寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

グリーンピースの卵とじ

2012年05月22日 | 家飯
グリーンピースのひすい煮の応用編。ひすい煮を汁ごと行平鍋に移し火にかける(ヒタヒタの状態が目安)。砂糖を追加し甘みを足す。

グリーンピースのひすい煮を再加熱し砂糖を加え溶き卵を流し入れる

続いて溶き卵を流し入れ好みのかたさに仕上げる。フワフワの豆入りだし巻きといった感じの簡単料理であるが、スプーンですくって食べていくうちに温和な表情になるのがわかる。ほんのり甘い味付けゆえに酒肴としてもよい。

グリーンピースの卵とじ

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滋賀県草津市の立木神社(前編)

2012年05月21日 | 
立木神社前交差点から南へ行くと立木橋(※この南詰辺りにかつて黒門が存在していた)があるが、私はこれより西に架かる赤い立木大橋を渡り立木神社(草津4丁目1‐3)境内に入った。

伯母川(宮川)に架かる赤い立木大橋を渡り境内へ入る

推定樹齢400年のウラジロガシ

樹齢400年ともいわれるウラジロガシの巨木は残念なことに平成21年12月に枯れたらしい。私は東海道と中山道の分岐点にあった道標の前に移動した。草津マンポの前の追分道標には文化13年(※1816)の銘が入っているが、これはその前身と考えられる。

立木神社境内に移築された追分道標(1680年11月に東海道と中山道の分岐点に建てられたもの)

 街道の左手には…立木神社が鎮座する。神護景雲元年(767)の創建と伝えられ、武甕槌命を祀る。境内の手水場の脇には、滋賀県で最古とされる道標が建つ。…

『近江東海道を歩く / 八杉淳(サンライズ出版 2010年)』

石造道標には「みぎハたうかいとういせミち ひだりは中せんたうをた加みち」という文字が刻まれている。草津市指定文化財である道標が造られたのは延宝8年(1680)、今から330年ほど前の話で徳川綱吉が第5代将軍になった年に当たる。立木神社では鹿が神の使いとされ凛々しいブロンズ像が設置されていた。

神の使いである鹿の銅像

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グリーンピースのひすい煮

2012年05月21日 | 家飯
豆ご飯用にゆでたグリーンピースの残りをひすい煮にした。実は初めて作ったのだ。ゆで豆を調味液(昆布だし+塩+砂糖少々+薄口醤油少々)で短時間加熱して冷まし味を含ませる。

色鮮やかに仕上がった薄味の豆はしみじみうまいと思う。見た目が涼しげなので、この時期割烹や小料理屋ではひすい煮をメニューに載せている。期間限定の大人の酒肴にはいい値段がついているが(笑)

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滋賀県草津市草津の道灌蔵(太田酒造株式会社)

2012年05月20日 | 
旧東海道沿いに建つ道灌蔵。明治7年(1874)創業の太田酒造株式会社(草津3丁目10‐37)は清酒道潅を造っていることで有名である。創業者の先祖は江戸城を築いた武将・太田道灌といくらか関係があるようだ。清酒の他にワイン、焼酎、ブランデーなども手がけている。

鮮魚店・魚昌(うおしょう)

酒蔵の向かいが川魚などを扱う鮮魚店・魚昌(うおしょう 草津3丁目9‐25)、氷屋が近くにあるのも頷ける。

浄土宗・佛國山地蔵院正定寺

真宗仏光派・鈴風山養専寺

通りを南西に歩いていくと浄土宗・正定寺(草津3丁目11-39)と真宗仏光派・養専寺(草津3丁目11‐27)がある。料亭・魚虎楼の説明通り、寺は通りからはかなり奥まったところ(除地のため)に位置していた。

東海道から滋賀県道141号を望む

滋賀県道141号山田草津線を横断する。私の目の前を流れているのが伯母川である。

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乾麺で作る冷やしぶっかけうどん

2012年05月20日 | 家飯
うどん(乾麺)を大鍋で茹でかために仕上げる。うどんを冷水で手早く洗い締める。水気をよく切ってから丼に移し、青ねぎ、ごま、天かすを加え、やや濃い目の出汁を適量回しかける。

シコシコ、モチモチの麺があっという間に喉を通り抜けてゆく(飲み込む快感も味のうちか)。暑い日にはおろし生姜を加えたり、たっぷりの大根おろしにカボスなどを絞ってのせると食が進む。私は体調や気温に合わせて薬味(あるいは器)をガラリと変える。固定観念から離れることが美食への近道だ。

