マイティ・ソー
2011年/アメリカ
ソーの戸惑い
総合 50点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
一見するならば、北欧神話とウィリアム・シェイクスピアの悲劇を合わせたヒーローものとして良く出来ているように見えるが、よくよく考えてみるならば主人公のソーのキャラクターが曖昧である。
主人公のソーが傲慢な性格でいられる理由は全身に身につけているシールドのおかげであり、それでムジョルニアを持つことが出来ていることは、ソーが父親のオーディンによって身ぐるみ剥がされて地球に追放された後に、ムジョルニアを持とうとしてもTシャツ姿では持ち上げることが出来ないことからも私たちには理解できるのであるが、実は、驚異のパワーは自分の身体ではなく、身につけているシールドに宿っていることは毎日の暮らしの中でソー自身にも分かっているはずなのである。このような齟齬をきたしている理由はソーとロキの幼少時代がほとんど描かれず、いきなりソーの王位継承の儀が描かれるためであろう。
心を入れ替える機会を与えるために地球に追放されたソーなのであるが、そもそも身体そのものにパワーが無かったソーには、身につけていたシールドを奪われた時点で心が折れているのだから、反省のしようがないまま、ニューメキシコ州を彷徨うことになり、因って、ソーがどのような経緯で自己犠牲を果たすまでに改心することになったのか、はっきりしないのである。
勿論‘ヒーローもの’に細かいことを指摘するのは野暮であることは十分に承知しているつもりであるが、監督がウィリアム・シェイクスピアの作品を数多く手がけているケネス・ブラナーとなると話が変わってくる。何故ケネス・ブラナーほどの知性的な監督が、この程度の主人公のキャラクター設定で妥協して撮ってしまったのか理解に苦しむ。
全原発で安全検査…首相、再稼働に後ろ向き(産経新聞) - goo ニュース
原発再開はストレステスト後 統一見解 稼働全基も対象(朝日新聞) - goo ニュース
6月19日の国民対話の時は、定期検査で停止中の原発の再稼働について、「安全性が
確認されたら順次再稼働していくと海江田氏が言ったが、私もまったく同じだ」と語っていた
菅直人が突然、ストレステストという原発の安全検査の実施を発表した背景として、
玄海原発再開に手を貸すと「脱原発の旗手」としての地位を失い、ひいては延命をかけた
「脱原発解散」カードも手放すことになりかねないという首相の思惑と計算があるそうだが、
そのような“思惑と計算”があるのならば、何故“突然”安全検査をすると言い出したのか
理解に苦しむ。まさか身内を敵にまわしても来る選挙のために“脱原発の旗手”という
印象を国民に植え付けるという“思惑と計算”があったとは思えない。やはり“思いつき”
というよりも、寧ろ「あっ、俺、“反原発”だった」という“思い出し”なのであろう。