旧仮名遣いで「思ひ出」と書かれた元パチンコ屋、1階はどうやら車庫のようだ。歴史ある通町(とおりまち)商店街入口前を溜川の支流が流れる。
昔は女性が川端で洗い物をしていたのだろう。まさに昭和の風が吹いているという感じだ。初めて訪れる町なのに何度も来ているのかのような錯覚に陥る。
商店街に入ると右手に高橋荒物店(玉島2丁目7‐27)が見える。2階に取り付けられた胃腸薬「胃活(いかつ)」の木製看板、シルクハットの紳士が時代を感じさせる。明治32年(1899)に発売され大ヒットとなった「胃活」の製造元は信天堂山田安民薬房(大阪市)。
後にロート製薬となり目薬のトップメーカーに成長し「パンシロンでパンパンパン」のCMで一世を風靡したことは記憶に新しい。明治大正生まれの人にとって「胃活」は現代のパンシロンに匹敵するくらいの商品であったに違いない。
昔は女性が川端で洗い物をしていたのだろう。まさに昭和の風が吹いているという感じだ。初めて訪れる町なのに何度も来ているのかのような錯覚に陥る。
商店街に入ると右手に高橋荒物店(玉島2丁目7‐27)が見える。2階に取り付けられた胃腸薬「胃活(いかつ)」の木製看板、シルクハットの紳士が時代を感じさせる。明治32年(1899)に発売され大ヒットとなった「胃活」の製造元は信天堂山田安民薬房(大阪市)。
後にロート製薬となり目薬のトップメーカーに成長し「パンシロンでパンパンパン」のCMで一世を風靡したことは記憶に新しい。明治大正生まれの人にとって「胃活」は現代のパンシロンに匹敵するくらいの商品であったに違いない。
これまでに何度か書いたが、私がアコウ(キジハタ)の美味しさを初めて知ったのは広島県ではなく愛媛県(今治市)であった。巷で幻と言われるアコウ(今治ではアコ)の造りやアラが小さなスーパーで普通に売られており値段もそれほど高くはなかった。所謂庶民が買い求める魚の一つであることに驚きを隠せなかった。
地元でも大アコウを販売する鮮魚店はいくつかあるが、アラ(頭)を別に置く所は流石に質が高い。そこの店主は客に骨蒸し(酒蒸しのこと)にして食べることをすすめていた。
蒸す前に頭に塩をして20分程度放置する。脱水作用で臭み成分を流出させ肉に塩味をつけるのが目的である。頭は霜降りして冷水に取り鱗などを丁寧に落とす。
下処理の終わった頭に酒(+昆布出汁)を回しかけて好みの野菜と一緒に15~20分を目安にして蒸し上げる。ポン酢の他に用意するものは紅葉おろし。上品な味のほほ肉を噛みしめている時は最高に幸せである。
地元でも大アコウを販売する鮮魚店はいくつかあるが、アラ(頭)を別に置く所は流石に質が高い。そこの店主は客に骨蒸し(酒蒸しのこと)にして食べることをすすめていた。
蒸す前に頭に塩をして20分程度放置する。脱水作用で臭み成分を流出させ肉に塩味をつけるのが目的である。頭は霜降りして冷水に取り鱗などを丁寧に落とす。
下処理の終わった頭に酒(+昆布出汁)を回しかけて好みの野菜と一緒に15~20分を目安にして蒸し上げる。ポン酢の他に用意するものは紅葉おろし。上品な味のほほ肉を噛みしめている時は最高に幸せである。
天台宗・羽黒山清瀧寺(せいりゅうじ)は羽黒権現の別当寺として建立された。別当寺とは神社を管理するために置かれた寺のことである。羽黒神社と清滝寺が建つ羽黒山は元々阿弥陀島と呼ばれる小島であった。
備中松山藩(水谷氏の時代)に所領を増やすために干拓が盛んに行われて玉島新田が造成されるが、この阿弥陀島(現在の羽黒山)は干拓を進める上で非常に重要な場所だった。長尾から阿弥陀島までが陸続きとなり船穂方面から高瀬通し(所謂運河)を高瀬舟が下り物資を運んだ。高瀬舟の発着場である船溜まりはタテソース本舗(玉島中央町1丁目7‐8)辺りにあったと言われている。
参考までに羽黒山周辺の地図を載せておく。清瀧寺から約100m北へ行った所に分院なるものが存在する(玉島中央町1丁目6‐8の南西付近)ことはあまり知られていない。
百度石脇の石柱に刻まれた傅教大師(でんきょうだいし)は最澄を指す。清瀧寺は傅教大師第十四番霊場にあたる。私は町歩きの最後で偶然分院を見つけた。これも何かの縁であろう。
備中松山藩(水谷氏の時代)に所領を増やすために干拓が盛んに行われて玉島新田が造成されるが、この阿弥陀島(現在の羽黒山)は干拓を進める上で非常に重要な場所だった。長尾から阿弥陀島までが陸続きとなり船穂方面から高瀬通し(所謂運河)を高瀬舟が下り物資を運んだ。高瀬舟の発着場である船溜まりはタテソース本舗(玉島中央町1丁目7‐8)辺りにあったと言われている。
参考までに羽黒山周辺の地図を載せておく。清瀧寺から約100m北へ行った所に分院なるものが存在する(玉島中央町1丁目6‐8の南西付近)ことはあまり知られていない。
百度石脇の石柱に刻まれた傅教大師(でんきょうだいし)は最澄を指す。清瀧寺は傅教大師第十四番霊場にあたる。私は町歩きの最後で偶然分院を見つけた。これも何かの縁であろう。
湯崎知事が昨日福山の港町を訪れ架橋推進派と話し合いの場を持った。かつて観光課長を務めたというオッサンがテレビカメラを意識しゴロツキ発言をしたのに対して聡明な知事はあくまでも冷静であった。
毎回汚い言葉を発して己の柄の悪さとオツムの弱さを広く知らしめることに私は不快の念を禁じ得なかった。観光客は増えるどころかむしろ減少するだろう。もともと単体での魅力が希薄なことをはっきりと指摘されている地域にとっては大きなマイナスである。
知事が国宝の明王院(草戸町)を福山観光の目玉に位置付けようとしているのは自然な流れだ。今後観光地としてのランクが逆転することは十分に有り得る。オッサンの上司だった人物(元なんたら対策部長)の無責任さには市中心部の人間も堪忍袋の緒が切れそうだ。
毎回汚い言葉を発して己の柄の悪さとオツムの弱さを広く知らしめることに私は不快の念を禁じ得なかった。観光客は増えるどころかむしろ減少するだろう。もともと単体での魅力が希薄なことをはっきりと指摘されている地域にとっては大きなマイナスである。
知事が国宝の明王院(草戸町)を福山観光の目玉に位置付けようとしているのは自然な流れだ。今後観光地としてのランクが逆転することは十分に有り得る。オッサンの上司だった人物(元なんたら対策部長)の無責任さには市中心部の人間も堪忍袋の緒が切れそうだ。