MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『本能寺ホテル』

2017-01-21 00:55:54 | goo映画レビュー

原題:『本能寺ホテル』
監督:鈴木雅之
脚本:相沢友子
撮影:江原祥二
出演:綾瀬はるか/堤真一/濱田岳/平山浩行/高嶋政宏/田口浩正/近藤正臣
2017年/日本

「真面目さ」で失われる映画の醍醐味について

 同じスタッフとキャストで撮られた前作『プリンセス トヨトミ』(2011年)と比較するならば、同じように戦国時代を舞台としながらも本作には原作が存在しないためなのか余りにも物語が薄いように感じた。主人公の倉本繭子がタイムスリップして迷い込んだ1582年6月1日の本能寺で出会った本物の織田信長を通じて知りえたものは、天下統一によって庶民にもたらされる幸せや笑顔であるという信長が持つ命がけの信念であり、それまでふらふらしながら生きていた自分の人生を見つめ直そうと決意する繭子と信長がラストでダブって写されるとしても、そもそも男性と女性の生き方の違いは間違いなく存在し、ただのОLだった繭子に名将と呼ばれる信長の生き様を見習わせるのは酷であろうし、本能寺ホテルの「仕組み」が最後まで明らかにされないことにも不満が残る。おそらく当初脚本に参加していたらしい万城目学が途中で降板したことが物語に深みをもたらさなかった大きな要因になったと思う。
 しかし実は物語には何の期待もしていなかった。個人的には『プリンセス トヨトミ』で観ることができた魅惑のモンタージュを期待して観に行ったからなのだが、CGが発達し過ぎたためなのか何の違和感もなく現在から過去にタイムスリップするCGの映像は却って「普通」に見えてしまい、モンタージュを「工夫」するという作業が抜けたために映像を観る快感が失われてしまったように思う。


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『将軍家光の乱心 激突』

2017-01-20 00:25:36 | goo映画レビュー

原題:『将軍家光の乱心 激突』
監督:降旗康男
脚本:中島貞夫/松田寛夫
撮影:北坂清
出演:緒形拳/真矢武/織田裕二/長門裕之/京本政樹/松方弘樹/千葉真一/加納みゆき/二宮さよ子
1989年/日本

「ロック」が流れる時代劇について

 時代劇だと思って真面目に観賞していたら作品の冒頭からリアリズム無視の活劇で、それはそれで納得して観るとしても、例えば、江戸城へと向かう途中の竹千代たちが足尾近辺で捕らえられた場所に馬で駆け付けた伊庭庄左衛門たちが到着する直前に、竹千代たちを救出した石河刑部たちが牢屋がある構内を爆破する。

 家臣たちに逃げ道を全て塞ぐように命じた伊庭庄左衛門は何故か翌朝、石河刑部たちが逃げてくる先で一人で待っているのである。

 2人はクライマックスにおいて一騎打ちの勝負を始める。

 しかしわざわざ家の藁の屋根に登ってまでチャンバラを始める時、ついに笑いを禁じることができなくなった。
 おそらくアクションシーンは千葉真一が、竹千代がメインのシーンは降旗康男が演出を担ったと思われるが、この2人の監督の対照的な演出が上手くかみ合っていないように思うのであるが、例えば、千葉が出演していたテレビドラマ『柳生一族の陰謀』や『服部半蔵 影の軍団』のようなものとして割り切って観るならば悪くはない。

 春日太一は2017年2月2日号の週刊文春の「木曜邦画劇場」という連載で本作を取り上げている。春日は「幕府軍の強大さと、彼らから竹千代を守ろうとする刑部たちの想い。この二点が丁寧に描かれているのだ。だからこそ主人公たちの戦いに感情移入ができ、命がけのアクションが『決死の覚悟の逃亡劇』としてドラマ的必然性あるものになる。その結果、手に汗握る緊迫感とカタルシスが生まれた。そこが疎かだと『凄いことをやっているなあ』という他人事で終わってしまう。(p.111)」と指摘しているのであるが、既に書いた通り本作は降旗康男が監督なのであって、アクション監督の千葉真一との演出方法に齟齬があるはずなのだが、何故か春日は降旗に関して何も語っていない。春日は千葉とは「毎年数回のトークイベントをさせていただいて」という仲であり、批判することが難しい立場になってしまっている点を考慮したとしても、やはりダメなものはダメだと言わないと時代劇研究家として信用されなくなると思う。


