青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

夢さえ潰えた鉄路

2019年08月16日 20時00分00秒 | 南海電鉄

(忘れられた線路@汐見橋~芦原町間)

大阪キタのターミナル、阪急の梅田の駅を堪能した翌日。今回の大阪行、宿泊はなんばの外れの比較的リーズナブルなホテルに家族で宿泊したのであるが、キタと違ってミナミのほうはちょっと繁華街から外れるとどちらかと言うとダウンタウンな感じが色濃くなるよね。戦後間もない頃からの大阪というか、混沌とした民族の交わりだったり、あからさまな貧富の差だったり、明らかに東京の街にはない恩讐の混じった感情が渦巻いているような雰囲気がある。ホテルを出て少し歩くと、大阪ミナミの外れに今日も忘れられたような線路が伸びる。赤茶けたバラストと錆びた架線柱が、阪神高速の下で続いています。

南海電車の汐見橋線。旧高野鉄道が、大阪ミナミへの橋頭保として道頓堀駅(現汐見橋駅)に乗り入れたのが明治33年(1900年)のこと。しかしながら、大正年間の高野鉄道と南海鉄道の合併によって、大阪ミナミのターミナルは南海なんば駅に一本化されます。以降、高野線の列車もほぼ全てがなんばに向かうようになり、岸里玉出~汐見橋間は尻切れトンボのようにその存在価値を失ってしまいました。汐見橋線と大阪環状線が交差する踏切、誰が消そうともしない壁の落書きと、ガード下に歪んだ長屋と一杯飲み屋の看板が続く風景。

汐見橋から一つ目の芦原町駅。汐見橋線の駅は、汐見橋の駅を抜かして他は駅員がおりません。一応は大手私鉄の駅らしく自動改札化されているので、改札については問題はないのでしょうが。明らかに昭和30年代チックな味もそっけもないモルタル造りの駅舎だが、どうしてそのチープさが周囲の埃っぽいような風景にマッチしているのであった。汐見橋線の駅前にはやたら自転車が捨てられているのだけど、これも誰が片付けるのやら。そもそも大阪は西成とか浪速区の辺りに行くに従ってやたらジジイがチャリンコでヨタヨタ走ってる光景が目に付く。それも朝から晩までずーっとフラフラヨタヨタと歩道を走ってるんだよね。あれ何なんだろ。大阪のジイサンって寝ないの?

芦原町の駅は2面2線の相対式ホーム。上下線は構内踏切で結ばれています。訪れたのは始発電車が走る前の時間・・・当然ながらこんな時間に駅を訪れる人間は一人もおらず、昨晩の熱帯夜の名残りがホームのベンチにじっとりと染みついたような気怠い朝。駅の汐見橋側で交差する大阪環状線、最新型車両の323系がまるで別世界の電車のように高架線の上を通過して行きます。

構内踏切が鳴って、始発電車が芦原町の駅に滑り込んできました。南海の汐見橋支線では、「角ズーム」と呼ばれた22000系を支線用に転用した2200系が使用されています。この1編成が、30分間隔で汐見橋~岸里玉出の間を行ったり来たりするのみの機織り運用。一応複線ですが、1編成による運用で賄えてしまうダイヤなので、複線であることの意味は既にありません。この汐見橋支線の運転士の方は、日がな一日この路線をひたすら行ったり来たりするのだろうか。半日くらいで交替しないとあまりの退屈に気が滅入りそうだ。

汐見橋行きの始発電車が、空気を乗せて大都会大阪の辺境を行く。この路線がこんな忘れ去られたような状態でも維持されているのは、ひとえに汐見橋から先を延伸して大阪梅田に至る「なにわ筋線」構想のためと言われていました。この路線は南海悲願のキタへの進出の足がかりとなるはずでしたが、当初汐見橋経由とされた計画が「採算に乗り辛い」という事で、新線は新今宮の近くから地下線に入り、地下に作られたなんば新駅から御堂筋線をバイパスしての延伸となる計画に近年変更。阪神で言うところの西九条線的な大逆転を夢見た汐見橋線の存在の意味は、いよいよ希薄化してしまいました。

