広大な駐車場から見上げる比翼入母屋造の吉備津神社本殿(国宝)は迫力満点である。駐車場の脇には犬養木堂先生の銅像が建つ。


犬養毅(木堂と号す)は安政二年(一八五五)に備中国賀陽郡庭瀬村(現在、岡山市川入)に犬養源左衛門の二子として生る。
明治八年(二十一才)上京し慶応義塾に学ぶ。…明治二十三年(三十六才)衆議院議員となる。…
昭和四年(七十五才)政友会総裁となり昭和六年総理大臣となる。しかるに翌昭和七年(一九三二)いわゆる五・一五事件勃発し過激派のために官邸にて暗殺さる。…
…毅の没するや郷党の人々その高風を慕い、昭和九年この地に銅像を建つ。作者は朝倉文夫、雄姿堂々として天下を睥睨するの概あり。


銅像の後ろ側には藤井高尚大人の頌徳碑がある。こちらは賀陽郡宮内村出身の有名な国学者(本居宣長門下)で近くに旧邸(現・岡山大学吉備文化共同利用施設)が残っている。

もう一つ存在を忘れてはならぬが岡山県関係法務死殉国烈士慰霊顕彰之碑だ。裏に松平永芳(故人 靖国神社の第六代宮司)の書いた殉国烈士之碑という文字が刻まれている。戦勝国によって裁かれ刑死した人達を慰霊する目的で碑が造られたのだった。


犬養毅(木堂と号す)は安政二年(一八五五)に備中国賀陽郡庭瀬村(現在、岡山市川入)に犬養源左衛門の二子として生る。
明治八年(二十一才)上京し慶応義塾に学ぶ。…明治二十三年(三十六才)衆議院議員となる。…
昭和四年(七十五才)政友会総裁となり昭和六年総理大臣となる。しかるに翌昭和七年(一九三二)いわゆる五・一五事件勃発し過激派のために官邸にて暗殺さる。…
…毅の没するや郷党の人々その高風を慕い、昭和九年この地に銅像を建つ。作者は朝倉文夫、雄姿堂々として天下を睥睨するの概あり。


銅像の後ろ側には藤井高尚大人の頌徳碑がある。こちらは賀陽郡宮内村出身の有名な国学者(本居宣長門下)で近くに旧邸(現・岡山大学吉備文化共同利用施設)が残っている。

もう一つ存在を忘れてはならぬが岡山県関係法務死殉国烈士慰霊顕彰之碑だ。裏に松平永芳(故人 靖国神社の第六代宮司)の書いた殉国烈士之碑という文字が刻まれている。戦勝国によって裁かれ刑死した人達を慰霊する目的で碑が造られたのだった。
