東深津町4丁目6-30の丁分(よーろぶ)公民館の西隣に艮神社(うしとらじんじゃ)が建っている。私は近くでよく遊んでいたにもかかわらずその存在に長らく気付いていなかった。
艮神社由緒
艮神社は 人皇第七代考霊天皇の皇子備後国総鎮守 吉備津彦の大神を奉斎してある備後一宮 吉備津神社の荒魂を深津松山(蔀山)に分祀(六百四十年前)していたものを昭和四十一年九月三十日この地にお移ししつゞいて昭和五十五年十一月一日新に社殿を新営したものです 御祭神は 吉備津彦命で第十代崇神天皇の御代四道将軍として この吉備国においでになり国内を平らかにお治めになりました 以来この地方の守護神として崇敬せられております
神社本庁所属 宗教法人 艮神社
図書館で住宅地図を見ていて偶然発見した時には非常に驚いたのだ、灯台下暗しとはまさにこのことだと。
艮神社のすぐ北側を山陽本線が走っている。沖踏切は私の記憶の中の(昭和40年代後半)の姿とほぼ同じだ。遮断機の前で普通電車を見送る男は数十秒だけ虫篭を持って野原を駆け巡る少年に戻っていた。
艮神社由緒
艮神社は 人皇第七代考霊天皇の皇子備後国総鎮守 吉備津彦の大神を奉斎してある備後一宮 吉備津神社の荒魂を深津松山(蔀山)に分祀(六百四十年前)していたものを昭和四十一年九月三十日この地にお移ししつゞいて昭和五十五年十一月一日新に社殿を新営したものです 御祭神は 吉備津彦命で第十代崇神天皇の御代四道将軍として この吉備国においでになり国内を平らかにお治めになりました 以来この地方の守護神として崇敬せられております
神社本庁所属 宗教法人 艮神社
図書館で住宅地図を見ていて偶然発見した時には非常に驚いたのだ、灯台下暗しとはまさにこのことだと。
艮神社のすぐ北側を山陽本線が走っている。沖踏切は私の記憶の中の(昭和40年代後半)の姿とほぼ同じだ。遮断機の前で普通電車を見送る男は数十秒だけ虫篭を持って野原を駆け巡る少年に戻っていた。