山手町の高橋酒店の先には江良坊会館という古風な木造建築がある。会館の向かいが小高い丘(湯傳山)で大きな標識が出ていた。
![江良坊会館](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/c3/2664a22d442669e9416c88bd4848d670.jpg)
![湯傳稲荷神社の標識](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/70/f25c3eb790a6582f6288e93d6741276f.jpg)
私は湯傳山に鎮座する稲荷神社に立ち寄った。承応年間に京都の伏見稲荷の分社として再建されたと言い伝えられ、穀物の神・宇賀御魂神(ウガノミタマノカミ)が祀られている。
![湯傳稲荷神社](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/f9/c6c5f6346fa5a3676986d947076a0c52.jpg)
![王子神社](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/60/e0b92aa34ec79e9968426913a17ff60b.jpg)
広い境内の端の方に小さな祠(王子神社)があるが、こちらは平成11年11月13日に新築遷座したらしい。江戸期にまとめられた歴史書には江良谷・王子権現の名で記載されている。棟札には祭神・正勝我勝勝速日天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)と書かれていた。アメノオシホミミノミコト(天照大神の息子)は農業の神として今もあつい信仰を集めている。私はアメノオシホミミの息子・邇邇藝命(ニニギノミコト)が三種の神器を持って高天原から地上へ向かったという日本神話を思い出し丁寧に手を合せたのであった。
江良谷
コノ谷ニ義昭將軍並御臺所ノ家鋪アトアリ今コレヲ大方家鋪ト云大石ノ石垣アリコノ奥ニ御代官家鋪ト云處アリコノ兩所スム人必斷絶スト云
山志料 沼隈郡山手村
![王子神社2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/10/bbab2771dbd5afd5c930a54f1cdf7773.jpg)
![江良坊会館](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/c3/2664a22d442669e9416c88bd4848d670.jpg)
![湯傳稲荷神社の標識](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/70/f25c3eb790a6582f6288e93d6741276f.jpg)
私は湯傳山に鎮座する稲荷神社に立ち寄った。承応年間に京都の伏見稲荷の分社として再建されたと言い伝えられ、穀物の神・宇賀御魂神(ウガノミタマノカミ)が祀られている。
![湯傳稲荷神社](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/f9/c6c5f6346fa5a3676986d947076a0c52.jpg)
![王子神社](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/60/e0b92aa34ec79e9968426913a17ff60b.jpg)
広い境内の端の方に小さな祠(王子神社)があるが、こちらは平成11年11月13日に新築遷座したらしい。江戸期にまとめられた歴史書には江良谷・王子権現の名で記載されている。棟札には祭神・正勝我勝勝速日天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)と書かれていた。アメノオシホミミノミコト(天照大神の息子)は農業の神として今もあつい信仰を集めている。私はアメノオシホミミの息子・邇邇藝命(ニニギノミコト)が三種の神器を持って高天原から地上へ向かったという日本神話を思い出し丁寧に手を合せたのであった。
江良谷
コノ谷ニ義昭將軍並御臺所ノ家鋪アトアリ今コレヲ大方家鋪ト云大石ノ石垣アリコノ奥ニ御代官家鋪ト云處アリコノ兩所スム人必斷絶スト云
山志料 沼隈郡山手村
![王子神社2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/10/bbab2771dbd5afd5c930a54f1cdf7773.jpg)
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