寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

トリスハイボール缶(サントリー)

2013年08月24日 | 家飯
今年の夏はハイボールをよく飲んだ。トリハイは自分でも時々作るのだが、この350ml缶はより飲みやすい味になっている。

トリハイの原料

レモンスピリッツ(サントリー独自の原料酒)の添加でトリスの甘苦い味をほとんど感じないのだ。またほんのり香るレモン感が心地よい。フレーバー(香料)のさじ加減は絶妙で家で飲む楽しさを覚えた人も多いのではないだろうか。爽やかな飲み口のハイボールは10月半ばくらいまでは楽しめそうだ。

トリハイ

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倉敷市玉島中央町3丁目14・阿弥陀水門の樋門石

2013年08月24日 | 
里見川の畔を離れ岡山県道47号・玉島児童館前交差点北側の歩道橋を渡ると玉島歴史民俗海洋史料館(玉島中央町3丁目14‐1)の前に出る。

玉島児童館前交差点の信号機

阿弥陀水門の樋門石に関する説明

史料館の入り口付近に「阿弥陀水門の樋門石」と書かれた説明板があることに私は気付いた。矢印の方向に目をやると大きな石が3本横たわっていた。

阿弥陀水門の樋門石

阿弥陀水門の樋門石は平成三年(1991)二月の下水道工事の際新町の「若屋(玉島中央町1丁目15‐6)」前道路で発掘された。水門は大正の頃までは羽黒山のすぐ西、つまり金光堂新町店(同町1丁目15‐1)の辺りにあったそうである。

阿弥陀水門の樋門石2

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続・JR福山駅前一部改修工事

2013年08月23日 | 日記
今日、福山駅南口の工事現場では鉄筋の骨組が造られていた。責任の明確な民間の仕事は役所のそれと違ってスピード感がある。

工事現場

工事現場2

土木作業員とクレーンの動きを眺めていて、小中学校の耐震化工事が一向に進まない事態を多方面から批判されているのを思い出した。河田恵昭教授が某テレビ番組の取材に応じて「怒らない父兄も悪い」と露骨にこき下ろしていたのが印象的だった。確かに上から下まで危機感が欠如しているのだ。茹で蛙だらけというのも本当に困ったもんだ(笑)

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倉敷市玉島阿賀崎の昭和水門

2013年08月23日 | 
点検整備中の昭和水門(昭和五十年完成)から南方の昭和橋を望む。右手が南町、左手の建物が南田精肉店である。防潮水門では里見川の水位を観測している。



里見川左岸の歩道橋そば(玉島中央町3丁目14)に1本の長い石柱が建っているのが見えた。川を越えて表面の文字を確認したところ「水谷候遺徳顕彰之碑」であった。


石柱のほど近くの石碑には「…此度ノ市制実施ヲ記念シテ偉業ヲ偲ブ當時ノ樋門右ヲ以ッテ水谷候顕彰ノ碑ヲ茲ニ建立シタ次第デアリマス。昭和二十七年五月十五日 水谷候遺徳顕彰會」と刻まれている。碑は浅口郡阿賀崎新田村が同郡玉島町を経て玉島市(現在は倉敷市の一部)へと発展した歴史を今に伝える。


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おしい!広島県 THE MOVIE2

2013年08月22日 | 日記
先日、「おしい!広島県 THE MOVIE」の第2弾を見た。呉市出身の俳優・河原さぶさんを副知事役に起用しておしい(≒それほど知られていない観光)名所を紹介してゆくPVである。

「おしい!広島県 THE MOVIE2」の内容

三原のタコ料理をさりげなく夕食のシーンに盛り込む辺りがいかにも戦略家・湯崎さんらしい。しまなみ海道と県北の神楽にもスポットライトが当てられていた。広島県とJRグループがタッグを組んだ「広島県デスティネーションキャンペーン」は好評のようで福山市の県立歴史博物館の入場者数は前年よりも大きく増えた(※8月13日の産経新聞の記事を参照)

おしい!おしくない!どっち!?広島県のリーフレットには1泊2日でめぐる「瀬戸の海満喫なら南じゃろ」コース(三原~しまなみ海道~尾道~鞆の浦)が載っている(他には西と北がある)。サイクリングと船で島や港町をのんびりと巡る旅も確かになかなかオツなものである。海無し県からの観光客にぜひともその魅力を確かめてもらいたいコースだ。

