今伊勢宮の境内へ入るには広島県道54号(昔の国道2号)を横断し、更にJR山陽本線の伊勢宮踏切を越える必要がある。
若い人は参道が分断されていることを奇妙に思うかもしれないが、宮は鉄道が敷かれる遥か前から存在していたのである。福山藩主水野家の菩提寺・賢忠寺と墓所が現在は分割された形になっているのと同じことなのだ。
石段を上ると注連柱の脇に今伊勢宮と書かれた石碑があり、裏面に昇格昭和六年十月十日の文字が刻まれていた。
私は冷たい水で手と口を清めまず外宮に参拝した。今伊勢宮の由緒については境内に説明板が設置してあるが、『広島県神社誌(平成六年八月一日発行)』の記述を引用しておく。
今伊勢神社
(通称)おやすみさん
福山市神村町甲三、六八九(山陽本線松永駅東一粁)
祭神 天照皇大神あまてらすすめおおかみ
由緒 応永三十三年(一四二六)二月二日、伊勢神宮祢宜荒木田平末次に夢告があり、鳥居上の長五寸の青石に五色の筋あるものを戴き、西国に供奉し、今津邑の今宮まで着いた。そこで再び夢告があって半里東の鏡山こそ鎮座すべき佳き地なれと、よって末次引き返す。この地に来るや足が急に重くなり動かず、暫くして鏡山に鎮祭する。当時は神休殿(おやすみさん)と称していたが、後に今伊勢神社と称す。天正二十年(一五九二)正月十六日に再興した。
若い人は参道が分断されていることを奇妙に思うかもしれないが、宮は鉄道が敷かれる遥か前から存在していたのである。福山藩主水野家の菩提寺・賢忠寺と墓所が現在は分割された形になっているのと同じことなのだ。
石段を上ると注連柱の脇に今伊勢宮と書かれた石碑があり、裏面に昇格昭和六年十月十日の文字が刻まれていた。
私は冷たい水で手と口を清めまず外宮に参拝した。今伊勢宮の由緒については境内に説明板が設置してあるが、『広島県神社誌(平成六年八月一日発行)』の記述を引用しておく。
今伊勢神社
(通称)おやすみさん
福山市神村町甲三、六八九(山陽本線松永駅東一粁)
祭神 天照皇大神あまてらすすめおおかみ
由緒 応永三十三年(一四二六)二月二日、伊勢神宮祢宜荒木田平末次に夢告があり、鳥居上の長五寸の青石に五色の筋あるものを戴き、西国に供奉し、今津邑の今宮まで着いた。そこで再び夢告があって半里東の鏡山こそ鎮座すべき佳き地なれと、よって末次引き返す。この地に来るや足が急に重くなり動かず、暫くして鏡山に鎮祭する。当時は神休殿(おやすみさん)と称していたが、後に今伊勢神社と称す。天正二十年(一五九二)正月十六日に再興した。