汐見橋で折り返して来た岸里玉出行きに乗って、ちょこっと大阪のディープな街並みを眺める事にいたしましょう。芦原町から乗った電車は、僅かな乗客を乗せて大阪の端をゆるゆると走る。どの駅も、駅に街の景色がそっぽを向いているというか、駅前なのに店一つないような駅が続く。自分以外の客が津守で降りてしまうと、僅か10分足らずのショートトリップは、終点の岸里玉出まで誰も乗ることもなく終わるのでありました。

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高野を走り半世紀

2016年05月22日 19時00分00秒 | 南海電鉄

(りんかんニュータウン@美加の台駅)

高野線の山岳部から離れ、紀見峠を抜けて河内の国に戻って来ました。これからはジワジワ自宅に戻る方向に向かって進んで行く作業になるんですけど、まあスルKANのエリアは広いので乗った事のないゾーンを潰しながら有効活用しないのはもったいない。南海高野線の山岳部の車両は撮影しましたが、平坦線を行く車両って撮影してませんでしたよねって事で降りたのが美加の台駅。紀見峠に繋がる丘陵地帯に開かれた南海のニュータウン、急行に乗ればなんばまで35分の位置ではあります。


美加の台駅は元々単線の地上線だった区間を、橋本までの複線化工事に伴い高架化して出来た新駅。なんば方が緩やかに高架線を立ち上がって来るアングルで、編成撮りには好適です。高野線山岳部の主役が2000・2300系のズームカーグループだとしたら、平坦線の主役はこの6000系グループ。堺の東急車輌で製作されたステンレス製の車両で、初期ロットは昭和37年の製造。もう車齢は50年を超えたというのに東急車輌のクルマは持ちますなあ。さすがに錆びないステンレス。


早朝新今宮から河内長野まで乗った6200系。顔からして東急の8000~8500系をコテコテっと関西バージョンにしたようなデザイン。出目金顔。6連固定編成なので高野線の各駅停車に主に投入されている感じです。


同じ6000系グループでもスカートを履いている6300系。旧6100系を更新したグループが6300系だそうです。ちょっと南海の付番って山陽の3000系もそうだけど細かくてわかりづらい。デビュー年で並べ直すと、古いほうから6000・6100・6200系→現在は6000・6300(6100更新)・6200系と言う並びになります。わざわざ改番なんかするからややこしくなる(笑)。


このシリーズ、2連4連6連とそれぞれ様々なユニットの編成があって、実情に応じて2+2で4連、単独4連、単独6連、2+4で6連、2+2+2で6連、2+2+4で8連、4+4で8連と時と場合によって様々な組み合わせで走っている。デビュー当時は東急のライセンシーで外付けディスクブレーキ台車(パイオニアサード)を履いていた関西唯一の車両でもありました。今は全部履き替えられちゃってますけどね。パイオニアサードが見たかったら貝塚から水間鉄道に乗れば元東急の7000系が走っているので見る事は出来ますけどw


ちょうど区間急行の林間田園都市行きのなんば寄りに6000系のトップナンバー6001がぶら下がっていた。こっち側の面構えいいっすね。丸みを帯びた妻面から屋根への造形は、飛躍してるけどB29とかの初期の大型爆撃機のような…いずれにしろ初期の東急車輌のステンレス車ってアメリカの技術(バッド社)を元にして作っているので、アメリカンな魅力に溢れていますよね。屋根上の細かい分散型のクーラーは京王の5000系を思い起こさせます。大手私鉄で未だに片開きの4ドアで頑張ってるの、この車両と京急の800系くらいなもんじゃないですか。


6000・6300(旧6100)のグループは、同じ6000繋がりで東急の6000系(初代)と意匠に共通するところがあって、調べたら東急6000が昭和35年製ですから影響を受けているのは間違いなさそうですね。ただ本家の6000は平成になるかならないかくらいの時期に全廃されており、未だに高野線の主力として活躍する南海6000系シリーズの驚異的な長寿命には驚きを感じます。沿線住民の人も「そろそろ新車出してくれへん?」とか言わないのかな。だって昭和37年とか南海ホークスが監督鶴岡一人で4番野村克也(27歳)とかの時ですよ?(笑)。名物オーナー川勝さんの死去とともになんばを去ったホークス、確かファームの球場と寮は高野線の中百舌鳥にあった事を思い出します。
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箱庭の中の列車たち

2016年05月21日 19時00分00秒 | 南海電鉄

(俯瞰場所へ@椎出集落)

