コッホ先生と僕らの革命
2011年/ドイツ
外国語の学び方
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
ゲームスポーツ教育の一環としてドイツに初めてサッカーを導入したコンラート・コッホという実在した人物をモデルに描かれた作品ではあるが、当然フィクションも含まれており、そのフィクションの構築の上手さを書き記しておきたい。
‘他者’を知る方法として、外国語を学ぶということはもはや常識ではあるだろうが、コッホの慧眼は英語のみならず、当時はドイツにとって外国のスポーツだったサッカーを生徒に教えたということだけではないことは、授業中におけるコッホと級長のフェリックス・ハートゥングとの「th」論争にある。英語にあってドイツ語にはない「th」を教えるということは、外国語を教えるだけではなく、舌先を上下の歯で軽く噛んで発音するという、今までドイツ人がしたことがない身体の動きを教えるからであり、外国語と同時に‘外来’の体の動きを学んだ生徒たちの不慣れながらもサッカーボールを、あるいはメタファーとしての‘舌’を駆使しながら型にはめ込もうとする教師たちに抵抗する試みがユーモアを交えて描かれており、決してドイツのサッカーの歴史を忠実に描いていないところが本作の秀逸な部分なのである。
五輪招致書類、都が紛失 前回活動費、8事業18億円(朝日新聞) - goo ニュース
2020年夏季オリンピックの開催地候補として残っているスペインのマドリードやトルコの
イスタンブールと比較するならば、IOCによる世論調査において東京は地元の支持率が
低いことが問題とされているが、あらゆる手段で都民を鼓舞して何とか支持率を上げようと
していた東京都が前回16年五輪招致で支出した費用の経理書類をめぐり、保存期間内の
8事業計約18億円分の文書を紛失しているというのだから、都民に文句を言うまえに
東京都自身がやる気があるのか、あるいは石原都知事に言われて仕方なくやっているのか
そろそろはっきりさせていいのではないだろうか
王様とボク
2012年/日本
子供でもなく大人でもなく
総合 90点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
主人公のミキヒコはトモナリとモリオを幼馴染に持ち、いつも3人で一緒に遊んでいた。ある日ミキヒコとモリオがブランコに乗っていた時に、誤ってモリオがブランコから落ちてしまい、頭を打ったことで昏睡状態に陥ってしまうのであるが、ミキヒコが恋人のキエと初めて一緒に夜を過ごして大人になった18歳の誕生日と合わせるかのようにモリオは目覚める。しかし当然のことながら12年間の眠りから覚めても、18歳のモリオの精神年齢は6歳のままである。物語は18歳になっても大人になりたくないミキヒコと18歳でも6歳のままでいられるモリオに、足が不自由なために2人のようにブランコなどで遊べなかったために、早熟を強いられていたトモナリを加えた‘三角関係’を軸に展開していく。
モリオの覚醒に複雑な思いを抱き、まるで過去を拭ってしまおうとするかのようにバイト先の雑貨店のガラスを拭いているミキヒコと、その後、対照的に未来に彩りを添えようとするかのように大学のガラスに色を塗るキエはもちろんモリオの覚醒を素直に喜んでいる。
しばしば療養所を抜け出すモリオは近所に住んでいる3人の少年たちと遊ぶようになるが、大人になりたくないからといってミキヒコがそこに加わることは出来ない。電車が通過するのを見るだけでモリオは喜べるが、ミキヒコは楽しめないからであり、大学を辞めてモリオの世話をしようとしても2人の間には見えない壁が立ちはだかるのである(大学を辞める際に、ミキヒコとキエが口論する長回しのシーンが素晴らしい)。
もはや18歳の大人でいながら、まだ6歳の子供でもいられる‘王様’としてのモリオに翻弄され、自分の‘居場所’が分からなくなってしまうミキヒコは、ラストで奇しくも『ノルウェイの森』(トラン・アン・ユン監督 2010年)の主人公ワタナベと同じ身振りを演じてしまうのであるが、彼らに羨ましがられるモリオでさえ現実には‘王様’でいることは出来ないことは、療養所という‘城’から抜け出したモリオの王冠の落下で暗示されることになる。
週刊朝日の連載中止 橋下氏巡る不適切な記述で(朝日新聞) - goo ニュース
週刊朝日、橋下氏の連載中止=「不適切な記述」と謝罪(時事通信) - goo ニュース
全くもって不可解なことである。それはもちろん「週刊朝日」が10月26日号に掲載した
