MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『名探偵ポアロ 愛国殺人』

2020-11-22 00:42:39 | goo映画レビュー

原題:『Agatha Christie's Poirot One, Two, Buckle My Shoe』
監督:ロス・デベニッシュ
脚本:クライブ・エクストン
出演:デヴィッド・スーシェ/フィリップ・ジャクソン/キャロリン・コルキューホン/ピーター・ブライス
1992年/イギリス

タイトルを変更した意味について

 ここでは本作のタイトルについて考えてみたい。
 1940年11月に最初にイギリスで出版された時には『One, Two, Buckle My Shoe』というタイトルだったのだが、1941年2月にアメリカで出版された時には『The Patriotic Murders』とタイトルを変えて出版され、さらにペーパーバック版では『An Overdose of Death(死の過剰摂取)』となり、日本の翻訳ではこのアメリカ版のタイトルが採用され『愛国殺人』となっている。
 タイトルの由来を勘案するならば、殺人の首謀者である大手銀行頭取のアリステア・ブラントが自分のイギリスにおける社会的立場の重要性を主張したことに対して、エルキュール・ポアロが以下のように語る。

「われわれはみんな人間です。これをあなたは忘れていらっしゃる。あなたはおっしゃった、メイベル・セインズバリイ・シールはばかな人間で、アムバライオティスは悪魔のような人間、フランク・カーターは屑 ― そしてモーリイ ― モーリイはたんに歯医者にすぎず、他にも歯医者はいると。そこがブラントさん、あなたと私の見地の一致せぬ点らしくみえます。私にとってはこの四人の人々の生命も、あなたの命とまったく同じほどに大切なものだったのです。」(『愛国殺人』 加島祥造訳 早川書房 p.362)

 ブラントがイギリスの安寧と福祉を保つために自分は必要な存在だと主張するも、ポアロは人を殺してまでの愛国精神は認めなかったのである。

 問題は最初のタイトル「One, Two, Buckle My Shoe」である。これはマザー・グースの童謡の一節から採られており、「いち、にい、わたしの靴の留金を締めて」をなぞるように実際にポアロはメイベル・セインズバリイ・シールがタクシーのドアに引っかけて落としたエナメル靴のバックルを拾ってあげたりしている。(p.30)

 ところでこの「Buckle My Shoe」をリーダーズ英和辞典で調べてみると韻俗語として「ユダヤ人(Jew)」という意味があり、そういう観点から見るならば、モーリイの秘書のグラディス・ネヴィルが「ブラントの奥さんはたしかに有力なユダヤ人だった」と証言し、さらに「ユダヤ人たちは若い貧しい人たち ― フランクのようなおとなしい青年たち ― まで搾取したもんだから、しまいにはあの人たち、あんな行為をなにかすてきな愛国的だと思いこむようになったんですわ。」(p.296-297)と語っている。

 つまり「ボクシングのワンツーパンチを用いるユダヤ人」と解釈した「One, Two, Buckle My Shoe」を「The Patriotic Murders」に変えるということは視点を「保守派」から「革新派」に変えたということになると思うのである。だから何なのかと訊かれるならば、クリスティーの「肩入れ度合い」のように見えなくもないのだが、何故二、三ヵ月で心変わりしたのかは分からないし、そもそもタイトルを変更することは珍しいことではないらしい。


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