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「森のくまさん」の正体

2017-01-19 00:05:32 | 洋楽歌詞和訳

替え歌CD、販売中止要請=「森のくまさん」訳詞者
童謡さん『森のくまさん』の歌詞
モリノクマサン
words by ババヨシヒロ
music by ババヨシヒロ
Performed by ドウヨウ

 今回の件で童謡『森のくまさん』が「洋楽」だったことを初めて知った。そこで改めて

ウィキペディアに掲載されている英語の歌詞を和訳してみる。

「The Other Day I Met a Bear」 日本語訳

ある日、私は熊に遭遇した
森から出ろ そこから出ていけ

彼は私に言った「何故走らない?
あなたは銃を持っていないのだから」

だから私は走った そこから逃れようと
でも私の後ろにはあの熊がいた

目の前に私は木を見つけた
とても大きな木を ありがたい

一番近い枝でも3メートルの高さはあった
私は自分の幸運を信じて飛ぶしかなかった

だから私は思いっきり飛び上がったけれど
私の手は空を切った

でも悩むことはない 機嫌を損ねることはない
だって私は落ちる途中でその枝に引っかかったのだから

この物語の教訓は
テニスシューズを履いている熊に話しかけるなということだ

これが全てで 付け加えることはない
だから何だっていうんだ! 歌を歌おう

 この歌詞の注目点は最後で「熊」がテニスシューズを履いている(bears in tennis shoes)と

歌っているところで、この「Bear」が「熊」ではなく「乱暴者」という意味になるとこの歌は

そもそも変質者に対する警鐘の歌だったのかもしれない。


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『ネオン・デーモン』

2017-01-18 00:25:55 | goo映画レビュー

原題:『The Neon Demon』
監督:ニコラス・ウィンディング・レフン
脚本:ニコラス・ウィンディング・レフン/メアリー・ロウズ/ポリー・ステンハム
撮影:ナターシャ・ブレイア
出演:エル・ファニング/カール・グルスマン/ジェナ・マローン/ベラ・ヒースコート/アビー・リー
2016年/アメリカ・デンマーク・フランス

「生気」を失う作品の是非について

 正直に言うならば物語を正確に理解することは不可能に思われるのであるが、それでも作品の前半は理解できなくもない。主人公の16歳のジェシーは一流のモデルになることを夢みてジョージア州の田舎街からロサンゼルスにやって来た。彼女は友人のディーンに宣材写真を撮ってもらっていたが、そこで出会ったメイクアップ・アーティストのルビーに誘われてパーティーに出席し、そこでモデルをしているサラとジジを紹介してもらう。
 ある晩、ジェシーが泊まっているモーテルに帰ってくると部屋の中に何故か生きたクーガー(山猫)がいるのであるが、ここから作品の雰囲気が変わって来る。それはモーテルの部屋の中にクーガーがいるという不自然さではなく、彼女が所属することになるモデル事務所には既にクーガ―の剥製が飾られているからである。部屋の修理代まで肩代わりしてくれたディーンと別れたジェシーは冷淡なジャックを選び、一見、普通の女性に見えたルビーが美しいならば死体をも愛せる変態性を現した頃には作品そのものが「生気」を失いジェシーは既に元に戻れないところまで来ており、なんとクライマックスにおいてジェシーはサラとジジに「食べられて」しまうのである。
 しかし物語はここで終わらない。ジェシーを食べたサラとジジは翌日何食わぬ顔で撮影に臨むのであるが、整形を繰り返しながら無理をしてモデルの仕事をしていたジジは「食あたり」で絶命してしまう一方で、ジジが吐き出したジェシーの片目を食べたサラは何事もなかったかのようにラストにおいて一人で放浪を始める。
 このようにリアリティーの濃い前半と、暗喩で描かれるようになる後半のギャップに驚かされることは必至で、興行的には振るわなかったのだと思う。


