矢掛神社の主祭神は吉備津彦命。吉備国(特に備前・備中)の神社ではこの神を祀るところが多い。吉備津彦命が鬼(=温羅うら)を退治した言い伝えは古代吉備国を治めていた渡来系勢力が掃討されたことをにおわせる。
矢掛神社の社殿東側には荒神社と天満宮が鎮座する。更に山を登って行くと重修碑がある。これは郷社昇格前に社務所などの大規模な建造や改修が行われたことを意味しているのだろう。
境内の東端には陸軍中将大野豊四(第十七師団長)の名が入った忠魂碑や戦没者芳名碑が建つ。忠魂碑の裏面には「大正拾壹年拾月建設 帝國在軍人會矢掛町分會」の文字が刻まれていた。大正11年(1922)10月はシベリアからの撤兵が完了し、時の内閣総理大臣は広島出身の加藤友三郎であった。
矢掛神社の社殿東側には荒神社と天満宮が鎮座する。更に山を登って行くと重修碑がある。これは郷社昇格前に社務所などの大規模な建造や改修が行われたことを意味しているのだろう。
境内の東端には陸軍中将大野豊四(第十七師団長)の名が入った忠魂碑や戦没者芳名碑が建つ。忠魂碑の裏面には「大正拾壹年拾月建設 帝國在軍人會矢掛町分會」の文字が刻まれていた。大正11年(1922)10月はシベリアからの撤兵が完了し、時の内閣総理大臣は広島出身の加藤友三郎であった。