寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

倉敷市玉島中央町の羽黒神社(その1)

2013年07月11日 | 
玉島中央町バス停から清心町交差点に移動した私は商店街に行くつもりだった。しかし、パトカーがサイレンを鳴らして交差点を通過したため東側の大きな鳥居に気が付いたのだ。

羽黒神社の朱の鳥居

石柱には羽黒神社という文字が刻まれていた。なるほど神社は小高い丘(羽黒山)の上に建っている。商店街は後で立ち寄ることに決めた。

羽黒神社の石柱と石灯籠

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ラジコン操作に夢中になる大人達(福山市・宮通りゆかたまつり2013)

2013年07月10日 | 日記
日曜日のまつりのウリがラジコンサーキットであった。27分の1スケールのラジコンカー(ミニッツ)を走らせる男達の目は血走っていた。ラジコンは親子で一緒に楽しめるのがいい。イスに座って観戦する幼子も非常に楽しそうだった。

ウレタンサーキットで行うグリップレース

ラジまに広告チラシ

ミニッツ用ウレタンサーキットを提供したのが福山市松永町のラジコンshop「ラジまに」だ。店舗は国道2号・羽原橋交差点付近(南側)に建っている。広告チラシ裏面の謳い文句「おもしろい店長が出迎えてくれ、入りやすく帰りにくい」が笑いを誘う。立地条件から尾道方面の利用客が多いのかもしれない。

ラジまに広告チラシ(裏面)

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JR新倉敷駅前から両備バスに乗る(後編)

2013年07月10日 | 
両備バスは(洋服の)はるやま新倉敷店の角を曲がりひたすら直進した。この間かなりの数の人が乗り降りするのは意外であった。

ファミリーマート玉島中央店

玉島中央町バス停下車

バスは玉島バイパス(国道2号)の下を通過し岡山県道47号を経て191号へ入った。ファミリーマート、コーモト薬局P‐MALL店の先にある玉島中央町バス停で下車した。

玉島中央町バス停

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西日本の過酷な夏を乗り切る  

2013年07月09日 | 日記
今日も最高気温は33℃を超えた。住宅密集地で暮らす人間は、これからしばらくの間「熱の島現象」に悩まされることになる。夏バテ対策としてはクーラーの除湿機能を上手く使って睡眠時間を確保することが一番だ。喉の渇きを覚えた時に水分を補給できるように枕元に水(ペットボトル)を置いておくとなお良い。

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JR新倉敷駅前から両備バスに乗る(前編)

2013年07月09日 | 
福山在住の人間が東京方面へ新幹線で行く場合には「のぞみ」を利用するため新倉敷駅を利用することはまずない。私は過去新倉敷駅で1回だけ下車したことがある。昔のサークル仲間を訪ねた時だからもう10年位前の話だ。

新倉敷駅という名前になったのは山陽新幹線開通からで以前は玉島駅と呼ばれていた。山陽鉄道の玉島駅が開業したのは明治24年(1891)7月14日。つまり福山駅の誕生よりも約2ヶ月早いことになる。

JR新倉敷駅前の童と良寛像

両備バス車内

新倉敷駅前の童と良寛像をチラ見してバス乗り場へ急ぐ。既に目的のバスは到着していた。私が後部座席に座ってまもなくバスは5人ばかりの客を乗せて駅前を出発した。

車内から新倉敷駅を望む

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JR福山駅南口の五浦釣人像が少し西へ移動した

2013年07月08日 | 日記
JR福山駅前の五浦釣人像の移設工事が終わったようである。西へ約15m移動した形で多少違和感があるが、そのうちに慣れるだろう。

JR福山駅南口の五浦釣人像

五浦釣人像の説明

台座の下辺りには五浦釣人像の説明板がある。県外からの出張者や観光客がこれを見れば像のモデルと作者について少しは記憶に留めてくれるかもしれない。背もたれがついたことを一市民としてまずは喜びたい。

JR福山駅南口の五浦釣人像その2

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湯英彦の地域の宝 チャレンジ・トーク(会場:広島県福山庁舎)

2013年07月08日 | 広島県政
湯広島県知事が福山市中心部を訪れることを私は先月の中旬に知った。住民発表会に参加しようと思ったのは会場が広島県福山庁舎だったことが大きい。そこが旧制の福山誠之館中学(敗戦後は新制の福山誠之館高校)跡地であることに何がしかの因縁を感じたのである。

会場案内

立て看を見て庁舎の4階へエレベーターで上がり資料をもらい着席した。湯さんは午前中に明王院とリム・ふくやま(旧福山ロッツ)を視察したと語り、4組による事例発表が始まった。

チャレンジ・トーク(プログラム)

湯崎英彦知事

私が最も関心を持ったのは、80歳を超えた貝田哲郎さんによる熊野町ふれあい広場クローバーの立ち上げと運営の裏話だった。人口減少・スーパー撤退などの苦境の中で地域住民が「身を切り(=汗・涙・血を流し)」ながら買い物の不便を解消するために奮闘する事例は非常に珍しいと思う。

「クローバーは自転車操業のような状態」だが、「ありがたい」と思えるムラ(まち)づくりを目指すと前向きに話していたのが印象に残った。聴衆は「まずは隗より始めよ」という有名な諺を思い出したに違いない、そしてそれが責任者のあるべき姿だということも。知事のまとめが終わったのが14時50分頃、私はアンケートを書いて庁舎を後にした。