連載記事「ハシシタ 奴の本性」の記事の内容のことではなく、連載を中止した上に、
河畠大四編集長が謝罪していることである。記事は敢えて政策論争には踏み込まず、
橋下徹の、どれほど努力しても変えようがない素性を問題にして、有権者に判断して
もらおうとする確信犯的な連載記事であったはずであるが、執筆者の佐野真一でさえ、
「今回の記事は『週刊朝日』との共同作品であり、全ての対応は『週刊朝日』側に任せて
います。記事中で地区を特定したことなど、配慮を欠く部分があったことについては
遺憾の意を表します」などと日和った発言をしてしまっている。記事を書いた時点で橋下が
どのようなリアクションを返してくるか想定問答をして用意しておかなければならないはず
であるが、表現の自由を放棄してしまった佐野の過去の著書の内容も怪しくなってくる。
未知との遭遇 特別編
1980年/アメリカ
星に願う‘大人たち’
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
インディアナ州のマンシーに住む3歳の男の子バリー・ガイラーのみならず、送電線の架線作業員であるロイ・ニアリーにもUFOが接近を試みた理由は、おそらくロイが3歳の子供と同じようなイノセンスを持っていたからであろう。実際に、ロイは妻のロニーと3人の子供がいるのであるが、ロイが「ピノキオ」の映画を観に行きたいと提案しても、3人の子供たちには拒絶されてしまい、子供たちは何故かテレビで『十戒』(セシル・B・デミル監督 1956年)を観ようとする程ませている。弟の行動はさらに奇妙なもので、持っていた人形を叩き壊しており、完全にイノセンスを失っているように見える。
大人になってもイノセンスを保っていることは難しく、事実、不思議な物体を見たはずのTWA機の機長たちはインディアナポリスの交信コントロール・センターにUFOを目撃した事実を報告することをためらってしまう。
結局、会社から解雇されたロイのイノセンスを理解できない妻と3人の子供たちはロイのもとを去り、やがてロイは、息子のバリーをUFOに連れ去られたジリアンと共にUFOが現れる予感がしたデヴィルズタワーと呼ばれる円柱形の岩山に向かう。
軍のヘリコプターから撒かれた神経ガスを躱すと、ロイとジリアンの目の前ではUFOとコンタクトを取ろうとする設備が整えられつつあった。太陽のように輝くマザーシップが現れた時に、何故かサングラスをしている人としていない人がいるのであるが、ロイやジリアンやバリーがサングラスをしていないところを見ると、おそらくサングラスは‘大人’を象徴するものであろう。そして同じようにサングラスをしていないクロード・ラコーム博士がロイに向かって「君が羨ましい」という理由は、同じイノセンスを共用しながらも、ロイだけが宇宙人に選ばれてマザーシップに乗り込むからであり、第二次世界大戦中に使用された戦闘機や沈没した不定期貨物船に乗っていたために不本意に死を迎えた乗組員たちが生存者としてマザーシップから降りてくることと引き換えに、ロイは「星に願いを」が流れる中、宇宙の彼方へ去っていくのである。ただ、ロイと一緒にマザーシップに乗り込む準備をしていた他のサングラスをした‘大人たち’が宇宙船に乗り込んだのかどうかがよく分からない。
アダルトチルドレンが最初に描かれた映画だと思われる。
東大、森口氏を懲戒解雇 虚偽発表「大学信用傷つけた」(朝日新聞) - goo ニュース
森口尚史は日本に帰国した際に、大学を辞めると言っていたはずだが、まだ辞めて
いなかったことに驚かされるのだが、結局森口は嘘だろうが何だろうが、自分を巡って
マスコミが騒いでくれることが嬉しくて仕方がないように見える。特に今回は山中伸弥
京都大教授がノーベル医学・生理学賞を受賞した時期と重なったために、世界中に
騒がれた訳だから、森口本人としてはこれ以上のタイミングの良さは無かったはずだが、
所詮全ては虚言だったのだから、見栄っ張りの集大成は今回をもって終了することになる。
アウトレイジ ビヨンド
2012年/日本
漫才師としてのアウトレイジ
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
冒頭のシーンに虚を衝かれる。確か前作『アウトレイジ』も黒光りの高級外車で始まっていたはずであるが、前作においては暴力団幹部の集会の終わりを戸外で待つ組頭たちと共に整然と並べてある高級外車が長い横移動のカメラに捉えられていたはずで、今回の海中からクレーンで引き上げられる高級外車を見た時に、まるで怠惰な高級外車をリンチに遭わせてカメラの代わりに自ら動くことを要求するように見えたからである。
