奇跡
2011年/日本
何気ない奇跡
総合 90点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
映画評論家のおすぎ氏に酷評されていた本作であるが、一体どこが悪いのか私には全く分からなかった。とにかく絶妙なユーモアを湛えた脚本が素晴らしいのだが、やはり‘奇跡’に関する考察を見逃すわけにはいかない。
九州新幹線全線開通の日の一番列車がすれ違う瞬間を目撃すれば、奇跡が起きることを信じて大迫航一が当初願おうと思っていたことは、桜島の大噴火である。そうなれば鹿児島に人が住めなくなり、鹿児島と福岡で離れ離れに暮らす家族4人が再び共に暮らせるようになるからであるが、結局、航一は何も願わなかった。弟の木南龍之介に「どうして奇跡を願わなかったのか?」と尋ねられた航一は「家族より、世界をとってしまった」と言うのだが、ここで鍵となる言葉は彼らの父親の木南健次が結成しているバンド名「ハイデッガー」である。おそらくハイデッガーとは1927年に『存在と時間』を刊行したドイツの哲学者のマルティン・ハイデッガーのことだと思われる。航一は、人はこの世で生きていく限り必ずしも自分の思う通りにはならず、自分と他人とを区別することが出来ない世界の一部(=世界内存在)としてしか生きていけないのだから、「お前と世界との決闘に際しては、世界に介添えせよ」というフランツ・カフカの言葉を実践したのである。つまりここには、例えば『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』(マシュー・ヴォーン監督 2011年)などのハリウッド映画とは正反対の思想が描かれており、幼い男の子が小さな旅で大きなことを悟るさりげなさが素晴らしいはずなのだが。
地デジ化へカウントダウン 残り日数字幕に苦情も(朝日新聞) - goo ニュース
仮に7月1日から始まった、アナログ放送の画面の一部を使って同放送終了までの残り
日数を告げる字幕の常時表示で初めてアナログ放送が終了することが分かった人がいると
するならば、そのような人はめったにテレビを見ないような人だから地デジ対応のテレビを
わざわざ購入する必要はないだろうし、毎日のようにテレビを見ていていまだに地デジ対応
のテレビを購入していない人は、アナログ放送終了と同時にテレビの視聴を止めるつもり
だろうから、今更知らせる必要はないと思う。むしろ字幕の常時表示が必要な人はテレビ
を買い替えてでも地デジを見たいと思うほどテレビが好きな人だろう。何故ならば7月24日
になったならば二度とアナログ放送が見れなくなってしまうのだから、アナログ放送が終了
する日を忘れないようにするために地デジ放送にこそ字幕の常時表示が必要なのである。