寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福山市佐波町・観音橋側道橋南詰近くに祀られた石仏 

2014年01月21日 | 郷土史
1月上旬の草戸稲荷神社。初詣に出掛けた元旦の賑わいが夢のように思えるほど静かだ。時期をずらしてお参りする人はある意味賢いのかもしれぬ。

瀬戸川沿いの細い道を佐波方面に向かって進む。観音橋側道橋南詰(※北詰は国道2号と合流)に位置するタバコ屋の前を通過する。左手に「ふくやまラヂオ館」の横書き看板が見えるが、残念なことに館長が亡くなり閉館した。

観音橋側道橋南詰

側道橋から西へ約25m行くと石仏を祀った小さな祠(佐波町746‐1の東側空き地)がある。脇の石造物に文字は確認できなかったが、おそらくは地神であろう。佐波周辺にもミニ霊場があるようだ。

石仏を祀る祠と地神

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商店街再生の罠‐売りたいモノから、顧客がしたいコトへ / 久繁哲之介(ちくま新書 1027 2013年発行)

2014年01月21日 | 書籍
大型ショッピングモールの進出で苦戦を続ける商店街の主が読むべき本である。内容は極めて刺激的だが、私としては昭和37(1962)年生まれの著者の意見に共感する部分が非常に多い。見出しをざっと以下に列記してみよう。

商店街内の格差‐レトロ商店街で利益を得るのは、一部の店だけ P.22~24 
地元の客のニーズに応えているのは、大型店 P.27~29 
「大型店に客を奪われた」論のウソ P.29~31 
人より自動車を優先する商店街は必ず衰退する P.36~39 
自治体は補助金を出すなら、運営に責任を持て! P.47~49 
戦略とは「勝てない土俵では戦わない=勝てる土俵を探すか創る」P.121~122  
公務員と議員は、身銭を切って「顧客目線、市民感覚」を感じとれ! P.147~150 
商店街を金融商品と考える困った人たち P.176~178 
不動産オーナーが私益を追求すると「まちは滅びる」P.181~184 

私が最も興味深く読んだところは3つだ。厳しい指摘がバンバン続き店主でもないのに思わず苦笑した。

商店街問題は、個店が解決すべき問題から着手 P.71~72
 水木しげるロードはまず、個店が工夫や努力を重ねているから、個店の努力に報いる意図も含めて、商店街全体で格差問題を解決する取組も行っています。一方、ダメな商店街は、個店に意欲・工夫がないまま、いきなり「商店街の個店が平等に結果・利益を得られるような取組」だけを実施したがります。
 このように、「結果の平等ありきの発想」だから、効果がでないのです。なぜなら結果の平等ありきの発想からは、成功事例を表面的に模倣する取組しか導くことができないからです。
 …私は全国の商店街を見ていますが、水木しげるロードほど「個店が知恵を絞り、その知恵を自らリスクをとって行動に繋げる」商店街はありません。…

支援する側と支援される側だけ意見を聞くから、成果が出ない P.156~158
 ①支援する側と支援される側だけ意見を聞いて、市民(顧客)の意見を聞いていない。
 ②市民の意見は、役所が実施したい施策を誘導するアンケートでは把握できない。
 ③視察は、目的と視点を明確にしてから、自腹を切って行かないと結果は出ない。 
 …商店街が衰退し続ける最大の要因は、顧客目線の欠如という認識をもつ…

まちを守るために、商店街の「再生策は利用者が創る」P.186~187
 自治体が補助金を投入する商店街に関しては、不動産オーナーが店舗を「誰に貸すか、貸さないでシャッターを閉じてしまうか」を、自治体が責任をもって管理すべきです。自治体がそれを怠ると、商店街を救済する名目で補助金を使ったのに、まちを破壊する悲しい結果をもたらしてしまいます。
 商店街の衰退理由が「商店街を金融商品と考える不動産オーナーの私益追求行為」にあるのに、自治体が更に別の補助金を出し続ける実態は本末転倒と言えます。

地元の駅前の再開発が失敗した(広島市南区・愛友市場の取り壊しの方が先になったという現実)要因がすべて当てはまるのである。また何の知恵も絞らず補助金ばかりをあてにする田舎町の悲しい未来もここに描かれている。結局のところ、欲深過ぎる地主や店主(市全体の利益を無視して己さえ儲ければいいという浅はかな考えを持つ)は顧客(や観光客)にそっぽを向かれ自滅していくほかない。失敗の原因は自分にあることを深く反省して悔い改めていけるかどうかが運命の分かれ道なのだ。

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旧山陽道・矢掛本陣石井家住宅

2014年01月21日 | 
矢掛宿で最も有名で人気のある建物が本陣を務めた石井家住宅である。通常の入館料は大人400円であるが、1月11日(土)は受付でシャトルバス路線図の印刷されたペラペラ紙を見せると100円割引になった。

入口

パンフ

開館早々に訪れたので少人数でボランティアガイド(Mさん)の解説を聞きながら中を回ることが出来た。欄間には「蝶と烏瓜」と「栗鼠と葡萄」が彫られていた。宿札は大名が持参したということを初めて知った。日付が入っているために二度と使えず置いて帰ったという話だ。

矢掛本陣に残された宿札には当主の裏書があるのがミソ。おかげで鍋島藩の御殿様一行の一日の動きが判明した。朝早く板倉宿を発ち、矢掛本陣で昼食を取り、その日の晩は神辺宿に泊まっている。一日に約48kmも移動した珍しいケースである。宿札の末尾の漢字が「休」であれば「昼食・休憩」、そして「宿」と書かれている場合は「宿泊」を意味した。

本陣前での撮影

午後から本陣前ではテレビせとうち(TSC)が撮影を行っていた。マイクを持った女性が中島有香さんだとすぐに分かった。本当に綺麗な人である。この映像は4月2日の矢掛町60周年の式典で流されるそうだ。

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