』をリンクしておく。
【リンク】
→嵐山なび
【おまけの情報】
押さえておきたい場所は、他にも色々あるでしょうが、好みにより色々見所が異なる。
山岸凉子ファンの方は「化野の・・・」を思い出すでしょうね。(「夏の寓話」(潮出版社)収録)
化野(あだしの)念仏寺は、昔訪ねたときは、もっとおどろおどろしい雰囲気だった。
今回は、やけに小ぎれいに観光地化されており、がっかり。
野宮神社は、源氏物語ゆかりの神社。
縁結びと子宝安産の神社でもあり、妙齢の女性が大勢参拝されていた。
私も足を踏み入れたが、場違い感あふれ、早々に退散。
鳥居本町をさらにつめると、清滝トンネルを経て、愛宕山に行くことが出来る。
ただ、京都随一の心霊スポット、とのこと。
心して、足を踏み入れて欲しい。(私は行きたくない)
【会計報告】
嵐山モンキーパーク、550円
祇王寺、300円
化野念仏寺、500円
みたらし団子、3串300円
狸の置物、450円
ういろう、490円
絵はがき、600円
嵐山にある岩田山に登ってきた。
岩田山=嵐山モンキーパーク、である。
阪急嵐山駅から歩くこと約5分。
神社の境内に入り口(登山口)がある。
京都市内を一望できて、眺望良好。
ここが山頂、おサルさん登場
まだ、子ども・・・何歳ぐらいなんだろう?
木の上でひと休み
いすの下でひと休み
90%が西欧人か・・・嵐山に来て山に登る日本人は少ない(たまたま?)
嵐山と言えば渡月橋(正面が小倉山▲296、右奥が愛宕山▲924、左の山が岩田山であり、嵐山)
【資料】
岩田山=嵐山モンキーパークは、神社の境内に入り口(登山口)があると書いたが、
櫟谷・宗像神社(お金と縁結びの神社、松尾大社摂社)のこと。
→モンキーパークいわたやま
「いちえふ」(1)竜田一人
サブタイトルが「福島第一原子力発電所労働記」。
内容を端的に表現している。
福島第一原発で働いていた著者が描く『ルポルタージュ漫画』。
「いちえふ(=1F)」とは福島第一原子力発電所の通称。
「F」は福島。「1」は第一。
(原作によると、『現場の作業員や地元住人は「フクイチ」ではなく「いちえふ」と呼ぶ』、そうだ)
原発推進でも、反原発でもない。
日常作業が、淡々と描かれる。
このような現実の前には、イデオロギーが色あせる。
マスクの種類、付け方が詳細に描かれる
建物の配置、休憩場所等、実際働いた者にしか分からない
傷跡は、深く残されている
【ネット上の紹介】
新人賞MANGA OPENの大賞受賞作として「モーニング」に掲載されるやいなや読者、国内外のメディアからのすさまじい反響を呼んだ話題作がついに単行本化! ここに描かれるのは「フクシマの真実」ではなく、作者がその目で見てきた「福島の現実」だ。「メディアが報じない福島第一原発とそこで働く作業員の日常」、そして「この先何十年かかるともしれない廃炉作業の現実」を、あくまでも作業員の立場から描写。「この職場を福島の大地から消し去るその日まで」働き続ける作業員たちの日々を記録した、いま日本に暮らすすべての人たちに一度は読んでみてもらいたい「労働記」です。
蓬莱山に登ってきた。
と言っても、びわ湖バレイのケーブルから。
実質登ったのは、山頂駅の打見山(1108m)から蓬莱山(1174m)まで。
時間がないので、滞在時間は2時間弱。
それでも、眺めが良くて、けっこう楽しめた。
この水仙が見たかった。(だいぶ枯れていたからもう少し早く来るべきだった)
眺めは最高、琵琶湖大橋が見える。
ハイカーの皆さんもくつろいでいる様子
打見山山頂に、ケーブル駅が見える
琵琶湖で一番大きな沖島が見える・・・その奥が安土城跡
諸事情により、あまり留守に出来ない。
今後も、短い時間で楽しめる山行が続く見込み。
軟弱、と言われそうだが、ご容赦。
【覚書】
次回は琵琶湖の地図を持っていこうと思う。
小谷城跡とその周囲を確認したい。
もう一つ、覚書として、地上よりかなり涼しい。
むしろ、肌寒いくらい。さすが、1000m級の山である。
