MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『島々清しゃ』

2017-01-24 00:27:19 | goo映画レビュー

原題:『島々清しゃ(しまじまかいしゃ)』
監督:新藤風
脚本:磯田健一郎
撮影:山崎裕
出演:伊東蒼/金城実/安藤サクラ/山田真歩/渋川清彦/角替和枝/でんでん
2016年/日本

アメリカ軍が引き起こす「轟音」を理解するために

 ヴァイオリニストの北川祐子がコンサートを開催するために沖縄県の慶良間諸島の座間味村を訪れたのは2015年9月頃だろうか。そこで彼女は絶対音感のような耳の持ち主で、余りの耳の良さに米軍の飛行機のエンジン音の不調を聞き分け海に墜落することを当ててしまい地元の新聞に載った小学生の花島うみと出会う。
 ところがその耳の良さが災いして微妙な音のズレも気になってしまい、学校の吹奏楽部員たちが鳴らす楽器の音にも、エレキギターの音にも我慢できずにトラブルになっていたのだが、祖父の花島昌栄が弾く三線の音には深みを見いだせる。もちろんここには「地元の音」と「洋楽」、つまりアメリカ軍が引き起こす轟音の対照性が仄めかされているであろう。そこにやって来た祐子が奏でるヴァイオリンの音にうみが心地よさを感じるとするならば、それは日本人に解釈され、「フィルター」を通されたものだからだと思う。だから調律が微妙に狂っていることもたいして気にせずにピアノを弾かれるとうみは我慢できないのである。
 うみは祐子のように解釈することで「洋楽」を理解したいのである。だから事前にフルートを練習した上で吹奏楽部に入部しようと目論むのであるが、そんな矢先に祖父が亡くなってしまい、10月18日の吹奏楽部のコンサートは中止になってしまう。祐子が東京に戻るために船に乗ろうとする直前に、うみたちが集まって演奏を始める。その時、うみは頭にしていた耳当てを外す。那覇で踊りのレッスンを受けていた母親の花島さんごは「ダンス」を上手く習得できなかったが、うみは「洋楽」を極める決心をするのである。それは幼いながらもこのまま何もしなければ沖縄は良くならないという彼女の覚悟の現れではないだろうか? それに対して祐子は妊娠しているお腹をさすりながら島を後にする。「大和人(やまとんちゅう)」に対する皮肉に見えなくもない。


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