アンケート用紙

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福山市・宮通りゆかたまつり2013・最終日昼過ぎの様子

2013年07月07日 | 日記
昼飯を済ませて宮通りへ向かう。交通整理のお兄ちゃんがちゃっちゃと車をさばいている。朱の鳥居の間にたくさんの露店が並びかなり人がいた。

露店

露店2

これだけ暑いと冷たい飲み物はよく出るはずだ。ラフな格好の親子連れが足を止めて好みの食品を買っていた。ねじり鉢巻きのおっさんの(肉の焼け具合を確認する)目は真剣そのものである。

露店3

露店4

松永下駄の販売コーナーには少し驚いたが、よく考えれば浴衣には下駄がつきものなのだ。射的もあって適度に昭和の雰囲気を感じられるのが嬉しい。

ラジコンサーキット

ラジコンカーレースを見物してから私は彼方此方に寄り道をしながら最終的に合同庁舎へと移動した、湯英彦知事の話を聞くために。

福山市合同庁舎

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熱帯夜と蚊のダブルパンチ

2013年07月07日 | 日記
7月初旬で既に熱帯夜となり先が思いやられる。今週辺りに梅雨が明けるのではないだろうか。真夏日が続くと蚊の攻撃は一段と激しさを増す。寝不足で緩慢な動きの人間は蚊取り線香を焚いて対抗するのが精一杯だ。夏だけは湿度の低い北関東に移住したくなる(笑)

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広島県福山市の阿伏兎祭・花火大会

2013年07月06日 | 日記
阿伏兎(あぶと)という変わった地名は福山市沼隈町と内海町(田島)に残っている。沼隈町大字能登原の断崖に建つ磐台寺観音堂(通称:阿伏兎観音)からの眺めが、兎が伏せているように見えることから地名がついたという説もある。

阿伏兎ノ瀬戸周辺地図

阿伏兎観音と内海町(田島たしま)東端との間(狭い海峡)を阿伏兎ノ瀬戸と呼ぶ。小学校に上がる前、町内の子ども会で阿伏兎海水浴場に遊びに行ったことは良い思い出になっている。内海大橋が開通する25年位前の話だから沼隈側から内海町営渡船に乗ったのだろう。えらい大きな音を立てて船が進むのが私は恐ろしかった(笑) 

阿伏兎祭・花火大会の折り込みチラシは安易に写真を使わず手作り感溢れるイラストが見事。祭開催のための資金調達はなかなか大変と聞くが、備後ソースの売り込み同様、頑張ってもらいたい。花火は沼隈町大字能登原字明神沖から打ち上げられる。花火は自分の目で見ることに意味がある、近場の人も遠方の人も8月9日(金)にぜひお出かけを。

阿伏兎ノ瀬戸周辺地図(その2)

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アジの内臓を捨てずに酒肴にする

2013年07月06日 | 食材
フグは例外として魚の内臓は基本的に食べられる。嬉しいことに捌いたアジにはすべて白子が入っていた。肝の他、胃袋・心臓も捨てるには惜しい部位である。それぞれを塩水で洗い霜降りして調理にとりかかる。

クリーミーな白子とは分けて内臓類を薄味に煮付けた。柔らかい白子に対してコリコリの臓物、食感と旨みの違いをじっくり味わいながら日本酒の水割りを飲み干した。

ワタ煮付け

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アジの酢〆(後編)

2013年07月05日 | 食材
軽く酢で〆たアジは翌日辺りが食べ頃となる。腹骨をすき取り薄皮をはぐ。頭(背)側から皮をめくりゆっくりと尾の方向へ引っ張るのがコツ(急いでやると腹側の身が千切れるので注意)

血合い骨を抜いて八重造りにしたものにほんの少し醤油をつけて食べるのが私は好き。本わさびがあれば最高だ。

アジの酢〆(八重造り)

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「サヨナラ」ダケガ人生ダ ‐ 詩と随筆 井伏鱒二没後二十年記念特別展(ふくやま文学館)

2013年07月04日 | 日記
井伏鱒二は平成5年(1993)7月10日に亡くなっている。没後20年の節目に明日からふくやま文学館(福山市丸之内1丁目)で特別展が開催される。

ふくやま美術館の少し北に位置する文学館には福山ゆかりの作家の原稿などが陳列してあるので私も3度ほど足を運んだ。中でも井伏の旧制福山中学校(※現・広島県立福山誠之館高校)の卒業証書(複製)は見所の一つだと思う。

井伏が母校に対してあまり良い印象を持っていなかったことは彼のエッセイを読めば明白である。私が籍を置いただけの高校で数少ないまともな(英語の)教師が「井伏は勉強があまりできず孤立していたようだ」と語りニヤッとした瞬間をはっきりと思い出すことができる。

確かに教師が発言したように優秀な学生は旧制高校(トップクラスは一高、多くは近くの六高)へ進学し帝大卒業後官吏になるか大企業に就職というコースが普通だった。教師は屈折した井伏を例に出しながらさりげなく総合選抜制度を批判した。学力の低い生徒を集め続けた結果、レジャーランド高校と揶揄されるようになったのは名門OBとしては堪えがたいことだったであろう。

垢教師の肥溜めだった高校と縁が切れた時に私は本当に清々しい表情を浮かべた、それは永久の「サヨナラ」を意味していた。言論の自由なき異常な学校で3年間を無駄にしたことが未だに悔やまれる。

ふくやま文学館周辺地図

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