寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

台北のセブンイレブンで買い物

2009年07月10日 | 

ホテルに戻る前にセブンイレブンに寄った。内部の造り、品揃えなどは日本とほぼ同じである。レジの横に「(日式)おでん」があるのには驚いた。

おにぎりと台湾名物の「茶葉蛋」を手に取りレジに向かい代金を支払った。店員がポリ袋に入れるのを待っていたが、レシートを手渡すだけで睨めっこが1分ほど続いた。私はようやく袋が有料であることを悟った。向こうも「何だ。日本人かよ」という目で見ていた。

台北で売られているおにぎりは日本のそれと瓜二つである。違いは具材の味付けで、かなり甘い。やはり八角(スターアニス)も使用していた。

「茶葉蛋」はゆで玉子をウーロン茶や薬草などと一緒に煮込んだもの。こちらも一度嗅いだら忘れられない独特の香りだ。味は普通のゆで玉子と大して変わらなかった。

台湾のおにぎりと茶葉蛋

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台北の街をぶらり散歩する(後編)

2009年07月09日 | 

私は「民權西路站」の北西にある陸橋から職場や学校に向かう人達を眺めていた。空気はかなり悪い。埃っぽさが気になった。原付運転者に覆面をしているのが多いのは防塵対策なのである。

簡素な造りの公衆電話

陸橋の階段を下り「民權西路」を西に進む。公衆電話に「南無観世音菩薩」のステッカーが貼られているのが可笑しかった。ビルの看板に書かれた漢字は旧字体である。

敗戦を境に日本では仮名遣いと漢字が変わってしまった。略字体に慣れきった人間が画数の多い文字を読んでいると目が疲れる。

旧漢字ですべての物を言い表す台湾人は賢い。弁当屋、獣医くらいは私にもわかった。鞋は靴を意味している。昔の日本人は草で作った鞋(即ちわらじ)を履いて歩いていた。

旧漢字の看板

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台北の街をぶらり散歩する(前編)

2009年07月08日 | 

台北観光最終日の朝、少し早起きしてホテルを出た。横断歩道の信号機は秒数と歩行者マークが点滅する仕組みになっている。目の悪いお年寄りに優しい配慮だと思う。台北では交通の足として原付が重宝される。かつてTさんはこんな話をした。

街中を走る原付

「台北で自転車に乗っている人を見かけないでしょ。これほど交通量の激しい街でチンタラ自転車なんかこいでたら命がいくらあっても足りないよ。ここでは車よりも原付優先だからね。ほら、原付が常に車の前に停まってる。日本で同じことをしたらば大変なことになるだろうけど(笑)」

私が最初に台湾を訪れてタクシーに乗った時の体験を記しておこう。タクシーの中から3人乗りの原付を何台も見て「何じゃ、こりゃ」と思った。交通渋滞に巻き込まれてタクシーの運ちゃんが急ブレーキを踏むと、後ろを走っていた原付の兄ちゃんが足を伸ばしてタクシーのバンパーを蹴って減速した。兄ちゃんは謝りもしないし、運ちゃんは平然としている。言葉を失ったマネキンのような私に対してTさんはポツリと「台北ではありふれたことだ」と言った。

あれから12年経った現在も乱暴な運転が横行しているのかは知らない。しかし、原付の弾丸スタートはちっとも変わっていないように思えた。

黄色のタクシーと原付

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台北縣平渓郷の天燈飛ばし

2009年07月07日 | 

台北の「平渓天燈祭り」は旧暦の1月15日(現在の2月上旬)に行われる。大きな天燈(紙風船)に各人が願い事を書き込んだ後、膨らませて熱気球と同じ原理で空高く飛ばす。

私が天燈飛ばしを体験したのは元宵節のずっと後、しかも午前中だった。ウズラの玉子大になった天燈が上空で燃え尽き落下するまでの流れを見た。夜に行えばさぞかし幻想的で美しいことだろう。

無病息災を願う祭りとしては日本にも「左義長(とんど)」があり、舞い上がる火の粉と天燈の類似性を考えずにはいられなかった。絵葉書を送った人達にちゃんと説明しなかったのが今でも悔やまれる。

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台北から日本へエアメールを送る

2009年07月06日 | 

麺を食べ終える間際にRさんが話したことがしばらく頭から離れなかった。

「顔立ちがよく似た台湾人と日本人との区別が難しいと言う人がいるけど、麺の食べ方を見れば日本人だとすぐにわかるのよ」

「つまり台湾人が決してしないことを日本人は無意識にしているんですね」

「そうよ。日本人はほとんどレンゲを使わずに丼に直接口をつけてスープを飲むでしょ。台湾では下品な行為と見なされるから注意して。確か、汚い食べ方を意味する日本語があったよね、何だっけ。思い出せないわ」

「犬食いですね!下等な犬や猫が食器に頭を突っ込んでピチャピチャ音を立てて餌を食らう様子から出来た言葉で、育ちの悪い者がよくやってますな。丼に口をつけるのは畜生そのものということですか?」

「正直に言うとそう。だから貴方には教えておこうと思った。気を悪くしないでね」

「平気ですよ。知ってるのと知らないのとでは天国と地獄ですね。どうもありがとう。台湾ではレンゲを使えと友達にも伝えましょう」

彼女は缶ジュースを口飲みすることもないと言った。缶にストローを挿すのが当たり前と聞いて私はびっくりした。食事作法のタブーは国によって大きく異なることを学んだ。

ホテルに戻り、美しい絵はがきを購入した。旅の記念に親しい友人と実家にエアメールを出すためである。楽しい旅の様子を短文で綴りフロントに預けた(料金は1枚10元)