高野下の駅を望む俯瞰場所に行くために、椎出の集落の裏路地を登ります。坂道も急過ぎるとアスファルトじゃなくてコンクリートになるのはなぜなんだろうね。前はこーゆー坂道を上ると息がかなり切れたもんですが、手術したからそんな事はなくなりました。っていいんだか悪いんだか。まあ普段ものぐさなアタクシにとっては重い荷物を担いで歩き回るなんてホント旅先ぐらいの話なんで、趣味のためならえっちらおっちらとこんな坂道を登って行くのであります。


斜面をよじ登るような坂道を登り、不動谷川の作った小盆地にある椎出の集落の上のほうへ出て来ました。ちょうど高野下の駅に極楽橋方面行きの各駅停車が到着。真田幸村のトレードマークであった赤い甲冑をイメージした2000系の「真田赤備え」編成です。山の斜面の新緑は鮮やかに、つづら折れの道は山の上のほうにある畑まで続いています。山の上のほうは果樹園になっているようですねえ。谷底に人が住み、果樹園を山の上に作るのは日当たりの関係もあるんでしょうね。


同じ場所から左を見ると、駅を出た列車が今度は箱庭のような椎出の小盆地をぐるりと回って下九沢方面へ向かって上がって行くのが一望できます。高野下の駅付近でほぼ180度進行方向を変える列車は、ここからさらに険しくなる高野山の山懐へ飛び込んで行きます。最急勾配の50パーミルが断続するのもこの辺りから。

 

速度は遅いですけど、カーブが激しいせいで列車のフランジ音は結構遠くから聞こえて来る椎出の集落。2000系ズームカーの2+2の4連。赤備えもこうや花鉄道カラーもいいけど、ブルーとオレンジのラインの落ち着いた現行の南海カラーが似合っているような気がします。南海2000系は平成2年に作られた車両ですけど、同時期に作られた小田急の1000系とか東武の10050系とかとちょっとデザインが被るような感じがする。どれも東急車輌が製造に絡んでいるせいなのか、ツヤ消しステンレスに少ないコルゲート、ブラックフェイスに角目の尾灯と共通点が多いですよね。当時の流行りなのかもしれないです。

 

高野下の大カーブを回って、山を降りて来る特急こうや4号。橋の下を通るのは国道370号線です。大正14年に高野下まで鉄道が伸びてきた際は、ここが高野山の最寄り駅でした。高野下から高野山への参詣道はここ椎出の集落から峠道を抜けて現在の紀伊神谷駅付近に至り、極楽橋を渡って不動坂と言われる坂道を登って行ったのだとか…。駅名に「高野下」を名乗るのも、一応は高野山の最寄り駅であった時代があるからなのでしょう。今の感覚で言うと最寄駅でもなんでもないですが(笑)。


こうや4号までを撮影して山を降りる。高野下駅に進入してくるのはオーソドックスな南海色の2000系ズームカー。駅ホームの上屋を支える柱は古レールで作られていて、それも1896~1907年製の年代モノなのだとか。カーネギーの古レールって結構鉄道の駅の支柱に転用されたものが残ってたりするよね。本当であればもう少し高野線に残ってトレッスル橋の中小沢橋梁とか見に行ってみたかったけど、そろそろ自宅に向けてジワジワ移動を開始する事に致します。
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ズームカー今昔

2016年05月20日 19時00分00秒 | 南海電鉄

(開業当時そのままに@高野下駅)

九度山から各駅停車に乗り換え、高野下駅に戻って来ました。一時期は終点でもあった駅なので、現在でもこの駅止まりの列車があったりします。丹生川支流の不動谷川に沿った、椎出という山中の小集落にある駅は、おそらく開業当時のままの木造。石垣の上にあるホームから階段で駅前に降りて来るような形になっていますが、この石垣と駅入口の間のビミョーな空間は、昭和34年まで高野山森林軌道(木材積み出し用のトロッコ)が走っていた名残なんだそうな。


駅からはトロッコの軌道跡を使った遊歩道が整備されており、渓谷に沿って九度山の駅へ向かって下って行く事が出来るようになっています。高野下の駅で降りたカップルも、ハイキングがてらこの道へ向かっていく様子。太陽が高くなって結構暑くなってきましたが、駅前の自販機で冷たい飲み物を仕入れて歩き始める事にしましょう。

 

