青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

秋晴れと、空色のトラム。

2021年09月20日 13時00分00秒 | 万葉線

(青空とドラえもんトラム@万葉線・高岡駅前)

緊急事態宣言中ってのは百も承知してましたが、ワクチン接種も二回を無事に通過したのでソロ活中心でまたまた富山に出掛けて来ました。台風も早めに抜けた三連休でしたのでね。この時期に越中の国を訪れるのはもう自分の中で恒例になっていて、これで四年連続四回目。よって秋の富山の地鉄の写真は今更いいよ・・・って言われてしまいそうな感じだし、さすがに自分でもやや食傷気味なところもあって、日中は少し足を伸ばして万葉線にも乗りに行ってみたり。高岡駅前のアーケード街、目抜き通りを堂々と貫く軌道に現れた万葉線の「ドラえもんトラム」。加越能鉄道から第三セクターへ経営を移管してはいるものの、これも元はと言えば地鉄にルーツを持つ鉄軌道線であり、広い意味で地鉄の一部みたいなもんですからね。

万葉線は駅前のアーケード街を抜け、高岡駅高架下にある軌道線乗り場へ滑り込む。高岡駅前は街の姿こそ立派なれど、まだまだ大手を振って外に出れる訳でもないという感じなのか人もクルマも極めて少なかった。そもそも北陸新幹線が直接高岡駅を通らなかったことが、富山第二の都市である高岡の地盤沈下に拍車をかけているという記事も読んだが、そこにコロナが追い打ちを掛けたのかもしれない。地方都市の宿痾ともいうべきか、やはり高岡の駅前通りにもシャッターを下ろしたままの店が目立つ。

こんなにヌケのいい晴れの日はいつ以来だろうか。嬉しさにシャッターも弾む秋晴れの空の下、空と同化しそうなドラえもんトラム。昔も今も高岡が生んだ最大の偉人と言えば、藤子不二雄のF先生こと藤本弘氏(A先生こと安孫子素雄氏は氷見市)ですなあ。縁あってお見かけする事の多かった先生だが、小柄で大人しそうな風貌をしていて、失礼ながらとても世界的な漫画家とは見えなかった事を思い出すのである。

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射水昔日

2018年10月11日 17時00分00秒 | 万葉線

(僅か5分の船旅@富山県営渡船)

「越ノ潟フェリー」の愛称で親しまれる富山県営渡船。万葉線の越ノ潟駅に隣接する越ノ潟発着場と、対岸の堀岡発着場を結んでいます。富山新港の開削に伴って、分断された港口部の交通代替手段として就航している渡船なので、料金は無料。以前は早朝夜間も運行するなど長年に亘って地域の交通を支えていましたが、地域の過疎化と新湊大橋の開通によって最近の利用者は減少の一途。それでも県の事業として朝7時から夜の8時半まで、15~30分間隔のダイヤで港の開口部を往復しています。


就航している船は、1階に軽車両用の甲板を持つ2階建ての立派な作り。30~40人くらいは乗れるんだろうか。自転車とか原付までなら乗せてもいいことになっていて、近所の利用客がチャリンコや原チャリで乗ってきたり、最近はサイクリストの利用なんかも多いようで。


丁寧に時計を見ていた発着所のおっちゃんの合図で船のタラップが上げられ、もやい綱が解かれると、船はゆっくりと回転しながら越ノ潟の岸壁を離れて行きます。物見雄山のたった一人のヨソモノのために、安くない重油を使って運行してくれるのだからありがたやという感じなのだけど、まあ日曜日の朝なんかいつもそんなもんか。出発前に船長さんはいかにもな私の格好を見て「向こうで降りないで戻って来るよね?」と声を掛けて来たので、そういう需要もそれなりに多いのかもしれない(笑)。

 

新湊大橋を進行方向左に見て、対岸へエンジンを唸らせる渡船。前日とは打って変わってすっきりとした青空の朝、秋らしい乾いた風がひんやりと頬を撫でて、実に爽快な気分の船旅だ。これがタダなんて返す返すもホント申し訳ないよ。空にハープを立てたような美しい姿の新湊大橋は、主塔の高さ127mの巨大な斜張橋。大型船舶の寄港も可能な富山新港の規格に合わせて作られています。