すぐ、ジャケットを羽織った。
【参考リンク】
びわ湖バレイ|グリーンーシーズン
「ハルカの空 南アルプス山岳救助隊K-9」樋口明雄
昨年「天空の犬」という作品を紹介した。→「天空の犬」樋口明雄
救助犬・メイとハンドラー・夏実の活躍を描いている山岳小説。
本作品は、その続編。
前作同様、南アルプス・北岳が舞台。
今回は、短編集。
次の5編が収録されている。
沈黙の山
ランナーズハイ
サードマン
ハルカの空
NO WAY OUT
夏実が主人公なのは、「沈黙の山」「NO WAY OUT」・・・前作と比べると、夏実も成長して頼もしくなった
「ランナーズハイ」は、神崎静奈が主人公
「サードマン」は、関真輝雄が主人公
「ハルカの空」は、大学3年の天野遙香の視点で、山小屋と山岳救助隊が描かれる。
少し、文章を紹介する。
P98
もっとも環境へのインパクトという観点からすれば、人間ほど自然にとって脅威はない。いったん火のついた登山ブームはとどまるところを知らず、この先、登山人口はますます増えるはずだ。さいわいながら、この北岳において、誰かがライチョウを脅かしたとか、逃げるのを追いかけたなどという話は耳にしていない。
昨今、爆発的に増えてきた若い登山者たちだが、彼らはむしろブームの火付け役だった中高年ハイカーよりもマナーがいいという話をよく耳にする。山に登るということのルールを、自分たちなりに理解しているからなのだろう。
【蛇足】
また、誤植の話。
慌てて印刷して、しっかり校正しなかったのでしょうか?
(鬼の首を取ったようで申し訳ない)
P107
神奈川共立大学病院にする内科医だった。(誤り)
↓
神奈川共立大学病院に勤務する内科医だった。(正)
さらに、P114で、『登攀』という言葉が使用されているが、この場合、不適切と思うが、どうだろう。
↑これが前作「天空の犬」
犬好きな方は、この表紙だけで読みたくなるかも?
【ネット上の紹介】
軽装で山の中を駆け巡るトレイルラン。自信に満ち溢れた走りをする大学生。小さな気の迷いが大きな事故に――「ランナーズハイ」。山小屋でバイトをはじめた女子大生は、マナー違反の登山客に愕然。しかしそこは“命”を預かる場所でもあった――「ハルカの空」。登山で妻を亡くし、すっかり抜け殻となってしまった男。かつて山岳救助隊に救われた過去が――「孤高の氷壁」。汗光り涙伝う、犬とともにある本格山岳小説全5篇。特別書下し短篇も収録。
「風のささやき―介護する人への13の話」姫野 カオルコ
この作品のことを知ったのは、朝日新聞の記事から。
2014年3月28日朝日新聞
・・・姫野カオルコ、1958年滋賀県甲賀市生まれ。
89年に父が脳梗塞を起こす前から滋賀県と東京を往復。
2000年ごろ母が認知症になり他界するまで計20年以上、通い続けた。
介護の経験から感じたこと、その年月の中で、知り合った方々の経験。
それらを「小説」の形式にして発表したのが「風のささやき」である。
P6
こうした年月のあいだに、病院やグループホームや特養で、自分と同じように親族を介護されている方と接触します。そのときには妙な誤解はありません。「うちの母親はこれこれしかじかでねえ、あるときなんかねえ・・・・・・」と打ち明けて下さると、私も「ああ、うちもですよ・・・・・・」と肯く。
これだけです。これだけで、救われる心地になることがよくありました。他の人の胸の内を、つかのま聞くことで、自分の力にすることができたのです。事実をもとにして書き手を濾過した、と申しましたのは、こういうことです。
興味のある方、読んでみて。
介護と言っても、様々な問題を含んでいる。
目次を見てみて。
いろんな人がいるのが分かる。
状況や立場で、様々な違いも出てくる。
日本中で、多種多様な問題が起きてるんでしょうね。
道路を走っていると、デイサービスの車をよく見かける。
10年前には、なかった光景だ。
さらに10年後、団塊の世代の20%が認知症、要介護になったら、どうなるんでしょう?