1泊2日でめぐる「瀬戸の海満喫なら南じゃろ」コース

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倉敷市玉島阿賀崎・仲買町の町並み(その3)

2013年08月22日 | 
およそ200年の歴史を持つ吉田畳店(玉島阿賀崎1238)。9代目(父)と10代目(息子)が力を合わせて店を守る。

吉田畳店

畳は消耗品と思っている人が多いかもしれないが、定期的に表替えをすることで畳の寿命を延ばすことができる。かつて備後畳表は福山の主要な産業の一つであった。

白神紙商店

白神紙商店株式会社(玉島阿賀崎1241)は明治初年からこの地で営業を続ける。諸紙卸商としての屋号は室屋(むろや)である。

屋号は室屋(むろや)

若き後継者は日常雑貨としての紙の可能性を模索する。このように老舗存続の鍵はより良い商品作りへの貪欲なまでの挑戦ではないだろうか。伝統を大切にしながら新たな分野を開拓することは経営の要である。私は商店前から住吉山を望み里見川の畔に出た。

白神紙商店前から住吉山を望む

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JR福山駅前一部改修工事について

2013年08月21日 | 日記
JR福山駅南口の改修工事が進んでいる。駅構内の日本旅行TiS福山支店(三之丸町30‐1)は居抜状態となっていた。

改装中の日本旅行TiS福山支店

福山駅一部改修工事のお知らせ

支店の大きな窓ガラスに「福山駅一部改修工事のお知らせ」の紙が貼ってあった。現在ここから東へ15mほど行った場所(仮店舗)で営業を続けているが、9月1日に新装開店の予定である。

福山駅一部改修工事(地図)

地図を参照すると仮設塀で囲まれた部分がサンステの拡張エリアとなるようである。塀の角が透明となっており工事の進行具合を確認できる。五浦釣人像があった場所の背後に元町の天満屋が見える。新施設建造のため釣人像は西へ約15m移動したのであった。地図上で赤枠の六角形が移転した釣人像の位置、そして赤紫色の丸が仮設塀の透明部分である。工事期間は11月下旬ごろまでとの事(あくまでも予定)。

五浦釣人像があった場所は現在工事中

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倉敷市玉島阿賀崎・仲買町の町並み(その2)

2013年08月21日 | 
菊池酒造株式会社(玉島阿賀崎1212)は明治十一年(1878)の創業。有名銘酒として燦然(さんぜん)などがある。

銘酒・燦然

燦然とは「きらきらと光り輝くさま」を表す難しい言葉だが、一度覚えてしまうと頭にずっと残る。現社長(杜氏)は同門にあたる。

近藤萬丈の生家

菊池家は「近藤萬丈(幕末の国学者)」の生家で大きな説明板が取り付けられていた。その左半分が岡山県指定玉島町保存地区(仲買町・西町案内)案内(※地図)になっており、旧町名に疎い旅人には嬉しい配慮であった(玉島味噌醤油合資会社の辺りが浅口郡阿賀崎村役場跡)。観光での集客アップを目指す我が故郷・福山が今後大いに参考にすべき点だ。

岡山県指定玉島町保存地区(仲買町・西町)案内

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ロングセラー商品・かっぱえびせん(カルビー)

2013年08月20日 | 食材
幼い頃遠足の菓子によく選んだかっぱえびせんは今でも食べる。ほどよい塩気のスナック菓子はビールのつまみにいい。小袋は私のような酒飲みの需要に応えるために作っているのかもしれない。塩気と旨みのバランスが絶妙なので本当に手がとまらなくなる(笑)

かっぱえびせん

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倉敷市玉島阿賀崎・仲買町の町並み(その1)

2013年08月20日 | 
住吉山公園の石碑より北が仲買町である。玉島歩きの達人ガイドでは仲買町を「仲買人が蔵を構えた通り」と説明している。

仲買町の町並み(玉島歩きの達人ガイドより)

かつての問屋街には趣深い建物が並ぶ。テレビの玉島特集では必ずと言ってよいくらい登場する玉島味噌醤油合資会社(玉島阿賀崎1208)が通りの左手にある。

玉島味噌醤油醸造

呉服店

味噌と醤油を販売する店の隣が鴨方屋呉服店でこれまたシブい味わいだ。仲買町が人気のスポットであるのも納得がいく。通りを進むと杉玉を飾った酒蔵が現れた。

酒蔵

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鱧(ハモ)の炙り

2013年08月19日 | 食材
『鱧が大好き』という(関西)人は幼い時から高品質のものを食べていると思ってまず間違いない。鱧は産地と鮮度で大きく味が変わる魚である。いい鱧にはそれなりの値段がつく。