新湊大橋の西側主塔と、その下に停泊する海王丸をセットに。モーターボートが航路を横切る。主塔の横には歩行者のアクセスルートであるエレベーターが付いていて、車道の下を通る歩行者部分は「あいの風プロムナード」と命名されています。「あいの風」って、「あいの風とやま鉄道」とかにも使われてるけど何なんだろうね。と思って調べてみると、同社のHPに「『あいの風』とは、春から夏にかけて吹く北東のさわやかな風で、古く万葉集の時代から豊作、豊漁等『幸せを運ぶ風』として県民に親しまれています」とのこと。旅に出ると何かと賢くなるな。


あっという間に船旅は折り返し地点の堀岡発着場に近付き、船はスピードを落とします。昔はこの堀岡の発着場の向こうに射水線の新港東口駅があって、富山方面への電車が出ていたそうです。正直昭和55年に廃止された鉄路の事など知る由もないのだけど、「射水線 画像」でググってみるだけでもその雰囲気に引き込まれますね。当時の駅名を紐解けば、八ヶ山(やかやま)、鯰(なまず)鉱泉前、四方(よかた)、打出(うちで)、本江(ほんごう)、練合(ねりや)などなど読み辛くも風情のある駅名が並んでいて、軌道線と鉄道線の車両のあいの子のようなデ5000が、富山平野の片隅を港町に向かって走っていた光景に思いを馳せてしまうのであります。


富山地鉄射水線は、古くは新富山駅(現富山トヨペット本社前駅)から市内軌道線に乗り入れて富山駅前まで運行されていた経緯もある事から、残っていればLRT化によって富山市北部の交通事情が大きく変わっていたのかなあと思ったり。北陸の地方私鉄は昔っから「郊外電車が路面電車っぽく市内に乗り入れる」という構造を持っていたところが多いですよね。新潟交通とか、富山だとこの射水線や笹津線、現在の福井鉄道もそう。北陸地方は富山ライトレールに始まって、えちぜん鉄道と福井鉄道の相互乗り入れとかLRTを導入しての都市交通改革に非常にフットワークが軽い印象があるんだけども、昔からそういう下地が醸成されているからなのかもしれない。

万葉線の新吉久駅近くに、当時の射水線で使われていたデ5000型の最後の生き残りデ5022が保存されています。富山新港建設による東西分断時に加越能鉄道へ譲渡されたグループのうち、このデ5022だけは除雪用の車両として解体されずに頑張ってたんだよね。見に行けば良かったんだが失念してしまいました。どこらへんに保存されてんだっけ?とグーグルマップで探したら見付かった(笑)。世の中便利になったもんだ。
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越ノ潟逢瀬

2018年10月10日 17時00分00秒 | 万葉線

(船溜まりを行く@中新湊~東新湊間)

新湊市街の運河を渡る万葉線のトラム。抜けるような青空の下、港町の雰囲気一杯の風景の中を走ります。新湊市街と言いましたが、新湊市は平成の大合併により既に消滅しており、現在は射水市の地域の一部。新湊は「放生津(ほうしょうづ)」の名前で、古くから北前船の寄港地として栄えた港町。近年では新湊高校なんかも甲子園に出て名前を売っていますから、「射水」という地域ローカルな名前よりもよっぽど全国区な地名であったと思うのだが。


新湊みたいな昔っから栄えていた港町って、個人的には住民が港町気質で案外にプライドが高そうだから(偏見?)、よく自分たちの名前を捨てて合併したなあと思わなくもない。那珂湊市(→ひたちなか市)とか清水市(→静岡市清水区)みたいに、合併してもインディペンデントな感じがする街と言うのがあるのだが、ここ新湊もそんな感じ。地図上で見ても合併した旧射水郡の町とは地続きになっていないのもイマイチ一体感に欠ける。まあ何が言いたいかと言うと、個性ある地名は消して欲しくないって事と、土地と結び付いた文化を混ぜこぜにする事なく大事にして欲しいなあと思うだけ。


