MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『疾風ロンド』

2017-01-11 00:56:05 | goo映画レビュー

原題:『疾風ロンド』
監督:吉田照幸
脚本:吉田照幸/ハセベバクシンオー
撮影:佐光朗
出演:阿部寛/大倉忠義/大島優子/ムロツヨシ/堀内敬子/戸次重幸/濱田龍臣/柄本明
2016年/日本

「瓶」の形態の重要性について

 例えば、『RANMARU 神の舌を持つ男 鬼灯デスロード編』(堤幸彦監督 2016年)のようにテレビの2時間サスペンスドラマのパロディーと分かって観るのであるならば、リアリティに関して寛容にもなれるのであるが、本作のようなコメディー要素を含むサスペンスドラマであるならば、些細なことでドラマから現実に引き戻されて冷めてしまうものである。個人的には最初に葛原克也が盗んだ新型炭疽菌「K-55」が入った瓶を雪原の中に埋めた後に、中学生の高野裕紀が瓶をすり替える際に、短時間で全く同じようなコショウ入りの瓶を用意できたことで、そんなことはあり得ないという気持ちが強くなり、その後の都合の良いストーリー展開に完全に冷めてしまった。
 原作はどうなっているのか確認してみたら、原作は瓶の形が違って描かれており納得した次第である。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『自虐の詩』

2017-01-10 00:45:18 | goo映画レビュー

原題:『自虐の詩』
監督:堤幸彦
脚本:関えり香/里中静流
撮影:唐沢悟
出演:中谷美紀/阿部寛/カルーセル麻紀/遠藤憲一/西田敏行/名取裕子/竜雷太
2007年/日本

最も大切な「ご縁」の不在について

 原作の性格から言うならば本作は「感動もの」の作品であるはずなのだが、どうも作品前半に繰り返される主人公の森田幸江の夫である葉山イサオの執拗な「ちゃぶ台返し」が理解できない。それは「ちゃぶ台返し」のネタがスベっているというよりも、上京したものの娼婦に身をやつしている幸江と結婚するために属していた組の組長に盃を返して左手の小指まで詰めたのに、何故イサオが働きもせずに酒とギャンブルに溺れてしまっているのか詳細な描写がないからである。
 幸江の実の母親が娘を捨てた原因もはっきりせず、要するに夫と母親の幸江に対する想いが曖昧なために感動しにくいのである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『RANMARU 神の舌を持つ男 鬼灯デスロード編』

2017-01-09 00:57:32 | goo映画レビュー

原題:『RANMARU 神の舌を持つ男 酒蔵若旦那怪死事件の影に潜むテキサス男とボヘミアン女将、                           そして美人村医者を追い詰める謎のかごめかごめ老婆軍団と三賢者の村の呪いに2サスマニアwithミヤケンとゴッドタン、ベロンチョアドベンチャー!略して…蘭丸は二度死ぬ。鬼灯デスロード編』
監督:堤幸彦
脚本:櫻井武晴
撮影:小林純一
出演:向井理/木村文乃/佐藤二朗/市原隼人/黒谷友香/財前直見/岡本信人/木村多江
2016年/日本

「コメディアンヌ」を見いだす名探偵としての映画監督について

 ラストのエンドクレジットの出方で分かるように本作はテレビの2時間のサスペンスドラマのパロディであるのだが、横溝正史の推理小説に登場する私立探偵の金田一耕助を想起させる主人公の朝永蘭丸は、金田一というよりも櫻井武晴が脚本を手掛けている『名探偵コナン』の主人公である江戸川 コナンに近いと思う理由は、性格を入れ替えれば蘭丸を支える甕棺墓光と宮沢寛治は、『コナン』における毛利蘭と毛利小五郎に当てはまるからである。
 そのような視点で観賞するならば本作は良く出来ていると思うのだが、『ケイゾク』や『TRICK』など堤幸彦監督の独特の笑いが観客を選別してしまうであろう。それにしても甕棺墓光を演じた木村文乃の演技の弾けっぷりは素晴らしく、中谷美紀や仲間由紀恵同様に「コメディアンヌ」を開花させる堤監督の手腕には脱帽するしかない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ミュージアム』

