私は常夜灯のある五叉路を右折し一旦広島県道378号(近世の西国街道)を離れた。西方向にのびる小道を60mほど行くと路肩の左に常夜灯、右に石鳥居が建っている。八幡神社の所在地は赤坂町大字赤坂字馬場1506である。

赤坂の八幡神社は中江八幡宮とも呼ばれていた。祭神は応神天皇・神宮皇后・三女神で承和七年(840)創建と伝わる。元々は沼隈郡赤坂村・早戸村・加屋村・津之郷村の氏神であった。


拝殿横(左側)の祠が若宮神社であろうか。石鳥居奥の注連柱(裏面)には明治二十一年と刻まれていた。


八幡神社の程近くに浄土真宗本願寺派・鈴明山浄泉坊がある。源頼政の家臣・佐々木刑部道成(願海)によって開かれた寺で現在の形になったのは慶長十五年(1610)と言われている。釣鐘は明治十二年己卯三月の鋳造である。


赤坂の八幡神社は中江八幡宮とも呼ばれていた。祭神は応神天皇・神宮皇后・三女神で承和七年(840)創建と伝わる。元々は沼隈郡赤坂村・早戸村・加屋村・津之郷村の氏神であった。


拝殿横(左側)の祠が若宮神社であろうか。石鳥居奥の注連柱(裏面)には明治二十一年と刻まれていた。


八幡神社の程近くに浄土真宗本願寺派・鈴明山浄泉坊がある。源頼政の家臣・佐々木刑部道成(願海)によって開かれた寺で現在の形になったのは慶長十五年(1610)と言われている。釣鐘は明治十二年己卯三月の鋳造である。