万葉線の終点、越ノ潟にて暫し憩うドラえもんトラム。以前は富山地鉄の射水線が富山市内から北上し、四方(よかた)から海沿いを走って放生津潟(越ノ潟)の砂州を超え、新湊で加越能鉄道の高岡軌道線と接続。富山市と高岡市の間を、射水線と高岡市内線がちょうどホチキスの針のような形でコの字型に結ぶ交通路が形成されておりました。しかしながら、昭和40年代に放生津潟を浚渫して富山新港を開港するため、開削された港口部で鉄路は東西に分断(越ノ潟~新湊は加越能に移管)。国策によって分断されてしまった地鉄と加越能鉄道は、富山新港の港口部に鉄路の代替として運行を開始した県営の渡船を使って連絡運輸を継続しますが、東側の射水線は乗客減に耐え切れず、昭和55年に廃止されてしまいました。

 

上記のような経緯から分かるように、すっごくぶった切られ感のある越ノ潟の駅。駅の出口は、そのまま目と鼻の先にある渡船乗り場に続いています。そして振り返ってみれば駅の背後の中空にはベイブリッジもかくや、と思わせる巨大な構造物。平成24年に完成した新湊大橋によって、分断されていた新港の東岸と西岸が結ばれるようになりました。

 

対岸の堀岡発着所から、渡し船が戻って来ました。朝夕は時間4往復、日中は時間2往復の運行で、基本的には万葉線と接続するダイヤになっているみたい。‪以前はもっと運行されていたらしいが、やはり橋が出来てしまうとわざわざ渡船を使って新港を渡る必要はなくなる訳で、当然のごとく利用者は減少傾向にあるそうな。新湊大橋にはエレベーターが付いていて歩行者も利用出来ますが、高所にある橋上の歩道を500mも歩かされるというのは年寄りとかの交通弱者には優しくないので、渡船はその辺りを勘案して残されているのかもしれない。

「乗りますか?」
船着き場の案内係のじいちゃんに声を掛けられ、カメラを片手に乗り込んだ渡し船の乗客は、アタクシ一人でした。
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庄川払暁

2018年10月09日 17時00分00秒 | 万葉線

(朝靄の中を@庄川口~六渡寺間)

さすがにアルペンルートに向かう宿泊客が多いと見えて、朝からゴソゴソと人の気配のするビジネスホテルで目覚めた早朝。手元のスマホは5時を表示。ヤマ屋の朝に負けず劣らず、撮り鉄の朝も早いと相場が決まっている。すんなり地鉄の撮影に向かっても良かったんだけど、ちょっと思い立った浮気な心。手早く身支度を整えて向かったのは、富山市の北西にある射水市の新湊地区。富山三大河川の一つである庄川の河口部に架かる長い橋、朝靄が赤く煙る広い広い氾濫原を渡って行くのは高岡から新湊を結ぶ万葉線の新型LRT。万葉線…という名前では自分には新しすぎて、やっぱり「加越能鉄道」と言った方がしっくりと来る。


加越能鉄道という名前の通り、「加賀」「越中」「能登」を広くカバーする企業として富山県西部の公共交通を支えて来た加越能鉄道ですが、不採算でジリ貧となってしまった鉄道部門を切り離し、現在運営するのは三セク企業の「万葉線株式会社」。高岡軌道線の写真と言えば何はなくともこの庄川の長い長い鉄橋で、その鉄橋の長さに似合わない小さなチンチン電車が遠くからカタコトと走って来るカットがお約束だったような気がする。お目当ては旧加越能色のデ7073。一応6時台のスジに入っているという情報…だったのですが、どうやらこの日は点検日だったようで、普通の広告車がやって来ました。




そして、万葉線の新しい人気者と言えばドラえもんトラム。万葉線の起点である高岡市は、作者である藤子不二雄氏の「F」こと藤本弘氏の生まれ故郷(「A」こと安孫子素雄さんは氷見市の出身)。彼らが二人で高岡から夜汽車に乗って上京し…みたいな話は「まんが道」で読みました。個人的にも、故あってお姿をお見掛けする事の多かった先生ですが、もう亡くなられて20年ですか。早いもんだ。

ドラえもんのモノマネ!と言って、その殆どが大山のぶ代バージョンじゃなくなった時、本当の昭和の終わりが来る気がするのだが、いかに。
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