逃走迷路
1942年/アメリカ
『逃走迷路』の‘迷走’について
総合
90点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
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ビジュアル
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音楽
0点
アルフレッド・ヒッチコック監督の『逃走迷路』は1942年制作ということから一見国威発揚映画のように見えるが、改めて見直してみるとアメリカ人に対するイギリス人監督の悪意が垣間見えてくる。
カリフォルニア州グレンデールの航空機会社の工場で働く主人公のバリー・ケーンは工場の火災時に手渡された消火器を親友のメイソンに渡したのであるが、実は消火器の中にはガソリンが仕込まれていたため、工場が大爆発してバリーはメイソンを失った上に、破壊工作員として警察に追われることになり、バリーは自分に消火器を手渡した真犯人のフライを追うことになる。
ヒッチコックは破壊工作員のグループを1941年当時にアメリカに実在した‘アメリカ・ファースターズ’と呼ばれる親独協会、つまりアメリカのファシストたちの結社を念頭に置いて描いたようであるが(『映画術』 P.135 晶文社 1981.12.25)、主人公のバリーの味方をする人物像とバリーと敵対する人物像とははっきりと性格が分かれているように見える。
バリーの味方をする人たちはトラックの運転手やミラーという盲目の老人やサーカス団に所属している‘奇形人間’たちのようないわゆる弱者であるのに対して、パーティーに出席するような上流に属する‘権力者’たちがバリーに敵対する(サーカス団のメンバーでも‘紳士’のような小人はバリーを嫌悪する)。
ヒロインのパットがバリーに敵対する側であったと考える理由は、彼女の頭の悪さにある。例えばバリーが手錠をはめたまま橋から飛び降りた後、警察官数人がバリーを探し回るのであるが、橋の上でバリーの行動を観察しているトラックの運転手はバリーの行動を把握しているのに対して、警察官たちはうろうろ探し回るだけで、その内の一人はバリーに足を掬われて川に落ちてしまうし、道路沿いにある広告掲示板にモデルとして大きく顔が載っているにも関わらず、サーカス団のメンバーに紛れているパットの顔を警察官たちは気がつかない。同様にパットの行動も不可解で、バリーを車に一人残したままわざわざ車から離れたところに立って助けを求めたり、マウンテン・シティーの破壊工作員たちのアジトでバリーが演じた破壊工作員の身振りを演技と理解できなかったり、ニューヨークの破壊工作員たちが巣食うマンションでバリーがパットに再会した際に、バリーが‘Escape(逃げろ)’というタイトルの本の背表紙を指しているにも関わらず、パットはそのことに気がつかない有様である。
ニューヨーク港で爆破には失敗したもののノルマンディー号を埠頭で横倒しに成功したフライは何故か逃げ場の無い自由の女神像内に上ってしまうくらいに頭が悪いのであるが、バリーが自由の女神像の右手の先の松明まで追い詰めた時に、フライは体のバランスを崩して虚空に宙吊りになる。ここで唐突にバリーは自分の親友を殺した相手であることを‘忘れた振り’をしてフライを助けようとする。バリーは自由の女神像に向かい合っているフライの背広の左袖を引っ張ってフライを持ち上げようとするのであるが、左袖は肩からちぎれてしまいフライは落ちていく。それはまるで右腕の袖をまくり上げている自由の女神像を模倣することになり、アメリカの‘上流階級’のイメージを背負っていたフライの墜落はアメリカそのものの象徴である自由の女神像の失墜をイメージさせるのである。バリーは救助されて、ようやく賢くなったパットと抱擁することになる。
このように‘国威発揚映画’であった『逃走迷路』は、内実それとは対照的に(恐らく契約の都合で本作が監督の思い通りに制作できなかった恨みも込めて)アメリカのスノッブに対するアイロニーが描かれているのであるが、惜しいことに監督も言及している通りに主演の2人に魅力が欠けている。
東国原氏、都知事選出馬を正式表明(朝日新聞) - goo ニュース
今回の東国原英夫の東京都知事選挙への出馬に理解を示す都民がどれくらいいるのか
分らないが、当然東国原には勝算があるから立候補するのであろう。しかし宮崎県の
知事選挙においては地元であるから「宮崎をどげんかせんといかん」というフレーズには
それなりの説得力があっても、宮崎県知事を一期務めただけで退任した後に、地元の
宮崎県で国会議員に立候補するなら理解できるが、「首都圏が元気にならなければ、
日本全体に蔓延している閉塞感を打破できない」という出馬の理由はやはり分りにくい。
東国原英夫は宮崎県のイメージが強すぎるし、地方で地道に活動を続けていく方が
彼の性に合っているように思う。要するにそれほど器の大きな政治家には見えない。
同じように苦労するのであるならば、東京の方が目立つという下種な理由が本音だと思う。
「強い東京、優しい東京、元気な東京」という今回のキャッチフレーズは空虚に響く。