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『マイ・ベスト・フレンド』

2017-01-17 00:39:52 | goo映画レビュー

原題:『Miss You Already』
監督:キャサリン・ハードウィック
脚本:モーウェナ・バンクス
撮影:エリオット・デイヴィス
出演:トニ・コレット/ドリュー・バリモア/ドミニク・クーパー/パディ・コンシダイン
2015年/イギリス

「自分の信条を失いそう」になるガン患者の気持ちについて

 10歳の頃、アメリカからイギリスに転居してきたジェスが一緒のクラスになったミリーと友達になってから2人は何でも一緒にする親友になるのだが、40歳を目前にした2014年になりジェスが不妊治療の末に子供を授かったことに対してミリー(1974年11月27日生まれ)には末期の乳がんが見つかり、2人の気持ちのすれ違いが始まる。
 自分の好きな小説であるエミリー・ブロンテの『嵐が丘(Wuthering Heights)』の悲劇の主人公の一人であるキャサリンに自分をダブらせてミリーは小説の舞台であるイギリスのヨークシャーのハワースをジェスと一緒に訪れた際に、2人はR.E.M.の「ルージング・マイ・レリジョン(Losing My Religion)」を歌う。その後ミリーは以前病院で知り合って今はそこに住んでいるバーテンダーのエースと浮気をするのであるが、ミリーの気持ちを通じてようやくこの曲の意味が理解できたような気がする。以下、和訳。

「Losing My Religion」 R.E.M. 日本語訳

人生は大きい
あなた(=神)よりも大きい
そしてあなたは僕ではない
僕が歩もうとしている距離は
あなたの目には(僕の歩みがゆっくりで)果てしなく見える
しまった! 僕は言い過ぎてしまったようだ
整理して言わなければ

僕は隅に追い詰められているのに
スポットライトを当てられている
僕は信条を失おうとしているから
何とかあなたに付いていこうと努力はしているが
出来るかどうかは分からない
しまった! 僕は言い過ぎてしまったようだ
まだ言い足りないような気もする
あなたの笑い声を聞いたような気がしたんだ
あなたの歌声を聞いたような気がしたんだ
あなたの努力を見たような気もしなくはない

しばしば目覚めるたびに囁きながら
僕はどのように告白しようか選んでいる
あなたから目を離さないように努めているうちに
僕は傷つき堕落して無謀な愚か者のようになっている
しまった! 僕は言い過ぎてしまったようだ
整理して言わなければ
熟慮するんだ
世紀に渡るかすかな兆候を
熟慮するんだ
膝から崩れるほどの失敗を僕にもたらしたつまずきを
これら全ての空想が崩れようとしているのだろうか
今僕は言い過ぎてしまったようだ
あなたの笑い声を聞いたような気がしたんだ
あなたの歌声を聞いたような気がしたんだ
あなたの努力を見たような気もしなくはない

でもそれはただの夢だった
それはただの夢だったんだ

僕は隅に追い詰められているのに
スポットライトを当てられている
僕は信条を失おうとしているから
何とかあなたに付いていこうと努力はしているが
出来るかどうかは分からない
しまった! 僕は言い過ぎてしまったようだ
まだ言い足りないような気もする
あなたの笑い声を聞いたような気がしたんだ
あなたの歌声を聞いたような気がしたんだ
あなたの努力を見たような気もしなくはない

でもそれはただの夢だった
努力して泣いて、何故努力しているんだ
それはただの夢だった
ただの夢
ただの夢
夢想

 このように「You」を「神」と捉えるならば、乳がんを患ったミリーの、一時的にせよ神を恨み全てにおいて投げやりになった気持ちが理解できると思う。


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『NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム』

2017-01-16 00:53:02 | goo映画レビュー

原題:『Nerve』
監督:ヘンリー・ヨースト/アリエル・シュルマン
脚本:ジェシカ・シャーザー
撮影:マイケル・シモンズ
出演:エマ・ロバーツ/デイヴ・フランコ/ジュリエット・ルイス/マシン・ガン・ケリー
2016年/アメリカ