もとより、この遊歩道を歩いて九度山の駅まで行くのはおそらく一時間くらいかかってしまうので、その途中にある高野線の撮影スポットを目指しての移動。最初は舗装されていた道も、いつの間にかアスファルトは途切れ、森の中にいかにも林鉄の廃線跡だなあって感じの素掘りの切通しなどがあったりしていい雰囲気。


駅からのんびり森林浴気分で歩くこと15分、高野線が竜王峡を渡る鉄橋が見えて来ました。ここが高野線の撮影スポットである丹生川橋梁。大正14年の開業時に架設された上路トラス橋で、個人的にはこの手のトラス橋は大好物です(笑)。下を流れる丹生川の流れは岩を噛み、気持ちよさそうに白く波立って流れている。川と並行する国道の車の流れも少なく、たまにツーリングの一団がドドドドッと音を立てて通過して行くのみ。


早速ポイントに三脚を立て、岩場に腰を下ろしてのんびりと列車を待つ。やって来たのは急行の極楽橋行き。17mの2000系ズームカーでも3両乗らないアングルの短い橋で、全編成乗せるならこの逆サイからのアングルになりますが、光の回り的には編成ぶった切れてもこっちだよねえ。この列車はなんばから直通してくる急行で、橋本で8→4両に落とされた後極楽橋へ向かう列車です。なんば→極楽橋の直通急行は平日2本、土休日1本のみと非常に少なく、基本的には橋本乗り換えを余儀なくされます。


橋本から返して来た天空1号。深緑の車体が竜王峡をゆっくりと渡って行きます。3両弱が限界のアングルでも、天空は極楽橋側2連ですからこれでいいでしょう。夏を思わせるような強い日差しでちょっと光線がカタい感じも致しますが…さすがにいい時間帯の高野山方面行きの列車なんで、車内の乗車率は上々の様子。列車はこの丹生川の鉄橋を渡り、椎出トンネルをくぐると高野下の駅に出ます。


1編成しかない貫通型の31000系でやって来た特急こうや5号。橋本までの「特急りんかん」に使われる同じスタイルの貫通型11000系は21m車ですが、この31000系は高野山岳線規格の17m車。どこまでの輸送力がこの区間に求められているかは分かりませんが、いずれにしろ17m×4両が限界では、優等列車は21m車の6~8連が中心の完全な都市型輸送の橋本以北と山岳線区の橋本以南は運用面でアンマッチが起こってしまうのは仕方がない事かもしれません。

 

昔から「大運転」と呼ばれるなんばから極楽橋行きの直通列車に使われていたズームカー。初代ズームカーである22000系はついこないだまで往時の塗色で大井川を走っていましたね。都会から山岳地帯まで、起点と終点で大きく性格の変わる南海高野線の特徴を捉えて活躍していましたが、バブルの時代に大幅に沿線住民を増やした高野線には17mの2扉車と言うのはなかなか使い勝手が悪い。老朽化もあり、後継車として2000系新型ズームカーを投入してはみたものの、21m車と17m車が混在する事で列車ごとに長さや両数や扉位置がバラバラするし、何より車体の小さい17m車は混雑が激しい。基本的には特急以外は橋本で系統を分断するという判断に至り、大運転は大幅に縮小。橋本~極楽橋ローカルは2連ユニットの2300系が主に担当する事になっています。


本来は大運転用に作られ、ズームカーの系譜を引き継ぐはずだった2000系。系統分断によって主たる職場が奪われた結果、余剰となった一部は南海本線に転属してそこまで混まない各停運用に就いています。車両が短くドアも少ないため、前面に大きく「2扉車」と書かれてるトコロが物悲しい。ホントはこんな場所を走るつもりはなかったであろう2000系のリストラ後のトホホな状況を一枚。たぶん2扉車で来ると知らなくて4扉車のドア位置で待ってる客とかに「チッ!」って舌打ちされているのだろうね。2扉なのも理由があんのよ。そこを分かっていただきたい(笑)。
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「天空」その価値。

2016年05月19日 19時00分00秒 | 南海電鉄

(「58」は「コーヤ」の58@観光列車・天空)

