特集:ダグラス・サーク・ナイト
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ダグラス・サーク小論
総合
100点
ストーリー
0点
キャスト
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演出
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ビジュアル
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音楽
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先日『心のともしび』(1954年)、『天はすべて許し給う』(1955年)、『翼に賭ける命』(1957年)、『愛する時と死する時』(1958年)、『悲しみは空の彼方に』(1959年)を続けて観る機会があったので簡単に感想を記しておきたい。
ダグラス・サーク監督作品はどれも一見すれば良質のメロドラマなのであるが、どの作品にも強烈なアイロニーが隠されている。
例えば『心のともしび』では‘受けた善意の他言無用’というフィリップス医師の信条を主人公のボブ・メリックは実行しようとするのであるが、どうしても自分の手柄を言いたくなってしまうことは人情であり、その結果フィリップス医師の妻のヘレンを失明させる事故に遭わせるなどますます状況は酷くなっていく。そもそもこのようなフィリップス医師の信条は明らかにされなければ作品が成り立たないというパラドックスを孕んでいる。
『天はすべて許し給う』は裕福な未亡人のケリー・スコットと若い庭師であるロン・キルビーの世間的に許されない恋が描かれているのであるが、友人や2人の子どもたちに結婚を反対されてケリーはロンとの結婚を断念したにも関わらず、だからといって2人の子どもたちはケリーと一緒に暮らすわけではなく、プレゼントしたテレビでも見て暇を潰せというように家を出ていき、陰口をたたいていた彼女の友人たちもケリーの幸せを保証してくれるわけではない。
『翼に賭ける命』はラストで新聞記者のバーク・デヴリンが曲芸飛行ショーで夫を亡くしたラヴァーン・シューマンに渡した一冊の本の話から始めてみたい。その本は1918年に発表されたウィーラ・キャザー(Willa Cather)の『マイ・アントニーア(My Antonia)』である。川本三郎氏の書評で粗筋を記してみる。「これは、十九世紀後半、移民の子供としてネブラスカにやって来て、いくたの困難に打ち勝ちながら農家の女性として十一人もの子供を育てあげたアントニーア(トニー)という、大地に根ざして生きた、女性の物語なのだから。/語り手の『ぼく』はニューヨークに出て成功し、鉄道会社の法律顧問をしている。大都市で暮らしているが心はいまもネブラスカの田舎にある。そしていま、子供の頃に知り合ったトニーのことを懐かしく思い出す。親愛をこめて彼女の大地母神のような暮らしを語る。/『ぼく』は十歳の時、ネブラスカで農場を営む祖父母に育てられる。そこでボヘミア移民の子供トニーと知り合う。『ぼく』より四歳上。慣れない農場の仕事に苦労する両親をよく助けて働く。/『あたしはこの土地を立派な農場にする手伝いをするんだ』。ネブラスカは大平原の土地で夏は暑く、冬は寒い。開拓農家にとって暮らしは厳しい。文化からも遠く離れている。その厳しさに耐えかねて父親は自殺してしまう。トニーは一家を支えるために懸命に働く。/(…)/トニーは町に出て結婚するが失敗し、故郷に戻ってくる。そして再婚し、農場を営み、子供の頃、夢見たように『立派な農場』を作り上げていく。十一人もの子供を育てながら。『あたしは、麦藁の山の一つ一つ、一本一本の木を知っているところに住みたいの。大地があたしを受け入れてくれるところにね』」(「今週の本棚」毎日新聞朝刊 2011.3.6)。この本の内容の通りに、『翼に賭ける命』は終戦後に目的を失った男たちを尻目に、それまで男たちに翻弄されていたラヴァーンが自立するまでが描かれることになる。
『愛する時と死する時』は作品の中盤でポールマン教授に「私は神を信じている」と言わせておきながら、作品の冒頭でロシア人の民間人を銃殺刑で射殺した後悔の念に耐えられず拳銃自殺する、主人公のエルンスト・グレーバーの同僚のヒルシュラントを、作品のラストで同僚を射殺してまで助けたロシア人たちに射殺されるエルンストを描き、殺すことも殺さないことも信心の篤さは全くの無力であることを明るみにしてしまっている。
そしてついにダグラス・サークは『悲しみは空の彼方に』において人種問題をテーマにする。アフロ系アメリカ人のアニー・ジョンソンには白人男性との間にできた娘サラ・ジェーンがいるのだが、2人は絶えず人種問題で口論になってしまう。色白の娘サラ・ジェーンと母親が口論になるということは人種問題というものは肌の色ではなく、出自の問題なのであり、2人が口論すればするほど人種差別の深刻さが明るみにされてこの作品を観ている白人は良い気分になりようがないのであるが、サークはあくまでも色に拘り、スティーヴ・アーチャーと乗馬を楽しむスージーが乗っている馬を黒馬に、ラストでアニー・ジョンソンの棺が載っている馬車を引く馬を全て白馬にすることで畳みかける。
当時ダグラス・サークの作品の評判が良くなかったのだとするならば、このようなメロドラマという装いとは裏腹の過激な皮肉が込められていたわけであり、映画としての出来も申し分がないために文句を付けることもできず、結果としてますます敬遠されたであろうことは想像に難くない。
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菅直人において“庶民派”とはお金の問題ではなくて、“家族思い”を指すのだと思う。
伸子夫人を会談に同伴する意図は政治活動に携わっていない“庶民”視点の意見を
求めるためなのであろうし、もしかすると“イクメン”的なイメージを得ようと必死なのかも
しれない。しかし菅直人の長男である菅源太郎が口にした「内閣総理大臣の長男が
お邪魔しました」という言葉は選挙の応援演説としては致命的だと思う。宮城県議選の
立候補予定者の1人が、かつて同じNPOで活動した仲間だったことから応援しに
行ったようなのであるが、父親の名前を出すだけで報道ステーションの視聴率が
一気に下がったという事実を知らないことはないはずなのだから、一友人として謙虚に
応援するべきだった。