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滋賀県草津市草津の館定山浄教寺

2012年05月19日 | 
浄土真宗本願寺派・館定山浄教寺(草津2丁目9-3)の伝道掲示板には歌人・甲斐和里子(かいわりこ)の句が貼られてあった。

賀春
御仏を 呼ぶ わが声は
みほとけの われを喚びます
みこゑなりけり 2012.はる 

浄土真宗本願寺派・館定山浄教寺

本陣小路から旧東海道を望む

参詣を済ませて本陣小路を通り旧東海道に出て南西に進む。左手に大きなマンション・プリマヴィラ本陣が建っている。

マンション・プリマヴィラ本陣

旧東海道に面した野路屋・堀井自転車店・バーバー堀江(北方を向いて撮影)

辻を通過すると昭和4年(1929)創業のBAR BER 堀江(草津3丁目9-16)がある。この並びにはひと昔前の風が吹いているようだった。

浄土宗・布薩山常善寺の本尊阿弥陀如来像は重要文化財

草津宿の古刹・浄土宗・布薩山常善寺(草津3丁目9-7)を望む。境内通り抜け禁止の看板の後ろに京屋氷製麺(草津3丁目10-44)のバンが止まっているが、店はちょうど石柱の向かい辺りに位置していた。

京屋氷製麺

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新玉ねぎスライスのポン酢がけ

2012年05月19日 | 食材
新玉ねぎが出回る季節である。新玉のよい所は生で食べられること。通常の玉ねぎと比較すると刺激臭と辛みは弱い。

薄くスライスしたものをざっと水洗いしてザルに取りペーパータオルで水気をふき取る。これに自家製ユズポン酢をかけて食べる。シャキシャキの玉ねぎは甘くて軽い味わい。残りをポテトサラダに加えてみたが、こちらも味はよかった。

新玉ねぎスライスのポン酢がけ

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滋賀県草津市の料亭・双葉館魚虎楼(後編)

2012年05月18日 | 
私の印象に残っている赤壁の建物は3つある。敦賀市の銭湯福井市福知山市の旧色街にあった妓楼(らしきもの)でどれも非常に目立っていた。ここは料亭で別ジャンルとなるが、私が生きている間は決して忘れないであろう。玄関まで引き返して「人と時が織りなす歴史の小路」という一文に目を通した。

人と時が織りなす歴史の小路(魚虎楼玄関左手に木製看板と共に掲げられている)

人と時が織りなす歴史の小路

 江戸時代(天保十二年)、東海道五十三次の草津宿には、本陣二軒、脇本陣二軒さらには旅籠屋七十二軒が軒を連ね、その賑わいは中山道の分岐と相まって活況を呈していた。
 中略
 これらの本陣とともに、魚虎楼は、旅籠「双葉屋」として営まれ、明治初年に「双葉館魚虎楼」と名を改め、現在まで時の流れを眺め続けてきたのである。この辺りが通称「双葉町」と呼ばれたのも、当楼との関わりの深さの由縁であろう。
 時代の移り変りとともに、町並みも変貌を遂げたが、当時の面影を残すものに「筋違い道」がある。当楼玄関前も道筋の交差が若干ずれており、これは城下町の筋違いと同様のもので、見通しを悪くして警備の配慮がなされたものであろう。またこの辺りは寺院が街道筋より一筋裏に有り、全国でも天井川として有名な草津川から眺めると、寺院が一直線に並んでいることがよく判る。これは江戸時代に課税のできる町屋を表通りに並べ、寺院等は「除地」といって課税の対象から外されていたため、裏通りに置かれた名残りである。
 このように、この小路には、時の流れととの時々の人々が織りなす「時代」があり、あなたは、「今」その中に佇んでいる。

 草津の宿 魚虎楼

巷では創業ウン百年などとアゴを上げて自慢する店が多い中、このように歴史を交えて控えめに自己主張するやり方を初めて見て、一期一会を大切にする料亭のプライドとセンスに感服した。無料でこれだけ勉強させてもらって「ありがたい」と心から思う。

料亭・魚虎楼玄関(女将がお客を送り出しているところ)

この日、料亭では法事の昼食を出したようである。坊さんや関係者を送り出す美人女将と目が合ったので軽く会釈だけはしておいた。

料亭魚虎楼の紹介(草津宿見どころ食べ処より)

草津宿見どころ食べ処(草津市観光物産協会作成)には、美しい庭園と座敷の写真が載っている。本陣料理の伝統をこれからも長く伝えていってもらいたい。料亭の前から鐘楼が見えたので寺に寄ってから帰路につくことにした。

魚虎楼の近くに鐘楼があった

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滋賀県草津市の料亭・双葉館魚虎楼(前編)

2012年05月18日 | 
私は草津市の料亭・魚虎楼(草津2丁目12‐3)玄関前に立ち、この建物が登録有形文化財であることを知った。モニュメントには文化庁の銘があり第25‐0255~0257と番号まで明記されている。