保険+設備もろもろ・・・行政は対応出来るんでしょうか?
【ネット上の紹介】
情愛、葛藤、焦燥、後悔…この日本のどこかで、言葉にできない心の叫びに押しつぶされそうになっている人たち。著者が遭遇した実話をもとに綴る、介護する人のささやき。心に沁みる愛と哀しみの全13話。介護する人の胸の内をえぐり取った掌編小説。
【目次】
同窓会―本多彩子(静岡県・44)
やきめし―長森美智子(群馬県・53)
エリザベス一世―内藤伸治(神奈川県・49)
ハッスル―保木本ゆり(鳥取県・44)
夢の超特急―水野千春(愛知県・45)
衣斐さんと、衣斐さんの奥さんのこと―加藤麻菜(岐阜県・22)
年をとってよかったこと―佐伯理恵(埼玉県・50)
横浜なんかに住んでてすみません―赤江朋子(神奈川県・43)
偽善者―越智淑絵(愛媛県・47)
ぱたぱた―菊池典子(岩手県・44)〔ほか〕
「教科書に載ってないUSA語録」町山智浩
流行している言葉、話題になった語彙からアメリカの現状をレポート。
415ページの分厚い本だけど、最後まで楽しく読めた。
その辺の大学教授や新聞記者より、よっぽどアメリカの実情をとらえている、と思う。
P44
フレネミーとはFriendとEnemyの合成語で、「友達ぶった敵」という意味。アメリカでは50年代からある言葉らしいが、最近TVドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』で使われ流行した。
P179
マリスト大学が1020人のアメリカ人にアンケートして集計した「イラっとさせられる言葉」の第1位はWhatever(何でも)だった。
WhateverはWhat(何)の強調。「たとえ何が起きても君を守る」とか「あなたの作る料理なら何でも好き」みたいなポジティブな「何でも」もあるが、イラつくのは投げやりな「何でも」。
「君のためを思って言ってるんだよ」という彼氏に対して、彼女はそっぽを向いて「Whatever(何でもいいわ)」と言い捨てる。つまり「どうでもいい」「勝手にすれば」。これをWhatever!と強く言ったら完全にキレている。女性は「ファック・ユー」の代わりにこれを使う。
ちなみに、2位から5位の“イラつく言葉”は次のとおり。(P176-178)
2位・・・Like(みたいな~)(えーと)
3位・・・You know what I mean?(言ってることわかる?)
4位・・・Actually(実際)
5位・・・To tell the truth(実を言うと)
P186
「血の中傷(Blood Libel)」は、かつてヨーロッパで流布した「ユダヤ人は祭りで食べるパンに、殺害したキリスト教徒の血を混ぜている」というデマを指す言葉で、ユダヤ人迫害を助長した。
・・・ペイリンはこの言葉を不用意に使用したそうだ。
この本には、ペイリンが数多く取り上げられるが、もうボロクソ。
本人が悪いというか、自爆のタネを自分で蒔いているのだけれど。
P226
南北戦争観の対立は、大東亜戦争をアジアの開放と見るか侵略と見るかの対立に置き換えるとわかりやすいだろう。日本も南部も「合衆国」に徹底的に焼き尽くされた。150年経っても南部は恨みを忘れない。日本は?