実際に、本作はタイトル通り『アウトレイジ』を‘超える’ように演出方法を変えており、凝った演出が却って‘惨劇’と化したことは『アウトレイジ』のレビューに書いた通りで、本作では余計なカット割りを避けたことで、ストーリーにグルーブを感じることが出来るのであるが、それは勿論ヤクザの仁義とは無縁の支離滅裂な馬鹿らしさであり、映画監督としての北野武よりも、最後に‘相方’の片岡に厳しい‘ツッコミ’を入れる漫才師としてのビートたけしの才能の冴えなのではないだろうか。
ネイマール2発!千両役者ぶり発揮(サンケイスポーツ) - goo ニュース
試合後のインタビューで本田圭佑は強気の発言をしていたが、日本とブラジルの差は
歴然としたものだった。特に20歳のネイマールのドリブルの際の俊敏な動きは特筆に
値いするもので、最も驚いたことは、得点にからんだものではなく、後半20分あたりに
日本側のゴールラインまでボールを追いかけてきて、審判にはラインからボールが出た
ように判断されてノーゴールだったが、ラインを出る直前で右足でボールをセンターに
上げた時の、ネイマールの速さだけではない、しなやかな身体能力の高さである。
あんな動きをされては、日本の選手がどれほど頑張ったところで止めようがないと思う。
ローリング・ストーンズ・イン・ギミー・シェルター
1971年/アメリカ
拳銃なのか‘影’なのか
総合 0点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
アメリカの北カルフォルニアのアルタモントで無料コンサートを行なうと発表した記者会見におけるミック・ジャガーの「アメリカに手本を示したい。大集会での振る舞い方をね」という発言は、もちろん1969年、ニューヨークで行われたウッドストック・フェスティバルを意識したもので、自分たちならばもっと上手く出来ると思っての発言だったのであろうが、結果的には、ロックシーンの歴史で最悪のコンサートとして語り継がれることになる。
それまでローリング・ストーンズは全米をまたいだツアーコンサートを行なっていたのであるが、それでもチケットが取れなかったという多くのファンの要望で、無料コンサートが企画されたことになったのであるが、1969年12月6日に行われたアルタモントのコンサートの前日に、ストーンズのニューアルバム『Let It Bleed』がリリースされているのだから、ちゃっかりプロモーションを兼ねているところが、商売人としてのミック・ジャガーらしいのだが、アルバムのタイトル「それに血を流させておけ」が翌日のコンサートの惨劇と符合してしまうところが不気味である。
普通のコンサートのドキュメンタリー映画となるはずが、事件のために、編集作業にミック・ジャガーとチャーリー・ワッツが立ち会って、あの時何が起こったのかを確認するという形式になっている。
クスリでおかしくなっていた18歳の黒人青年メレディス・ハンターがストーンズのメンバーを射殺しようとして懐から拳銃を取り出したために、ヘルス・エンジェルのメンバーであるアラン・パッサロがハンターを刺殺することになる。パッサロは逮捕されたが、本作の映像が証拠として採用され、パッサロは正当防衛が認められて釈放されるのであるが、あれが本当に、あるいは本物の拳銃であったのかどうかは微妙である。特に『欲望/Blow-Up』(ミケランジェロ・アントニオーニ監督 1966年)を観た後ではなおさらであるのだが、ブロウアップされるのがハンターの拳銃ではなく、ミック・ジャガーの顔というのも不思議で、いずれにしても怪しさだけが残る。
仏国営テレビが謝罪文書=サッカー川島選手の合成画像放映で(時事通信) - goo ニュース
フランス国営テレビ「フランス2」が13日夜に放映したバラエティー番組「オン・ネパ・クシェ」
において、12日に行われたサッカー日仏代表の国際親善試合で好セーブを連発した川島
に腕が4本ある合成画像を流し、司会者が「福島(の原発事故)の影響か」などとコメント
したことに対して、フランス2のジャン・レベイヨン社長は16日、「決して日本と福島第一原発
事故の被害者に失礼なことをするつもりはなかった。(日本に敗れた)仏代表チームを
からかう意図だった」と釈明したらしい。つまり腕が4本ある川島の合成画像は放射能の
影響という意味ではなくて、ただ福島の原発事故で発奮しているという意味だったのであり、
そもそも放射能が体に及ぼす害に関してそれほど関心は無かったようである。川島は以前
にも福島に絡めて中傷されていたが、川“島”と福“島”と韻を踏みやすいからであろう。