明治天皇惣爪御野立所から少しばかり北へ行った所が惣爪塔跡である。この辺りを治めていた有力豪族が塔を建立したと考えられている。
跡には塔心礎(とうしんそ ※塔の中心柱の礎石)が保存されているが、畑を造るために周りは相当手が加えられたために今となっては伽藍配置を推定することは困難だ。
説明板の隣に建つ「土肥治平君頌徳之碑」。題額は犬養木堂先生で「土肥治平翁ハ弘化四年十二月十五日(※1848年)代五郎ノ長男トシテ生ル…」という文で始まっている。都宇郡会議員に推され地域発展のために尽力した人物とのこと。
碑が出来たのは昭和五年(1930)五月一日で裏には加茂村長の名前などが刻まれている。犬養よりも年上の翁は惣爪塔跡のもともとの状態(平地ではなくかなり盛り上がっていた)を語ることのできる古老として有名であったという。天平時代の瓦なども出土しており考古学ファンならばおさえておきたい観光スポットだ。私は足守川の土手道を北上し標識から次に向かうポイントを決めた。
跡には塔心礎(とうしんそ ※塔の中心柱の礎石)が保存されているが、畑を造るために周りは相当手が加えられたために今となっては伽藍配置を推定することは困難だ。
説明板の隣に建つ「土肥治平君頌徳之碑」。題額は犬養木堂先生で「土肥治平翁ハ弘化四年十二月十五日(※1848年)代五郎ノ長男トシテ生ル…」という文で始まっている。都宇郡会議員に推され地域発展のために尽力した人物とのこと。
碑が出来たのは昭和五年(1930)五月一日で裏には加茂村長の名前などが刻まれている。犬養よりも年上の翁は惣爪塔跡のもともとの状態(平地ではなくかなり盛り上がっていた)を語ることのできる古老として有名であったという。天平時代の瓦なども出土しており考古学ファンならばおさえておきたい観光スポットだ。私は足守川の土手道を北上し標識から次に向かうポイントを決めた。