2017-01-08 00:56:10 | goo映画レビュー

原題:『ミュージアム』
監督:大友啓史
脚本:大友啓史/高橋泉/藤井清美
撮影:山本英夫
出演:小栗旬/尾野真千子/野村周平/丸山智己/田畑智子/市川実日子/伊武雅刀/妻夫木聡
2016年/日本

「こそばゆさ」がもたらす猟奇殺人について

 寧ろ「日本のジャック・リーチャー」は本作の主人公の沢村久志なのかもしれない。ここでも主人公は犯人に娘ではないが息子の沢村将太と妻の沢村遥を誘拐されており、けっこうストーリーは被るものである。
 『土竜の唄 香港狂騒曲』(三池崇史監督 2016年)のようなユーモアは一切排除された代わりに最後まで緊張感が途切れないホラー要素を大胆に取り込んだ良質のサスペンス映画になっていると思う。『セブン』(デヴィッド・フィンチャー監督 1995年)のような思い切ったラストにならなかったのは二番煎じを恐れてというよりも、あまりの救いの無さによる観賞の後味の悪さを避けたためであろうが、ラストでも描かれているように皮膚の痒みだけでも十分にぞくぞくとはするのである。
 犯人の車を追い詰めようとその車のナンバー「59-63(ご苦労さん)」を笑わずに無線で伝える沢村久志が凄い。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『土竜の唄 香港狂騒曲』

2017-01-07 00:17:52 | goo映画レビュー

原題:『土竜の唄 香港狂騒曲』
監督:三池崇史
脚本:宮藤官九郎
撮影:北信康
出演:生田斗真/堤真一/岩城滉一/瑛太/古田新太/上地雄輔/菜々緒/本田翼/仲里依紗
2016年/日本

人身売買の是非について

 本作の主人公である菊川玲二を「日本のジャック・リーチャー」と見なすにはあまりにも若すぎるとは思うのだが、不本意ながら若い娘を救出する使命を帯びてしまうという点において物語の構造は同じといえるだろう。
 しかし『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』(エドワード・ズウィック監督 2016年)と本作の決定的な違いは、本作においては「人身売買の是非」というシャープなサブテーマが設定されているところにある。貧しい両親が娘を売って金銭を得ることで生活が安定し、娘は裕福な家庭で育てられ「お嬢様」になり誰も損をしないというチャイニーズマフィアの仙骨竜の理屈は親子の絆の問題はあるもののよくよく考えてみるならば意外と正論なのである。この「正論」は深く議論されないまま菊川玲二の活躍によって轟迦蓮は救出されるのであるが、却って数寄矢会会長の轟周宝や「クレイジーパピヨン」こと日浦匡也を延命させてしまうという皮肉が効いており、このようなコメディー的な要素も持つ物語の「深み」が宮藤官九郎の脚本にあって、堤幸彦監督の『RANMARU 神の舌を持つ男 鬼灯デスロード編』(2016年)にないものなのである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』

2017-01-06 00:21:05 | goo映画レビュー

原題:『Jack Reacher: Never Go Back』
監督:エドワード・ズウィック
脚本:エドワード・ズウィック/マーシャル・ハースコヴィッツ/リチャード・ウェンク
撮影:オリヴァー・ウッド
出演:トム・クルーズ/コビー・スマルダース/ダニカ・ヤロシュ/ロバート・ネッパー
2016年/アメリカ

