毎週水曜日夜7時からの(1時間)番組を私は時々見る。国司健一郎さんと大寺かおりさんが自転車で岡山県内を旅する内容である。昨日(22日)は「街道を行く!~旧山陽道&金毘羅街道~」だった。
国司アナは備前市大内→香登→坂根まで移動し、道中町の人々と触れ合った。個人宅に入れてもらい三代目の臥龍松(がりょうしょう)や明治天皇御小休所の石碑を紹介した(普段見学することはできない)。食文化の取り上げ方も見事で広島の放送局よりもセンスがある(笑)。大寺さんと共に体を張った「行き当たりばったり」の取材が大きな魅力(ウリ)となっている。新道開通により旧道沿いの賑わいが無くなっていった歴史についてさり気なく店主の話を挿入する手法は嫌味がない。この番組を見ることにより自転車で旧街道を走る喜びを知った人はかなりいると思う。文献の記述を鵜呑みにせず自分の足を使って歴史を調べ直すといろんなことが分かって来る。
※画像は国道2号線沿いに建てられた「岡山と広島の縣界」を示す石柱である。

国司アナは備前市大内→香登→坂根まで移動し、道中町の人々と触れ合った。個人宅に入れてもらい三代目の臥龍松(がりょうしょう)や明治天皇御小休所の石碑を紹介した(普段見学することはできない)。食文化の取り上げ方も見事で広島の放送局よりもセンスがある(笑)。大寺さんと共に体を張った「行き当たりばったり」の取材が大きな魅力(ウリ)となっている。新道開通により旧道沿いの賑わいが無くなっていった歴史についてさり気なく店主の話を挿入する手法は嫌味がない。この番組を見ることにより自転車で旧街道を走る喜びを知った人はかなりいると思う。文献の記述を鵜呑みにせず自分の足を使って歴史を調べ直すといろんなことが分かって来る。
※画像は国道2号線沿いに建てられた「岡山と広島の縣界」を示す石柱である。


矢掛観光協会(本陣会館 矢掛町矢掛3078-8)南側に旧山陽道矢掛宿の石碑と説明板が建っている。

元禄二(一六八九)年に作成された「矢掛町地子御免間敷并絵図(石井家文書)」によると、矢掛は山陽道に沿って東西約八〇〇メートルの町並みを形成しており、北側に九五軒、南側に一〇二軒の地子(宅地税)を免除された屋敷がありました。屋敷は“うなぎの寝床”と呼ばれる短冊形の地割りで、基本的には大きな変化はなく、今日に至っています。

矢掛商店街の軒先には杉玉が数多く吊るされているのが独特、そして格子戸に俳句を展示していた。私は二、三の商店に寄って立ち話(質問)をしたが、どこも丁寧かつ爽やかな対応だった。備後福山(特に田舎の観光地)の住民に根本的に足りないものは謙虚さだと気付かされる。余計なことを言って(≒一見さんに能書きを垂れて)はリピーターを失ってきたのではないかとさえ思う。『能ある鷹は爪を隠す』の逆をやってはダメなのだ(笑)

山陽道を東へ進んで行くと歴史ある鮮魚店や精肉店が並ぶ。そこから少し先が超個性的な店・矢掛家具センター(同町矢掛2570)だ。貼り紙からも分かるように家具屋と食堂を兼ねている。駅前でテンペコロッケを揚げていた気さくな女性はこの店の奥さんだった。次回はここで定食を食べさせてもらおう。


元禄二(一六八九)年に作成された「矢掛町地子御免間敷并絵図(石井家文書)」によると、矢掛は山陽道に沿って東西約八〇〇メートルの町並みを形成しており、北側に九五軒、南側に一〇二軒の地子(宅地税)を免除された屋敷がありました。屋敷は“うなぎの寝床”と呼ばれる短冊形の地割りで、基本的には大きな変化はなく、今日に至っています。

矢掛商店街の軒先には杉玉が数多く吊るされているのが独特、そして格子戸に俳句を展示していた。私は二、三の商店に寄って立ち話(質問)をしたが、どこも丁寧かつ爽やかな対応だった。備後福山(特に田舎の観光地)の住民に根本的に足りないものは謙虚さだと気付かされる。余計なことを言って(≒一見さんに能書きを垂れて)はリピーターを失ってきたのではないかとさえ思う。『能ある鷹は爪を隠す』の逆をやってはダメなのだ(笑)

山陽道を東へ進んで行くと歴史ある鮮魚店や精肉店が並ぶ。そこから少し先が超個性的な店・矢掛家具センター(同町矢掛2570)だ。貼り紙からも分かるように家具屋と食堂を兼ねている。駅前でテンペコロッケを揚げていた気さくな女性はこの店の奥さんだった。次回はここで定食を食べさせてもらおう。

