狂乱の大地
1967年/ブラジル
‘情報’という新たな問題
総合 90点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
グラウベル・ローシャ監督の長編デビュー作『バラベント』(1962年)、2作目『黒い神と白い悪魔』(1964年)に次ぐ、3作目の『狂乱の大地』(1967年)が他の作品と大きく違う点は、主人公のパウロ・マーティンスが詩人であり(作品冒頭辺りでパウロが空に銃を向けるシーンでブラジルの作家、Mario Faustino の詩が引用されている)、かつジャーナリストということである。前2作品で描かれた貧富の差や宗教が絡んだ善悪に加えて、報道がもたらす情報操作が『狂乱の大地』において、正に大地を狂乱と化す。
物語の舞台は架空の共和国エルドラドであるが、パウロが活動家のサラの要請で選挙を手伝う、民衆に人気のある進歩派議員のフェリペ・ヴィエイラの地元はブラジルのリオグランデ・ド・スル州のアレクリム(Alecrim)という実在の場所である。おそらくパウロが手配したテレビクルーを引き連れてヴィエイラは選挙運動を展開するのであるが、ボロボロの服を着て陳情にやって来た男をパウロが殺してしまう理由は、おそらくその男がヴィエイラを落選させようと企んでいるグループの回し者と考え、民衆の生活が良くなっていないというイメージをテレビで放送させようという彼らの意図を邪推したからであろう。完全なアナーキーに陥る。
パウロは保守派の政治家であるポルフィリオ・ジアスの元へ戻り再び、恋人のシルヴィアと暮らしながら、国内一の企業家フリオ・フエンテスの協力も得て、自らのナレーションで十字架を胸に掲げるジアスの大統領選挙用の番組を制作するが、彼らと袂を分かつことになる。
パウロは再びヴィエイラとサラと共に共闘することになるが、選挙中に、50歳前で7人の子供がいて家が無いと訴えるジェロニモという男を仲間の誰かが殺してしまう。
パウロは同僚のアルヴァロに相談している内に、アルヴァロはジャケットの内ポケットから拳銃を取り出すが、誰に向けて撃ったのかは分らない。
ラストは冒頭と同じシーンで、パウロやサラの説得も虚しく、民衆の血が流れるのを防ぐためにヴィエイラが戦うことを放棄することになり、ジアスが王冠を冠る。パウロは一体自分は誰と戦っているのか分からなくなり、再び誰もいない空に銃を向ける。
物語はかなり混沌としているが、詩人である主人公のパウロのモノローグが詩で語られているなど、グラウベル・ローシャの作品の中では最も出来が良いと思う。
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いうのは、日本の政治も末期症状だ」と述べた。ところで“あの一言”や“一つの発言”と
いうのは松本龍の岩手県における「知恵を出したところは助け、出さないやつは助けない」
なのか、宮城県における「県で(漁港再編問題の)コンセンサスを得ろよ。そうしないと
われわれは何もしないぞ」なのか、首相官邸における「問題はなかったと思う」なのかが
よく分らない。私は「今の部分はオフレコな。書いた社はこれで終わりだから」という発言は
明らかな言論の弾圧だと思う。この“一言”を見逃してしまえば、日本の報道が末期症状に
陥り、ジャーナリストたちが辞めなければならなくなるだろう。