橋本~極楽橋間を走る南海電鉄の観光列車「天空」。2代目ズームカー21000系を祖とする改造形式である2200系を用いた車両ですが、高野山の山の緑をイメージした深緑に塗り直されています。勾配をモチーフにした意匠がシャープ。ズームカーと言うのは「険しい山岳区間から平坦区間まで、広い範囲をカバーする車両」を「広角から望遠まで、広い範囲を捉えるズームレンズに見立てた」愛称なのだそうですが、デビューした当時にはカメラのズームレンズはそこまで普及していなかったりとかで諸説あるようです。

 

駆け足での高野山参拝を終え、ケーブルカーで極楽橋の駅まで降りて来ました。ここで乗り換えるのが橋本行きの天空52号。普段は1号~4号の2往復体制ですが、GWですから臨時便も走ります。乗車には座席指定券(510円)が必要なので、極楽橋の駅の出札口で指定券を求めようとしたのだが、なんと当日券は山の上の高野山駅でしか扱っていないらしい(笑)。先に言ってくれよ。まあ発車まで席が埋まらなかった場合は車内のアテンダントから整理券を買う事は出来るので事なきを得ましたが。整理券っていうか車補だね。

 

発車間際までバタバタしながら乗り込んだ天空。2号車のほうは予約の団体さんが貸し切り状態なので、1号車に通されたのだがこちらはガラガラ。眺めの良い西側の窓に向かって並ぶ横掛けの椅子、なんだか伊豆急のアルファリゾート21みたいですね。通路を挟んで奥が一段上がっているのは映画館のようでなかなか気が利いています。アテンダントさんは若い女性車掌、案内もたどたどしいですがそこはまあ若いから良しとしてあげなきゃ(笑)。

  

天空ご自慢の「ワンビュー」と呼ばれる大きなワイドガラス。窓の外の高野の森を一枚の絵のように見せてくれます。五月の抜けるような青空へ向かって伸びる山腹の笠木集落、よくもまああんな場所に住んでいるものだ。ボンヤリと外を見ていたら、さっきのたどたどしい若い女性車掌さんがグッズの販売をしに来たので、ご挨拶がてら子供へキーホルダーをお土産に買う事にする。

 

とりあえず橋本まで行くと戻るのが面倒なので、九度山駅で下車。関ヶ原の戦いで西軍に付き、徳川家康の怒りを買った真田一族が流されたのがここ高野山九度山の地。折しも大河ドラマ「真田丸」にて観光需要の掘り起こしに一旗揚げようと九度山町も頑張っちゃってるようで、駅も真田一族のマークである六文銭に彩られてたり。近くに「真田ミュージアム」なんてーのも作っちゃってやる気満々ですが、アタクシそーいうのにはあまりキョーミないですね(笑)。


九度山の駅は、紀ノ川が作る僅かな河岸段丘上の平野から高野山へ向かっての登り口にあたります。駅を出ると真っすぐに丹生川の谷に沿って高度を上げていく高野線の線路。特急こうや3号が30‰に迫る坂道を上がって行きます。九度山は真田一族の歴史を持つ土地である他には富有柿の名産地でもあり、秋になると車窓からも鮮やかな色をした柿が実る光景が見えるのだそうな。


九度山駅を出る天空52号。天空車両の併結側のドアは展望デッキとして整備され大きな窓扱いになっているのですが、ここの許可を国交省にもらうのが大変だったんだとか。この天空用車両の改造については南海電鉄のHPに詳しいですが、某水戸〇センセーの車両ほどは大改造をしてませんし、内装もゴテゴテと凝ってませんし、クセの強いモノを置いていない分シンプルな良さはあると思うのだけど…正直ね、正直510円を払うのはビミョーかなあと(笑)。この天空を見てしまうと、〇戸岡センセーの車両も色々言われるけどあれはあれで客がカネを払うのに納得する何かは作ってたんだなあと。

橋本まで途中は九度山と学文路の2駅しか停車しないんですけど、他の駅にも停車して何らかのアトラクションを絡ませたり出来ないのかな。駅で停車して物販(飲食系)と絡めたり、もうちょっとスローに走ってくれてもいいと思うんだけどね。意外とこの区間もダイヤが詰まってるからスジが寝かせられないっぽくて難しそうなんだけど。せっかく特別な車両を作ったからには、もっと沿線と有機的に結合して価値を高められるような仕掛けがあったらいいんじゃないのかなあ。今のままだと「橋本と極楽橋の間を走ってるちょっと変わった電車」で終わってしまうような気がしますけど。
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