私が初めて鱧の炙りを食べたのは大阪・上本町の某寿司屋(サラリーマン御用達)であった。それは皮目だけを炙った所謂焼霜造りで鱧の美味しさを最大限に引き出していた(梅肉ダレの調合も見事だった)。

少しの癖のある皮を加熱することによって香ばしさを出し、かつ食べやすくするのは古典的な日本料理の技法だ。鱧の甘みと旨みを堪能するには最適の料理法だと思う。梅肉ダレ以外では山葵醤油がおすすめ。

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倉敷市玉島阿賀崎の鮮魚店・中屋小売部

2013年08月18日 | 
南町と呼ばれる地区まで歩いてきた。㈱中屋の近くには旧玉島魚市場があった。鱧が最高に美味しい時期だが、小売部(玉島阿賀崎980)の店先には何故か「長門ぶり」のトロ箱が積み上げられていた。

中屋小売部

金光堂本店

虫籠窓の御菓子司金光堂本店の先が昭和橋西詰である。漸く幸町まで戻って来た私は左へ曲がり住吉山公園下に向かった。

住吉山公園下

住吉山公園と記された石碑の上には昔住吉神社が建っていた。その後住吉神社が(玉島中央町の)羽黒神社に合祀されて境内は公園に変わった。住吉山の上には魚霊塔があるそうだ。

備中松山藩水谷氏の時代は新田開発ブームであった。干拓を進めるために柏島(住吉山)と阿弥陀島(羽黒山)の間に新町堤防が築かれ、ここに商いをする人達が移り住み新町通りが出来た。

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ロングセラー商品・三ツ矢サイダー 

2013年08月18日 | 食材
思いっきり汗をかいた後で飲む三ツ矢サイダーの味は格別である。オールゼロ(スクラロース等の人工甘味料使用)という商品も出たが、私は緑色(従来)の缶の方が好みだ。甘味を抑えたい時にはグラスに移してソーダを足してやるといい。たまには自分だけのサイダーを拵えてみてはいかが?

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11日連続の猛暑日

2013年08月17日 | 日記
8月7日からずっと猛暑日が続いている。私が最もしんどいと感じたのは8月8日、9日だった。いくら暑くてもお盆を過ぎれば住宅密集地も徐々に涼しくなるのがこれまでの常識だったが、今年は雨が降るまで我慢する他ないようだ。海水温上昇で魚がまともに獲れず漁師、鮮魚店、料理屋は大変だとか。食通にもつらい夏となってしまった。

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倉敷市玉島阿賀崎の旅館・備後屋

2013年08月17日 | 
玉島柏島のスクラップ工場を通り過ぎて少し歩くとまた法界地蔵尊(宝暦十四年申六月の文字 ※明和に改元する直前)が祀られていた。柔和な表情の地蔵から異様な熱気を感じた。傍らに建っている薬師堂が開いていれば強い日差しを避けて中で休憩したことだろう。

法界地蔵尊

薬師堂

私は暑さに耐えかねて近くのセブンイレブンに入って冷たいアイスを買い求めることにした。袋から取り出したガリガリ君はすぐに溶け始めた。焦って食べたのでこめかみが痛くなったが、体の火照りは多少取れた。

旅館備後屋

史蹟備前藩御屋敷跡

戎町(玉島阿賀崎)の重厚な造りの建物角に石碑が建っていた。「史蹟備前藩御屋敷跡 / 平成十九年一月十四日建之 玉島文化協会 玉島観光ガイド協会」と記され江戸時代中期には存在していたような説明があった。もともと阿賀崎新田村は備中松山藩・水谷氏が開発したものだが、世継ぎが認められずお家断絶、所領が幕府に召し上げられた。

玄関の上部に「旅館備後屋」の表示があった。大正三年(1914)に料亭として創業した備後屋は現在料理旅館となっており間もなく創業百年を迎える。生粋の備後人は備中で備前と備後の文字を見て「3つ合わせれば吉備の国だ」と呟いた。

旅館備後屋2

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