引く手あまたで不足する「美人」について

 本作はイギリス人の推理小説家であるリー・チャイルドの「ジャック・リーチャー・シリーズ」の中からヒットしそうな作品を選んだのであろうが、まるで『96時間(Taken)』シリーズを手掛けるリュック・ベッソンの作風に似てしまっている。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(J・J・エイブラムス監督 2015年)などを観ても美少女のヒロインをメインに据えることはブームになっているからその流れに乗っているのであろうが、ハリウッド作品ということでより丁寧に撮られているという印象を持つ。
 しかし審美眼は人それぞれということを踏まえた上で敢えて書くのであるが、主人公のジャック・リーチャーが救出することになる「娘役」のサマンサ・デイトンを演じたダニカ・ヤロシュがどうしても可愛く見えない。例えば、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』でヒロインのレイを演じたデイジー・リドリーや『メン・イン・キャット』(バリー・ソネンフェルド監督 2016年)で主人公の娘を演じたマリーナ・ワイズマンなどはとても可愛いく見えるから、私の審美眼が世間と極端にずれているはずはないのだが、本作において肝心のヒロインが不美人であることに納得しかねる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トランプのツイッターの翻訳方法

2017-01-05 22:24:18 | Weblog

【トランプ次期大統領】トランプ氏、北朝鮮を牽制 米本土到達「起きない」
北の核ミサイル開発「そうはさせぬ」トランプ氏

 アメリカ次期大統領のドナルド・トランプがツイートするたびに話題になっているのであるが、これらの文章を一体誰が翻訳をしているのかが気になる。例えば、1月2日のトランプのツイッターの文章。

「North Korea just stated that it is in the final stages of developing a nuclear weapon capable of reaching parts of the U.S. It won't happen!」

 上の文章は「北朝鮮は米本土のいくつかの部分に到達可能な核兵器の開発の最終段階にあるとしているが、そのようなことは起きない」が正しいのであるが、ある記事には最後のセンテンスを「そうはさせない」と訳している。主語は「It」なのだからトランプが何らかの行動を起こすということではなく、ただ単にそんなことは起こりえないと言っているだけである。

 あるいはその直後のツイッターの文章。

「China has been taking out massive amounts  of money & wealth from the U.S. in totally one-side trade, but won't help with North Korea. Nice!」

 上の文章は「中国は完全に一方的な貿易で米国から巨額の金や富を奪っているが、北朝鮮を助けることはないだろう。いいね!」が正しいように思われる。もちろんこれは皮肉で最後の「Nice!」はフェイスブックの「いいね!」のことである。

 ニュアンスを捉え損なうと深刻な問題が生じるような気がするのであるが、大丈夫なのだろうか?


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『裸足の季節』

2017-01-05 00:28:00 | goo映画レビュー

原題:『Mustang』
監督:デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン
脚本:デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン/アリス・ウィノカー
撮影:ダーヴィッド・シザレ/エルシン・ギョク
出演:イライダ・アクドアン/エリット・イシジャン/ドア・ドゥウシル/ギュネシ・シェンソイ
2015年/フランス・トルコ・ドイツ

女性差別を「乗り」越えるために

 その物語の抽象性に関して言うならば、『シークレット・オブ・モンスター』(ブラディ・コルベット監督 2015年)に並ぶくらいの本作が、それでも分かりやすいと感じるとするならば、5人姉妹、特に末っ子のラーレが「乗る」ことに拘っているからであろう。冒頭では5人姉妹は男子生徒たちの肩に乗って海辺で騎馬戦をして戯れていたわけであるし、彼女の育ての親として振る舞う叔父のエロールに軟禁状態にされた後も、大好きなサッカーの試合を観に行くためにラーレたちは内緒でバスに乗り込み、ついには家からの脱出を図るためにラーレは赤いハイヒールを履いてトラックドライバーのヤシンに運転を教わり、実際に四女のヌルと脱出する際にはスニーカーを履いて車に乗るのである。その車はムスタングではなかっただろうか。
 不幸にもムスタングはすぐにクラッシュしてしまうのであるが、2人を助けに来たヤシンのトラックに乗せてもらい、2人は長距離バスに乗り換えるのである。このように女性差別を克服するものとして「乗る」ことをキーワードに観ていくことが本作の理解を助けるのである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『シークレット・オブ・モンスター』