双葉館魚虎楼ふたばかんうおとらろう本館・奥座敷・塀
昭和11年(1936)頃建築

 本館は、2階に80畳敷の大広間をもつ木造2階建の入母屋造桟瓦葺の建物です。通りに面する北側は、竪板張りと赤い内法壁で、料亭らしく仕上げられています。塀も同様の竪板張りと赤い壁で仕上げ、隅切り長方形の窓を開けるなど、上品で洒落た雰囲気が醸し出されています。
 奥座敷は本館の東側の建物で、邸内では本館とともに庭園に面しています。1、2階とも庭園側に縁と庇を巡らせ、大広間は折上格天井とすると、丁寧に仕上げられた建物です。

草津市教育委員会

本陣小路南側に建つ料亭・魚虎楼

文化財として登録されたのは平成20年(2008)3月21日とまだ日は浅い。料亭の名前は魚屋を営んでいた初代・遠藤寅吉氏が料亭に転業した歴史にちなむ。私は赤い壁と塀を見つめて過去の旅先での情景がいくつかよみがえって来た。

料亭・魚虎楼の赤い壁と塀

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草津宿本陣・田中九蔵家跡と本陣小路

2012年05月17日 | 
草津市観光物産館脇本陣を過ぎると渋い食堂・はり治(草津2丁目8‐26)が現れる。そして、ひとの駅マンポのとなり・京八おもちゃ店(草津2丁目8‐25)と続く。京八のレトロな造りが私の足を止めた。

旧東海道沿いにある「マンポのとなり」と「京八」

草津宿本陣田中九蔵家跡(後に知新学校ができた)の表示(京八の横壁下の方にある)

草津宿には2つ本陣があったことが知られているが、もう一つの本陣・田中九蔵家の跡がこの辺りになる。故に京八横の道には本陣小路という名がついている。戦前はかなり賑やかな通りだったと言うが、今は静かである。本陣小路の南側にある横長の屋敷は一際大きく見えた。

旧東海道から本陣小路に入り東へ進む

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もろみ味噌キュウリ

2012年05月17日 | 家飯
少し甘いもろみ味噌を乱切りにしたキュウリにのせたものが「もろきゅう」である。みずみずしいキュウリに発酵調味料を合わせた簡単料理(酒肴)は夏のもの。

トゲのあるキュウリを畑からもいできて作るのが最上の贅沢だ。私は真夏日にもろきゅうで日本酒の水割り(あるいはソーダ割り)を飲むのが好きである。

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東海道・草津宿の脇本陣

2012年05月16日 | 
草津宿田中七左衛門本陣を出て旧東海道を南に進む。冒頭の画像左手中央に見えるのが近江茶を扱う吉川芳樹堂。脇本陣を務めた旧藤屋與左衛門家である。虫籠窓のある建物は築300年。こういうのが通りにさりげなく存在するのが草津のすごい(=良い)所だ。お茶屋の斜向かい辺りには和ろうそくとお香の店・大喜(草津2丁目5‐11)がある。

和ろうそく等を販売する大喜(たいき)

続いて目に入るのが草津市観光物産館脇本陣(草津2丁目7-30)で脇本陣・仙台屋茂八家跡に1997年に建てられた。そば等が食べられ、土産物販売コーナーもある。

草津市観光物産館脇本陣(脇本陣・仙台屋茂八家跡)

草津宿の魅力は何と言っても古い建物と新しい建物の調和であろう。福山市にも神辺本陣(旧深安郡神辺町)があり古い町並みが残っているが、知名度はイマイチである。観光客を呼び込むためには何が必要なのか、関係者はここへ(自費で)来て学べばいい。私が感じ入ったのは、さり気ないおもてなしの心である。

備後地方で「昔の名前で出ています」を連呼する田舎町が旅人にそっぽを向かれつつあるのは、やはり暑苦しさを感じさせるからだと思う(笑)。一歩引くという草津市民の賢さと余裕を見習いたいものだ。

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国指定史跡・草津宿本陣を見学(その3)

2012年05月15日 | 
材木商を営んでいた田中七左衛門本陣の立派な庭に建つ明治天皇草津行在所(あんざいしょ)碑。本陣が高貴な身分の人の宿泊所として利用された証である。

衣装体験実施時間(10時半~15時半、所要時間は15分程度)

時代は変わり入館料を払えば私のような者でも立ち入ることができる。更に本陣内で武家の衣装をまとい殿様、姫様気分を味わうこともできるようだ。

展示の中で最も印象に残ったのが上段雪隠(じょうだんせっちん)である。畳敷きの部屋に大と小が備え付けられているのだが、放出物は木箱に取っていたという説明を読んで驚いた。私はてっきり下には甕(かめ)があるものとばかり思っていた。

現代の雪隠(男性用)

さて現代の雪隠は非常にお洒落できれいに掃除されていた。本陣の見学を終えた頃には雨はほぼ上がっていた。最寄り駅はJR草津駅だが、偏屈な私はあえて楽なコースを選択するのを避けたのである。

草津宿本陣の表門(敷台の前から撮影)

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