原題:『きみの瞳が問いかけている』
監督:三木孝浩
脚本:登米裕一
撮影:小宮山充
出演:吉高由里子/横浜流星/やべきょうすけ/田山涼成/野間口徹/岡田義徳/風吹ジュン
2020年/日本
「瞳」と相性が悪い映画監督について
三木孝浩監督の青春映画は個人としては基本的に高く評価しており、前作『思い、思われ、ふり、ふられ』(2020年)は素晴らしかったが、本作はあまり評価できなかった前前作『フォルトゥナの瞳』(2019年)のような印象を受けた。
例えば、偶然に知り合った主人公の柏木明香里と篠崎塁が最初にデートした焼肉屋において明香里が箸で掴み損ねて落としてしまった焼肉がどうなったのか気になるのは個人的なことであるとしても、明香里が勤め先のコールセンターの尾崎隆文に強姦されそうになるシーンにおいて、明香里は所持していた防犯ブザーを鳴らし、尾崎に言われて鳴っているブザーを止めた後に急いで部屋に入って来た塁に助けられるのだが、ブザーが鳴り終わってから塁が入ってくるまでのタイミングが悪いと思う。しかしブザーが鳴りっぱなしだとブザーを止めるシーンを撮らなければならず、それは却ってシーンの「間」を壊すというのであるならば不問で良しとしてもいい。
しかし問題はまだあって、闇試合に関わり久慈充に刺された塁は入院することになり、2年後に入院患者のマッサージのボランティアをしていた明香里と偶然出会うものの、塁のベッドのネームプレートには「高橋」という偽名が書かれているために明香里は彼が塁だと気がつかないのだが、入院しているのに偽名を使えるという点は納得しかねるのである。
上記のような不自然な点を不自然に見せないところが三木監督の手腕だったはずなのだが、『ただ君だけ』(ソン・イルゴン監督 2011年)という韓国映画を忠実にリメイクしたことで上手く対応できなかったのだろうか?