2017-01-04 00:30:55 | goo映画レビュー

原題:『The Childhood of a Leader』
監督:ブラディ・コルベット
脚本:ブラディ・コルベット/モナ・ファストボルド
撮影:ロル・クロウリー
出演:リアム・カニンガム/ベレニス・ベジョ/トム・スウィート/ロバート・パティンソン
2015年/イギリス・ハンガリー・フランス

素質か環境かの問題について

 フランスの小説家であるジャン=ポール・サルトルの短編小説『一指導者の幼年時代(L'Enfance d'un chef)』をベースにしたものらしいのだが、余りも抽象的すぎる。アメリカの政府高官の父親や後妻の母親の育て方に問題があるというよりも、そもそも持って生まれた素質によって主人公のプレスコットは後にアドルフ・ヒトラーを想起させる独裁者になったように見え、つまりどのようにして独裁者が生まれるのかという観客が求めている物語に応えていないように思うのである。あるいはプレスコットが独裁者になった原因は長い間屋敷に奉仕していたにも関わらず、後妻によって隙を出された老齢の家政婦が予言した怨念によるものかもしれない。
 しかしその家政婦の代わりに雇われた若い家政婦が、仕事をしていない2人の家政婦たちを急き立てた後、誰もいないその部屋のカーテンがロウソクの炎で燃え上がるのであるが、すぐに消えてしまう不思議なシーンに見られるように、映像に怪しいいかがわしさは存在するのではある。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』

2017-01-03 20:15:37 | goo映画レビュー

原題:『Miles Ahead』
監督:ドン・チードル
脚本:ドン・チードル/スティーブン・ベイグルマン
撮影:ロベルト・シェイファー
出演:ドン・チードル/ユアン・マクレガー/エマヤツィ・コーリナルディ/キース・スタンフィールド
2015年/アメリカ

「遥か彼方」を目指すジャズミュージシャンについて

 マイルス・デイヴィスが活動を休止していた1979年を舞台としているが、それは事実に基づいたものではなく、あくまでもドン・チードルの解釈によって描かれたものである。因みに原題「マイルス・アヘッド(Miles Ahead)」はマイルスが1957年にリリースしたアルバムのタイトルであると同時に、ショパン、ストラヴィンスキー、ラヴェルなどのクラシック音楽までも研究し、「遥か彼方へ」向かうというマイルスの音楽に対する姿勢も現している。

 しかしマイルスがこだわっていた女性はこの白いドレスを着た女性ではなく、1961年にリリースしたアルバム『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム(Someday My Prince Will Come)』に写っている妻のフランシス・テイラーだった。

 活動休止中のマイルスがラジオから流れてきた1959年リリースのアルバム『カインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)』収録の「ソー・ホワット(So What)」を自ら駄作だと罵り、DJに自ら電話をして1960年リリースのアルバム『スケッチ・オブ・スペイン(Sketches Of Spain)』収録の「ソレア(Solea)」をリクエストするマイルスの意図は『カインド・オブ・ブルー』で完成させたモード・ジャズに厭きたという観点以外で言うならばストーリー上、翌年リリースされた『Someday My Prince Will Come』への布石のように見えなくもない。
 しかし本作における白眉はマイルスやレコード会社、ミュージシャン、音楽雑誌のライターなどの関係者たちが追いかける「セッション・テープ」で、結果的にそのテープの内容はマイルス本人以外にはその良さが理解できない代物だったということで、私たち観客も含めあれほど死闘を演じたものたちが肩透かしを食うのである。
 ところがマイルスにとってはそれはインスピレーションの源泉であり、1980年代になってロックテイストを習得し、再び第一線に躍り出るマイルスのヴァイタリティに唸らされるのである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする