寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

倉敷市玉島柏島の補陀山円通寺(後編)

2013年07月25日 | 
白華山山頂近くに建つ曹洞宗円通寺。雲水(修行僧)時代の良寛像の背後に建っているのが白雲閣(座禅堂)だ。

白雲閣(座禅堂)

円通寺の由緒

円通寺の由緒に目を通し本堂前に立つ。寄棟造り萱葺きの本堂は白雲閣の右手に位置し「清浄観」の額がかかっている。

本堂

良寛は二十二の時に故郷の越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町 代官所と御仕置場があった)を離れ玉島の円通寺に旅立った。そして悟りを開くためにひたすら座禅を組み、約12年間修業の日々を送った。

良寛堂(衆寮)

良寛が衆僧と寝起きを共にした衆寮(萱葺き)は白雲閣の左手に位置し今は良寛堂と呼ばれている。良寛時代の唯一の建物で大変貴重だ。

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国道2号線の薄型LED信号機

2013年07月24日 | 日記
昔の信号機にはゼブラ板が取り付けられたものが普通だった。技術革新によって信号機はコンパクトになりLED電球の登場で視認性は格段に向上した。福山市の国道2号線沿いに設置された薄型LED信号機(正式名は交通信号灯器車両用)はブラウンカラーで統一されている。

全ての信号機を確認したわけではないが、信号電材株式会社の製品が多い(背面がフラットで庇が短い)。福山新橋西詰交差点北側の信号機は小糸工業株式会社製である。信号機にはいろんな顔があって注意して見ると面白い。

小糸工業製LED信号機

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倉敷市玉島柏島の補陀山円通寺(前編) 

2013年07月23日 | 
従是圓通寺境内と記された石柱を見つけた時には汗びっしょりだった。話し声の聞こえる方へ行ってみると池があった。

円通寺の池

池に生えた蓮

蓮に止まるシオカラトンボ。このように間近でトンボを見るのは何年ぶりだろうか。私の記憶では昭和40年代の末までは福山市内(中心部)の畑や野原は虫の宝庫だったが、50年代に入ると環境は激変した。

山陽新幹線開通を機に農地が急速に宅地に変わり、小川が暗渠化され夏休みに捕るのはセミ位になってしまった。そして遊び場も野外から屋内へと変わり始めていた。私は汗が引いてから銅像らしきものが建つ所へ移動した。

円通寺境内

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違いのわからない田舎者

2013年07月23日 | 日記
懐かしい友人から電話がかかって来た。用件は非常につまらないものであった。

「福山駅前の釣人像はもう移転したのか?」

「工事は終了したよ。7月の初っ端だったかな」

「ふーん。ちょっと確認するから切るわ。じゃまた後でな」

私はおかしなことを聞く奴だと思って首をひねった。5分後私たちは話を再開した。

「さんすてに電話したら、お姉さんが全く同じことを言ったわ。お前の言う通りだった」

「何でそんなことを聞いたんだ」

「気を悪くしたのなら謝るよ。実はな。釣人像がまだ移転していないと書いたのがいるんだ」

「ほー。暑さで頭がどうにかなったのかよ。駅前に立てば一目瞭然だろが」

「どうやら在来線のホームから下を見て変わっていないと思ったらしい。クロちゃんは(笑)」

「クロ?どこのどいつだよ」

「裏〇業写真帖のカマ〇マンだ。知ってるだろ。ガキになんとか宣言させて大ヒンシュクをかう地区の…」

「もう説明せんでええ。わかったから」

「ダーじゃなくてパーだよな」

「パッパラクロに改名する前に老眼鏡をかけた方がいいんじゃないか」

「確かに。脳は無理としても視力の方は矯正できる。田舎から久々に出て来てチョンポしたということか」

「凶の垢大学でホラ吹き学を専攻したのかはしらんが、何か悪意を感じるな」

「その日はわざわざ没落市へ向かったみたいだが」

「また没落市マンセーネタで二日か三日引っ張るんだろ」

「相も変わらず下品な写真だけで…」

「文章力がないからな。若い頃に古典を読んでいないからあんな風になる。典型的な知ったか世代だ」

「他人の受け売りしかできねえ。で都合が悪くなると周りや環境の所為にする(笑)」

「それじゃーブーメラン眠巣と同じよ」

「まったくだ(笑)」

市中心部のことを書く際にはそれなりに準備して裏をきっちりとる必要がある。それが物書きとしての最低限のルールだ。田舎に住んでいるというハンディは決して言い訳にならないのだ。

五浦釣人像の銘板

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ディスカウントストア・ダイレックス明神店(福山市明神町にオープンした新店)

2013年07月23日 | 日記
平成25年7月11日福山市明神町1丁目にディスカウントストア・ダイレックス明神店(本社は佐賀県)がオープンした。店舗は国道2号線・千間土手中交差点より北へ150mほど行った右手にある。ドン・キホーテ / ラウンドワンの裏手と言った方が分かりやすいか。

国道2号線・千間土手中交差点

明神町(旧東深津町エリア)は商業施設が集中する場所で激しい価格競争が行われている。我々買う側にとっては選択肢が増えるのは非常にありがたい。店の駐車場は東部陸橋南交差点の南東に位置し車からもよく見える。

東部陸橋南交差点そばにオープンしたダイレックス明神店

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倉敷市玉島柏島の天台宗・本覚寺 

2013年07月22日 | 
武田食料品店(玉島阿賀崎1095)の壁に「お寺めぐり」の地図が貼り付けてある。この坂道を登って行けば目的地に着くようだ。

お寺めぐりの地図

排水ダクトの文字に注目

少し先の排水ダクトにはご丁寧に「東向山本覚寺成就院従是五十M 補陀山円通寺従是〇・五KM」と書いてある。本覚寺は円通寺参道脇にあった。

本覚寺の由緒

本覚寺の由緒を要約しておこう。昔島の西山に柏の霊木があり村人の篤い信仰を集めていたが、枯れてしまった。慈覚大師(円仁)が唐へ渡る途中この山に登り枯木から十一面観音像を作って祀ったのが本覚寺の始まりである(柏島の地名はこうして生まれた)。

本覚寺

源平水島合戦以降廃寺となっていたのが再興されたのを機に、かつて慈覚大師が十一面観音像に備える水(阿伽)を汲んだ場所を阿伽崎と呼ぶようになり、後に阿賀崎に転じた(参考文献「商家繁盛中備の魁」)。なお本覚寺の堂宇は近年再建された。

私の進路

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豚肉の柳川仕立て

2013年07月22日 | 家飯
ねじれ解消により我が国は徐々に回復していくだろう。政権の安定化を祝して豚肉の柳川仕立てを拵えた。柳川とは魚介(ドジョウが有名)とゴボウを甘辛い割下で煮て卵でとじる料理だが、畜肉を使ってもよい。

土の香りの強いゴボウと脂肪の多い豚肉とは意外によく合う。シャキシャキのゴボウ、程よい硬さの肉、そしてフワフワの卵、これらの絶妙なバランスが味の深みを生み出す。ゴボウはまさに名脇役と言える。大切なのは見てくれよりも持ち味、それは政治家も同じだろう。

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倉敷市玉島中央町と玉島阿賀崎を結ぶ昭和橋

2013年07月21日 | 
新町通りの西端と対岸の間を流れる里見川。両地区を結ぶのが昭和橋である。玉島中央町1丁目から橋を渡ると住所は玉島阿賀崎に変わる。虫籠窓の家の前を通って西へ進むとタイル張りの洋風建築が現れる。

㈱モタエ

昭和10年(1935)に完成した玉島信用組合の事務所は現在株式会社モタエ(玉島阿賀崎1205)の所有となっている。ここから北へのびる通りが仲買町だが、とりあえず道標に従うことにした。文化11年に建てられた石柱には補陀山圓通寺の文字が刻まれている。

モタエの前に建つ道標

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真夏の選挙結果が示すもの

2013年07月21日 | 暗黒の無政府時代
イトーヨーカドー福山店の近くでヒマワリを観賞しながら4年前のことを振り返った。麻生さんが衆議院を解散した時私は非常に憂鬱であった。「めちゃくちゃな世の中になるだろう」と予想したからだが、不安はすぐに現実になった。

政権交代から半年も経たないうちにあれほど多用された国民目線、民意、事業仕分、政治主導といった言葉が色あせていき今や全くの死語である。また眠巣などは辞書から永久に消したい、汚らしい単語の一つだ。 

昨日の某テレビ番組で人相の悪い(記者上がりの)評論家が参院選での「護憲勢力の獲得議席」に注目と講釈を垂れていたのには笑いすら出なかった。この程度の知能で飯が喰えるのだから随分と生ぬるい業界である。有権者の賢明な選択にイチャモンをつけることしか能がない連中は今晩がお通夜だろう(笑)

駅前の宝くじ売り場

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倉敷市の新港橋を渡り旧玉島新町に入る

2013年07月20日 | 
玉島港の近くで少しくつろぎ新港橋南詰まで戻った。橋はその名の通り旧橋(港橋)よりも下流、溜川排水機場の西側に建設されている。

新港橋の銘板

新港橋より新港水門・溜川排水機場を望む

橋を渡り再び玉島中央町1丁目に入る。新港橋北交差点(信号機付き)の大きな建物が中国銀行玉島支店だ。

新港橋北交差点

玉島新町郵便局前

交差点から西へ約40mの地点に玉島新町郵便局(玉島中央町1丁目22‐11)があるが、かつてこの辺りが新町と呼ばれていたことを今に伝えている。新港橋北交差点よりもう一本北側の通りが新町通りで古い町並みが残る。新町通りは江戸期の潮止堤防上に築かれた町で後に問屋街として栄えた。

私は玉島と福山との共通点(広大な干拓地と港が発展の原動力となったこと)をはっきりと見い出した。そして福山市・国道2号線・千間土手(深津の干拓を進めるために築かれた堤防跡)北側が平成に入って急速に変貌を遂げた点をぜひ玉島の人に見てもらいたいと思ったのである。

玉島中央町(新町)周辺の地図

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福山市入船町1丁目9でエディオン福山本店新築工事がまもなく始まる

2013年07月20日 | 日記
福山市の国道2号線沿いにまたも商業施設が建造される。エディオン福山本店が東警察署(三吉町南2丁目5‐31)の対面に移転する噂は数年前から聞いていたが、難航した土地取得が完了してついに更地に新築工事の標識が建てられた。

エディオン福山本店移転予定地

昭和30年代には児玉木材株式会社の敷地で後に児玉ビルが出来た。平成の一時期ドコモのショップがあったことを私はそのうちに忘れてしまうだろう。入船町から明神町にかけての商業施設の進出は目まぐるしいものがある。

エディオン福山本店移転予定地2

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倉敷市玉島3丁目の溜川排水機場

2013年07月19日 | 
平成7年(1995)に完成した溜川排水機場を川の左岸(玉島3丁目9)から望む。溜川は干拓地(低地)を浸水から守るために造られた悪水溜り(遊水地)である。山から流れて来る水や排水をここに一時的に溜め、干潮時に水門を開けて海に排出する。ゆえに台風接近による増水時には排水機場の役割が特に重要になるのだ。

郷土しおり

排水機場のそばに設置された「郷土しおり」には玉島新田造成以降の歴史が簡潔にまとめられている。町歩きの際にはぜひ目を通しておきたい一文だ。

郷土しおり
 玉島港は、17世紀後半、備中松山藩主水谷氏の新田開発に伴い、藩の外港として整備が図られ、北前船が寄港し、高瀬船が行き交う物資の集散地として栄えた。
 港周辺には白壁の蔵や問屋が立ち並び、山陽の小浪華(なにわ)ともいわれ備中一の産業港として発展し、文人墨客の出入りも盛んで、経済・文化の両面で繁栄した港町であった。
 排水機場およびゲート操作室の建物は、往時を忍び、港町の面影をイメージした白壁の蔵屋敷風とし、玉島のシンボルとして人々に親しまれるよう景観の配慮がなされている。

大正蔵

排水機場の向かい辺りに位置する「大正蔵」。この蔵が出来た頃、川岸は荷揚げで相当に賑わっていたものと推測する。現在の玉島港はのどかそのもので旅人が一服するには最適の場所だった。

玉島港

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猛暑にじっと耐える岡倉天心さん

2013年07月19日 | 日記
灼熱地獄の中に立ち続ける岡倉天心さん(JR福山駅前の釣人像)。動けるのであれば駅構内で涼をとりたいはずだ。土用の丑の日にスタミナをつけてもらおうと飲食店は戦略を練っている。

土用の鮪の日

サントーク二番街の居酒屋は鮪丼で勝負をかける。確かに魚の赤身も御馳走である。鰻以外の選択肢が増えることはいいことだと思う。再開発が一向に進まぬ地区で長への抗議文を見た私は「柔軟性と先見性の両方が欠如しているのだから大変だよな」と言って苦笑した。

キツイ文句

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倉敷市玉島の通町商店街を歩く(後編)

2013年07月18日 | 
朝早く玉島に着いたのでほとんどの店はまだ開いていなかった。おたやん食堂は関西のお好み焼きを提供する店だが、秋から玉島おでんを出すことでも有名である。

夏の(冷やし)おでんがあってもいいと思うのは私だけであろうか。地酒ハイボールのような爽やかなアルコール飲料と抱き合わせで売り込みをかけると面白いと思う。町および商店街の活性化に美味しい料理は必要不可欠なのだから。

元料亭

元料亭2

通町商店街の中ほどから路地を南に少し入った所に江戸長という割烹旅館(玉島2丁目7‐5 廃業)があった。凝った塀の造りなどからして元料亭(昭和初期創業)と思われる。通りに戻り東へ進む途中、懐かしい提灯の文字を見かけた。

洋傘(提灯)店

今では洋傘の修理が主のようだが、提灯作りの伝統がこうして守られていることは嬉しいものだ。私は洋傘店前から引き返して溜川沿いに出た。

通町商店街

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