観音橋側道橋南詰から西へ約170m、瀬戸川沿いの道端に太い道標(佐波町133‐1付近)が建つ。表側には「東 西尾道四里三十五町」「北 南浦崎二里七十八町」という文字が刻まれている。


裏も確認すると「西 東福山二十六町」「南 明治四十四年七月 瀬戸村大字山北 安達富五郎建之」となっていた。道標を建てた沼隈郡瀬戸村の安達富五郎氏(嘉永五年生まれ)は呉服商で財をなした人物で南本庄東公園内にも彼が設置した休み石が保存されている。


裏も確認すると「西 東福山二十六町」「南 明治四十四年七月 瀬戸村大字山北 安達富五郎建之」となっていた。道標を建てた沼隈郡瀬戸村の安達富五郎氏(嘉永五年生まれ)は呉服商で財をなした人物で南本庄東公園内にも彼が設置した休み石が保存されている。