P296-298
スティーブ・ジョブズについて書かれている・・・印象が180度変わる
英デイリー・メイル紙が中国のiphone工場に潜入取材した記事は衝撃だった。
24時間年中無休の工場で16歳以下の少年少女たちが1日15時間働かされている。2010年に労働者が10人以上自殺し、アップルは労働環境改善に乗り出したが、労働環境基準に達している工場は半分にすぎない。
ジョブズはアメリカの従業員に対しても容赦なかった。フォーチュン誌によると、ジョブズは、失敗したクラウドサービスMobileMeの担当者を他の社員たちの前で、30分にわたって徹底的に罵倒してから更迭した。彼はコントロール・フリークだった。何でも自分の思いどおりに支配したい。だからアップルの互換機を他社に作らせない。関連商品も自分の許可なしに売らせない。
【ネット上の紹介】
連載中の人気コラム「言霊USA」、待望のペーパーバック化です。新聞、テレビ、ウェブでは分からない超大国アメリカの素顔を、現地在住の著者がレポートしています。登場するのは、イスラム教徒扱いをされるオバマ、トンデモ発言でおなじみのペイリン、上場が落胆に終わったフェイスブック、過激なティーパーティ勢力、ウォール街のプレイヤー、民主主義を主張するレディ・ガガ、ギャル語を話すアメリカの女子高生など。本書のポイントは、「日本人の知らないアメリカ語」を引きつつ解説しているところです。Frenemy (フレネミー)=友だちぶった敵、Chinamerica (チナメリカ)=中国とアメリカの運命共同体、Greater Fool Theory(グレーター・フール・セオリー)=もっとバカがいる理論、Nothing,,, (ナッシング)=別に、、など。アメリカ国内を騒がせたこれらの名言、失言、流行語を通して、政治や経済の仕組みから、キリスト教原理主義、ネット業界の最新動向、陰謀論の真偽、今のアメリカを知ることができます。ちなみに映画監督クリンスト・イーストウッドの「アメリカは今、ハーフタイムなんだ」という言葉に、自信を失ったアメリカ国民はみな涙を流したとか。連載でタッグを組んでいる漫画家・澤井健さんによる、ギャグセンスあふれる爆笑イラストも収録しました。まさに町山ワールド全開!一級のアメリカ批評本です。
平成26年5月10日朝日新聞・夕刊より・・・
日本三大渓谷の大杉谷登山道が4月25日、10年ぶりに全線開通した、との記事。
奈良・大台ヶ原登山口から渓谷へのルートが復活したそうだ。
2004年(平成16年)の台風で山の斜面が大崩落して、不通となっていたため。
新たな登山道は、直径5mを超す岩の間に設定されている。
【参考リンク】
→桃の木小屋
「瓜子姫の夜・シンデレラの朝」諸星大二郎
久しぶりに、諸星大二郎作品を読んだ。
最後に読んだのは、次の2作品。
「トゥルーデおばさん」
「スノウホワイト」
どちらも、グリム童話を元ネタにした作品。
本作品も、上記2作品と同系列。
ただし、グリムだけでなく、日本、中国の作品も取り込んでいる。
諸星大二郎作品が好きな人は、読んでソンはない。
特に良かったのは、「竹青」の話。(元ネタは、「聊斎志異」)
シンプルな冒険活劇に仕上げているけど、面白かった。
「竹青」より・・・カラスに変身するシーン
「シンデレラの沓」より
「瓜子姫とアマンジャク」より
【関連図書】
「スノウホワイト」 「トゥルーデおばさん」
【ネット上の紹介】
古今東西の童話や民話を諸星流にアレンジした、魅惑的なブラック・メルヘン!!『瓜子姫とアマンジャク』、『シンデレラの沓』、『見るなの座敷』、『悪魔の煤けた相棒』、『竹青』の5編を収録。諸星ファンにとっては絶対見逃せない一冊です。
