寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

岡山市北区吉備津・犬養木堂先生銅像と藤井高尚大人の頌徳碑

2014年03月06日 | 
広大な駐車場から見上げる比翼入母屋造の吉備津神社本殿(国宝)は迫力満点である。駐車場の脇には犬養木堂先生の銅像が建つ。

犬養木堂先生銅像

犬養木堂先生銅像の説明


犬養毅(木堂と号す)は安政二年(一八五五)に備中国賀陽郡庭瀬村(現在、岡山市川入)に犬養源左衛門の二子として生る。
明治八年(二十一才)上京し慶応義塾に学ぶ。…明治二十三年(三十六才)衆議院議員となる。…
昭和四年(七十五才)政友会総裁となり昭和六年総理大臣となる。しかるに翌昭和七年(一九三二)いわゆる五・一五事件勃発し過激派のために官邸にて暗殺さる。…

…毅の没するや郷党の人々その高風を慕い、昭和九年この地に銅像を建つ。作者は朝倉文夫、雄姿堂々として天下を睥睨するの概あり。

藤井高尚大人の頌徳碑

藤井高尚大人の頌徳碑の説明

銅像の後ろ側には藤井高尚大人の頌徳碑がある。こちらは賀陽郡宮内村出身の有名な国学者(本居宣長門下)で近くに旧邸(現・岡山大学吉備文化共同利用施設)が残っている。

岡山県関係法務死殉国烈士慰霊顕彰之碑"

もう一つ存在を忘れてはならぬが岡山県関係法務死殉国烈士慰霊顕彰之碑だ。裏に松平永芳(故人 靖国神社の第六代宮司)の書いた殉国烈士之碑という文字が刻まれている。戦勝国によって裁かれ刑死した人達を慰霊する目的で碑が造られたのだった。

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福山市瀬戸町大字山北の熊野神社(その2)

2014年03月06日 | 郷土史
熊野神社の所在地は瀬戸町大字山北719である。石鳥居背後、石段脇に御神木と思しき大木が天に向かって伸びている。『広島県神社誌(平成六年八月一日発行)』における熊野神社の紹介は以下の通り。

祭神 伊弉那美命
由緒 天文五年(一五三六)五月の創祀と伝え、元禄十年(一六九七)に社殿再建す。熊野権現を祀って霊験が著しかったが、村人等は神威を恐れて地蔵権現と改称したところ、神怒に触れて享和三年(一八〇二)五月五日社殿炎上す。よって翌年再建し、熊野神社に
本殿 三間社流造、桟瓦葺(間口二間、奥行二間)
付属社殿 幣殿(一・五坪)、拝殿(一〇坪)、神輿舎(三坪)、手水舎(二坪)、社務所(一一坪)
境内地 一、二二〇坪

社殿へと続く石段

注連柱の裏面

石段を上った先に拝殿・本殿が鎮座する。旧山北村の産土神と言うだけあって境内には石造物の類がたくさん配置されていた。

熊野神社拝殿

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