舞台の巨大さを表現しきれない制作費の低さについて

 ストーリーそのものは無難にまとまっているのだが、そもそも「裏オンラインゲーム」という舞台のその巨大さに対して、そこで起こる物語が余りにも小さすぎるように感じる。例えば、主人公の女子高生のヴィー・デルモニカが好意を寄せているJ・Pに彼女の友人のシドニーが本人にばらしてしまったことをきっかけにヴィーは「ナーヴ」に参加してしまうのであるが、危険なゲームに参加するには動機が弱すぎるように思うし、メインストーリーはヴィーと、彼女がレストランで偶然知り合ったイアンが引き起こすトラブルの過程が描かれるのは良いとしても、他の参加者が少なすぎる。
 あるいはシドニーが高層アパート間に渡された梯子を歩くミッションに失敗するのであるが、このゲームは『ザ・ウォーク』(ロバート・ゼメキス監督 2015年)を観てしまったものとしてはショボ過ぎるのであり、このようなゲームに多くの視聴者が興味を持つとはとても思えないのである。
 その主人公のヴィーが好きなミュージシャンとしてアメリカのヒップホップグループの「ウータン・クラン(Wu-Tang Clan)」を挙げているのだが、「ウータン・クラン」は『ダーティ・グランパ』(ダン・メイザー監督 2016年)でも出た名前で、このヒップホップグループはそんなにアメリカで人気があるのかと思った次第である。


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『ダーティ・グランパ』

2017-01-15 00:52:27 | goo映画レビュー

原題:『Dirty Grandpa』
監督:ダン・メイザー
脚本:ジョン・M・フィリップス
撮影:エリック・アラン・エドワーズ
出演:ザック・エフロン/ロバート・デ・ニーロ/ゾーイ・ドゥイッチ/オーブリー・プラザ
2016年/アメリカ

いまだに現役の「タクシードライバー」について

 主人公のジェイソン・ケリーの祖父であるリチャード・”ディック”・ケリーは元々は有能な退役軍人だったようだが、例えば、ナンパした女性の名前がレノーラ(Lenore)だと聞いて、エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)の『大鴉(The Raven)』の主人公の同名の恋人と関連づけてその一節を諳んじる一方で、アメリカのヒップホップグループである「ウータン・クラン(Wu-Tang Clan)」のメンバー全員の名前も言い当てたりとかなりの幅広い教養の持ち主である。
 『ソーセージ・パーティー』(コンラッド・ヴァーノン/グレッグ・ティアナン監督 2016年)に負けず劣らずの下ネタのオンパレードの中に隠れているこのような「教養」をどれほど汲み取ることができたのか心もとないのであるが、これはもはや祖父と孫の物語というよりも主人公を演じたザック・エフロンと彼の祖父を演じたロバート・デ・ニーロの「闘い」で、その圧倒的な貫禄の差にエフロンは全く歯が立たないように見えてしまう。
 フロリダの「無法地帯」振りの描き方が気になるのだが、これは彼らのホームタウンであるジョージア州からの観点なのか、それともアメリカ人が共有している常識なのかよく分からない。


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『ソーセージ・パーティー』

2017-01-14 00:20:34 | goo映画レビュー

原題:『Sausage Party』
監督:コンラッド・ヴァーノン/グレッグ・ティアナン
脚本:セス・ローゲン/エヴァン・ゴールドバーグ/カイル・ハンター/アリエル・シェイファー
出演:セス・ローゲン/クリステン・ウィグ/ジョナ・ヒル/ビル・ヘイダー/サルマ・ハエック
2016年/アメリカ

教養豊かなポルノアニメについて

 『トイ・ストーリー』(ジョン・ラセター監督 1995年)のアダルト版、あるいは『テッド』(セス・マクファーレン監督 2012年)のアニメーション版とでも言えばいいのか、いずれにしても日本人には絶対に制作できない類の映画だと思う。
 それは凝りに凝った下ネタのみならず、例えば、ミートローフ(Meat loaf)が活躍するシーンにおいてロックシンガー「ミートローフ(Meat Loaf)」のヒット曲「愛にすべてを捧ぐ("I'd Do Anything for Love (But I Won't Do That)" )」を使用するのみならず、1977年リリースされたアルバム『地獄のロック・ライダー(Bat Out of Hell)』のアルバムジャケットまで「引用」している。