「リアスの子」熊谷達也
「七夕しぐれ」「モラトリアムな季節」に続く、3部作最終巻。
大学卒業後、教師となった和也を描く。
和也は、故郷の宮城県北部の港町の中学校で数学を教えている。
著者は、元教師だけあって、教室の様子、生徒への対応、教師集団の描かれ方がリアル。
P102
教育現場で不登校の問題が頻繁に取り上げられるようになってきたのは、ちょうど昭和から平成に年号が変わったあたりからだ。ただし当初は「不登校」という名称よりも、「登校拒否」という呼び方の方が一般的だったように思う。いずれにしても、無理やりにでも学校に来させる、という指導から、場合によっては来ないのもあり、あるいは、無理に登校刺激を与えてはいけない、という方向へと教育現場が舵を切り始めた時期でもある。
P201
子どもの世界は大人の世界とは違う力学で動いている。けれど、断絶しているわけではなく、両者は緩やかに連続している。どうとでも解釈できるような、ある意味逃げの言い方かもしれないけれど、それが真実に一番近いのではないかと思う。
そのふたつの世界を行ったり来たりすることを必然的に課されているのが学校の先生、という存在なのだろう。
本作でもナオミが登場。
ここまでくると、偶然が重なりすぎる。
著者の『サービス』ではないか、と思う。
(登場させてくれて嬉しいけど)
P254で、ナオミ先生の女生徒分析は鋭い・・・男性に媚びるタイプは、同性に嫌われる?
「(前略)女子の世界って、そういうところも互いに了解した上で力関係ができてグループ化するので怖いんですけど、誰から見ても明らかに媚びているよねえ、っていうくらい露骨な子もいれば、本人は意識してこびを売っているわけじゃないにしても、そんなオーラというか信号みたいなものを出している子もいます」
これにて3部作終了。
おもしろかった!
【ネット上の紹介】
大学卒業後、教師となった和也は埼玉の中学校をへて、故郷の宮城県に戻ってきた。都会とは異なる港町・仙河海市の中学校に赴任。のどかな雰囲気と濃密な人間関係にも慣れたころ、3年生の担任となる。新しいクラスには、転入生がいるのだが、その生徒・早坂希は、何かしら問題を抱えているようだった。そこで、陸上部の顧問でもある和也は教え子たちに一役買ってもらおうとするが…。かつて気仙沼の中学校で教壇に立っていた著者が、教師と生徒における「信頼」という小さな積み重ねの大切さを丹念に描く。
「モラトリアムな季節」熊谷達也
『七夕しぐれ』の続編。
1970年代・・・おそらく後半が舞台。
大学受験に失敗した和也は、仙台の予備校に通うため独り暮らしを始める。
他の作品を間に挟んで、一拍おく予定だった。
でも、続きが気になってしかたない。
そんなわけで、『七夕しぐれ』を読み終わった翌日、図書館を訪問。
(ネットで検索、在庫を確認して行った)
帰宅してすぐ読み始める。
こちらも一気読み。
満足、満足。
PS
読みながら、私自身も、思春期の頃を思い出しながら読んだ。
次は、シリーズ最終巻「リアスの子」。
【ネット上の紹介】
大学受験に失敗した和也は、仙台の予備校に通うため独り暮らしを始める。思うように成績が伸びず鬱屈した気分のなか、頭をよぎるのは小学校5年生のときに住んでいたO町の仲間たちのことだった。和也に大きな影響を与えた特別な存在。目の前の現実と向き合いながらも、過去に思いをはせる和也だが、ある日、O町の仲間の一人であり、かつて恋心を抱いていたナオミと劇的な再会を果たす。すでに高校時代の彼女とよりを戻しつつあった和也だったのだが…。昭和50年代を舞台に、主人公の姿をみずみずしく描写した青春物語。話題作『七夕しぐれ』の続編、満を持しての登場。