シャム猫切手

※最初の画像は元宵節に行われる平渓天燈祭りのイラスト(台北のホテルで購入した絵はがき)。ちなみに実家にはがきが届いたのは投函から5日後のことだった。

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台北での最後の晩餐(その5)

2009年07月05日 | 

清湯麺(日本のタンメンに似ているが味は別物)は余計な具を極力取り除いている。中華麺の上にのっているのは薄い煮豚とわずかなモヤシ。麺を引き立てる滋味深いスープ。表面に浮かんだ油が丸味のもとである。台北の素ラーメンは讃岐のかけうどんに匹敵する。

Tさんは以前「備後地方のラーメン」をケチョンケチョンに酷評したことがある。

「まず背脂がプカプカ浮いて気持ち悪い。味が脂っこい上に麺がすぐのびちゃう。あんな不味いラーメンは二度と食いたかねぇ」

歯に衣着せぬ物言いに苦笑した私だが、「言い得て妙」と思った。実は田舎町を出る前から「本当にこの程度でおいしいと全国に発信してよいものだろうか」と疑問を持ち始めていたためだ。横浜中華街の味を知ってからは「味覚の鈍いネイティブが喜ぶだけの完成度の低い食い物」との結論に至った(笑)

豚脂を浮かべて悦に入る「広島県東部のラーメン店主」はもっと海外に出掛けて勉強し直した方がいい。新しい味を作り出す情熱と能力無き者は結局安易なコピーに走る。そもそもお手本とするのが低品質だから結果は明白。とても全国レベルでは通用しないのである。

私が好むラーメンの源流はやはり台北の屋台であるという思いが強まった。

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台北での最後の晩餐(その4)

2009年07月04日 | 

「麺類を食べてお開きにしましょう。明日はハードスケジュールになるわよ」

Rさんの顔を見て首を捻った。既に腹八分で食べられるかどうか自信がなかったのである。

「心配無用。こっちのは日本と違って少量だから」

Tさんのすすめで擔仔麺(タンツーメン)にした。中華麺の代わりにあっさりしたビーフンを選んだ。具材は挽き肉、薬味はシャンツァイ。箸でよく混ぜてからスープを飲む。

くどさがまったく無い。シンプルな組み合わせでここまで味を高められるものなのか。日本のラーメンなどは足元にも及ばないと思った。程々の旨みに料理人のセンスが表れていた。私はあっという間に平らげてしまった。

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台北での最後の晩餐(その3)

2009年07月03日 | 

茹でて細切りにした豚の胃袋(ガツ)にはピリ辛味のタレが回しかけてある。生姜の千切りがこれでもかというくらいに盛られているのが面白い。

ガツは弾力に富み、酢の物感覚でいくらでも食べられる。台北のモツ料理で生姜は臭い消しだけでなく、口直しの目的でも用いられていると感じた。寿司におけるガリの役割と同じである。

日本のモツ焼きは塩を多用するきらいがあるが、こちらでは唐辛子を上手に使うので減塩が気にならない。洗練された味に感動した(見てくれが重要視されていないのはご愛嬌)

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台北での最後の晩餐(その2)

2009年07月02日 | 

斜め切りにした腸詰。八角(スターアニス)がよく効いており甘めの味付けである。台北特有と言ってもいいだろう。

Rさんは料理には手をつけず麦酒をなめるように飲んでいたが、私の食いっぷりが余程面白かったのだろう。沈黙を破ってこう言った。

「貴方は美味しそうに食べるのね。しかもきれいに(笑)」

「本当に旨いんですよ。私がオベンチャラを言わないのを知ってるでしょ」

「この人は食べ物の味に関して決して嘘を言わねぇ。俺もモツが食えたら評価できるんだが。ダメなもんはダメだ」

Tさんがチャチャを入れた。

豚タンで生野菜を包みマヨネーズを少しつけたのが、いいアテになった。追加注文した麦酒の栓を抜いて皆のコップに均等に注ぎ分けた。

付け合せの野菜(マヨネーズは甘口)

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台北での最後の晩餐(その1)

2009年07月01日 | 

台北で最も古い歴史を持つ「龍山寺(1738年開基)」にお参りしてから晩御飯を食べに行くことになった。私の希望で台湾の一般大衆が利用する店に入る。先客は2人だけで店内はガランとしていた。

ネタケースにプリプリの豚のモツが無造作に置かれているのを見て生唾を飲み込んだ。台湾麦酒で乾杯し、つまみを適当に持ってくるように頼んだ。

「俺は腸詰を食おうっと」

Tさんがモツを苦手とするのをすっかり忘れていた。

「Tさんの分まで責任をもって食べますからね」

結局、出てきたモツ類の大半は私の胃袋に収まることになった。

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台北の路肩に吐き捨てられた檳榔(びんろう)

2009年07月01日 | 

台北の夜市を歩いて気になったことがある。路肩にいくつも血痰のような赤い染みができているのだ。私は台湾通のTさんに尋ねた。

「ありゃー何ですの?」

「あの赤いヤツは檳榔(びんろう)の吐きかす。ガムのように噛むと目が冴えるんだって。覚醒作用を期待してトラックの運ちゃんなんかが買ってる。まあ、まともな人間は檳榔なんて噛まないよ」

「しかし、汚らしいですな」

昔はカゴを持った色っぽい檳榔売りの姉ちゃんが街角に立って男を吸い寄せたそうだが、規制が厳しくなってからはいなくなったとのこと。私は妙に生々しいかすを見つけて大声を出した。

路肩に吐き捨てられた檳榔(びんろう)

「これなんか馬鹿犬の捻り出した糞にそっくりですよ」

「あら。嫌だー」

Rさんは思い切り顔をしかめた。それを見て男達はニヤニヤしたのである。

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