 あるいは車イスに乗ったガムはイギリスの理論物理学者のスティーヴン・ホーキングをイメージしているようなのだが、寧ろその佇まいから『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)』(スタンリー・キューブリック監督 1964年)の主人公のストレンジラヴ博士(Dr. Strangelove)が『ターミネーター2(Terminator 2: Judgment Day)』(ジェームズ・キャメロン監督 1991年)のキャラクター「T-1000」の再生能力を備えたように見える。

 ハリウッドのコメディー作品を観ていつも思うことは、底知れぬネタの豊かさなのである。


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『メン・イン・キャット』

2017-01-13 00:10:25 | goo映画レビュー

原題:『Nine Lives』
監督:バリー・ソネンフェルド
脚本:グウィン・ルーリー/マット・R・アレン/ケイレブ・ウィルソン/ダニエル・アントニアッツィ/
    ベン・シフリン
撮影:カール・ウォルター・リンデンローブ
出演:ケヴィン・スペイシー/ジェニファー・ガーナー/マリーナ・ワイズマン/ロビー・アメル
2016年/フランス・中国

ネコとイヌの「声」の違いについて

 明らかに邦題は誤解を招く。『メン・イン・ブラック』シリーズを手掛けた監督の作品ということで邦題はその便乗で、昨今の日本のネコブームにも乗っかったネイミングなのであるが、制作費が一桁違うしストーリーの規模も違う。そもそもハリウッド映画でさえない。原題の「ナイン・ライブズ(Nine Lives)」は「A cat has nine lives.(ネコには9つの命がある。)」という言葉から取られた「危機を脱する能力、サバイバル能力」という意味である。主人公でワーカホリックの社長のトム・ブランドが猫に「身をやつした」ことをきっかけに信用できる人間とそうでない人間を見つけ出すというストーリーは決して目新しいものではなく、親子で観賞する類の作品であろう。
 そのネコの声を担っているのはベテラン俳優のケヴィン・スペイシーなのであるが、日本で言うところのCMで長い間犬の声を担っている北大路欣也である。映画とCMのアテレコという違いはあるし、北大路は「ネタ」と割り切って演じているために比較するのは酷なのかもしれないが、緩急を使い分けるスペイシーの声を聞いていると、これこそ「本物」なのではないかと感じてしまう。


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『僕らのごはんは明日で待ってる』

2017-01-12 00:13:51 | goo映画レビュー

原題:『僕らのごはんは明日で待ってる』
監督:市井昌秀
脚本:市井昌秀
撮影:関将史
出演:中島裕翔/新木優子/美山加恋/岡山天音/片桐はいり/松原智恵子
2017年/日本

頭が良すぎる主人公の鈍感さについて

 主人公の葉山亮太と上村小春がデパートの屋上で有料の備え付け双眼鏡を覗きながら、釣り堀を営む老夫婦や違法駐車で婦人警官に反則切符を切られている男性や、砂場で『ぐりとぐらのおおそうじ』を手にしている男の子に話しかけてくる女の子に「あてレコ」をするシーンなどとてもチャーミングな演出だと思ったが、館内で笑いが起きなかった理由は、おそらく観客のほとんどが女子中高生でギャグが良く分からなかったからだと思う。
 しかし『疾風ロンド』(吉田照幸監督 2016年)においても指摘したことなのだが、一ヶ所だけ致命的なリアリティーに欠ける部分があるために本作は失敗していると思う。それは学校の図書館の全ての文庫本を読み終わって再び堀辰雄の『風立ちぬ』を読むほどの知性を持ち、兄を病気で失っている葉山亮太が、いくら普段はぼんやりしていておっちょこちょいであるとはいえ、上村小春が別れを告げた本当の理由になかなか気が付かないところである。市井昌秀監督の前作『箱入り息子の恋』(2013年)が良作だっただけに期待して観に行ったが、残念ながら主人公よりも観ている方が先に理由が分かってしまい葉山のあまりの鈍感さにすっかり冷めてしまった。


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