福山市赤坂町大字赤坂(旧沼隈郡赤坂村)と津之郷町大字津之郷(同津之郷村)の間の津之郷町大字加屋(同加屋村)に水越峠はある。水越地区は石材の切り出しで栄えた所で大正五年(1916)に水越駅(現・備後赤坂駅)が設置され、石や畳表が積み出された。峠の頂に至る少し手前の松林酒店の住所は赤坂町大字赤坂1157‐2だ。
水越駅を赤坂駅と改称の由来
最初信号所は津之郷字水越に近く水越と称せられたるも停車場となる其の構内は殆んど赤坂地内に在り依って赤坂駅と改称するのが適当であると本村では村民大会を開き停車場名改名請願委員を選出し、挙村一致で之が請願なした、その結果改称を認められた、然し赤坂と云う駅名は北海道にあり混同するため、国名の備後を冠し、備後赤坂駅と大正七年一月一日改称しられた。
『赤坂村史(昭和四十二年十一月二十三日発行)』
街道を更に進むと辻の角に地蔵堂(赤坂1777の南辺りに位置)が見える。お堂の上(すぐ北)が市立済美中学校だが、かつてこの北西側に赤坂遊園が存在した。遊園地の跡地には分譲住宅や老人介護施設が出来た。
神原病院の南西約1km、ABCビナンオート(赤坂1516‐1)の裏(北)に金毘羅大權現と刻まれた常夜灯が建つ。ここから私は少し寄り道することにした。
水越駅を赤坂駅と改称の由来
最初信号所は津之郷字水越に近く水越と称せられたるも停車場となる其の構内は殆んど赤坂地内に在り依って赤坂駅と改称するのが適当であると本村では村民大会を開き停車場名改名請願委員を選出し、挙村一致で之が請願なした、その結果改称を認められた、然し赤坂と云う駅名は北海道にあり混同するため、国名の備後を冠し、備後赤坂駅と大正七年一月一日改称しられた。
『赤坂村史(昭和四十二年十一月二十三日発行)』
街道を更に進むと辻の角に地蔵堂(赤坂1777の南辺りに位置)が見える。お堂の上(すぐ北)が市立済美中学校だが、かつてこの北西側に赤坂遊園が存在した。遊園地の跡地には分譲住宅や老人介護施設が出来た。
神原病院の南西約1km、ABCビナンオート(赤坂1516‐1)の裏(北)に金毘羅大權現と刻まれた常夜灯が建つ。ここから私は少し寄り道することにした。