青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

梅香る、西鉄最古の参詣路線。

2024年09月18日 17時00分00秒 | 西日本鉄道

(ちっちゃなころから悪ガキで@西鉄久留米駅)

二日目の朝の西鉄久留米駅。前日は、二日市温泉の博多湯に寄った後、夜遅くの西鉄久留米駅まで行き、駅チカの商店街の居酒屋で軽く飲んだ後駅前のホテルに入って早々に寝てしまった。久留米の街も観光すればそれなりのものがあるのだと思うのだが、今回は寝るだけの街になっちゃったかね。朝起きて着替えを済ませ、ホテルの無料朝食の夏野菜カレーをゆっくりと食べて西鉄久留米駅前へ。昨夜は暗くてよく分かんなかったけど、なかなか立派な駅ですね西鉄久留米の駅。もとより西鉄大牟田線において、久留米市は福岡市に次ぐ沿線第二の都市で、人口は約30万人弱。駅としても天神・薬院・大橋に次ぐ第4位の乗降人員を誇っていて(2023年度29,261人)、街外れにあるJR久留米より西鉄久留米の方が利用者数が圧倒的に多く、ダブルスコア以上の差がついているそうな。2Fに駅が入る商業ビル「エマックス・クルメ」は地上4階建て。西鉄ストアをはじめ、ドラッグストアに100円ショップと生活に密着したテナントが並んでいます。その他は博多鳥皮や久留米ラーメンのご当地グルメもありますが、あとはスタバ、タリーズ、ゴンチャといかにも「っぽい」テナントが入っていて、さして面白みはありません(笑)。

ところで、個人的には「久留米」と言うと我々世代ではチェッカーズなんですけども認識間違ってませんかね?(笑)。藤井フミヤはお父さんが国鉄マンで、本人も久留米の高校を出てからデビューするまで国鉄の鳥栖駅に勤めていたのは有名な話でしょうか。全くどうでもいい話であるが、会社の若い子とカラオケに行ったとき、彼らのデビューシングルである「ギザギザハートの子守唄」の一節、「ちっちゃなころから悪ガキで 15で不良と呼ばれたよ」を「週5で不良と呼ばれたよ」と思い込み、「週5で不良と呼ばれてるよっぽどのワル」という理解をしていた子がいて笑ってしまったのを覚えている。この曲が世に出た1983年ってまだ週休二日制が導入されてなかったから、「週5」という概念がなかったのではないか(笑)。そんなどうでもいい話を思い出しながら、早朝の西鉄久留米駅の改札を抜ける。「筑紫まで追い越されません」って表記は面白いね。関東だと「筑紫まで先にまいります」になるので。そういういちいち細かいところに目が行くの、我ながら面倒くさいスタンスで生きているなあと思う。

西鉄久留米6:20発、急行西鉄福岡(天神)行きでサクサクっと二日目を始める。西鉄電車、朝の女性専用車は一番大牟田寄りに付いていますが、今の時間はまだ適用外なのでご心配なく。そして西鉄の弱冷房車はこれも編成の一番大牟田寄りに付いていて、イレギュラーがなければ女性専用車=弱冷房車という取り扱いになっているようです。一般的に女性の方が「冷房は寒い」っていう人が多いと思いますし、これはいい取り組みですね。この急行は5000形の3+4=7連ですけど、西鉄は優等列車でも5+2=7連や3+3=6連とか、異形式連結の4+2=6連があったり、2+2+2のブツ6連があったり。そもそも種別ごとの両数が揃ってないのもあるし、なかなかバリエーションも多彩。以前は4+4=8連もあったようなのだけど。

西鉄久留米から急行電車で25分、昨日は温泉に入るために途中下車した西鉄二日市へ。ここから太宰府線に乗り換えて、太宰府天満宮に行こうと思ってるんですよね。勿論、折角なんでも乗れるきっぷを持っておるのだから、この際西鉄を完乗しておきたい!という気持ちもある。というてもまだ朝早いので、そんなに急いで太宰府に行ったってしょうがない。てなわけで朝の平日のラッシュ時間帯、バンバン走って来る福岡方面行きの通勤列車を集めて行こうと思います。まずは3000形の5連「旅人」。太宰府周辺の観光情報でラッピングしている。西鉄の普通列車、地域の流動によって2~6両まであってこれも両数が一定しない。3000系自体も2・3・5連の固定編成があって、組み方のバリエーションが多彩ってのもある。

6000形4連+7000形2連の混結でやって来た急行西鉄福岡(天神)行きと、最新鋭の9000形の急行花畑行き。西鉄の9000形、同じ川重製造ということで京阪13000系とかあのあたりのデザインが流れ込んでいる感じがする。前面ガラス下部を曲線で処理しているところとか。西鉄の通勤系電車って、現役では最古参の5000形から始まって6000→6050→7000→3000→9000と続いているのですけど、3000形のところで遺伝子がプツッと途切れてますよね。それまでの鋼製車にアイスグリーンの塗装という流れから、ここでオールステンレス車体&無塗装を受け入れてるからなんですけどね。京急なんかはステンレスを受け入れてもフィルムシールでボディにカラーリングを施したりしましたが、9000形は西鉄の車両にはちょっとピンとこない臙脂色のカラーリング。アイスグリーンじゃないのね・・・。そして3000形の2+2+2のブツ6急行西鉄福岡(天神)行き。6両編成の列車の全車両に運転台がくっついている変態仕様。こういうのは座席が少なくなるからラッシュだと詰め込みが効かなくなるんで、関東だと東武しかやらないですねえ(偏見)。

ひとしきり朝ラッシュの西鉄電車を眺めた後、西鉄二日市駅の大宰府線ホームへ。線内折り返しの5000形4連がのんびりと運用に就いていた。昭和50年から製造が開始されて、今でも西鉄では最大勢力の車両数を誇る形式ですが、既にデビューから50年。最近になって廃車となる編成もちらほら出ており、総計で118両まで増備された車両数も現在では100両をちょっと欠けるくらい。これからは「新時代の通勤型車両」としての位置付けで開発された9000形が増備されていくでしょうから、徐々にその両数は減って行くものと思われます。両数があるから一気にラストランってこともないと思うけど、東急の8500系とかも何となくぼんやりしてたらいつの間にか営業編成がいなくなってしまったからねえ・・・そういうのってあるよね。

太宰府行きの5000形4連は、まばらに過ぎるお客を乗せて西鉄二日市の駅を出ると、いかにも支線だなあ!という感じでキイキイと車輪を軋ませながら右に曲がり、中間駅をひとつ止まったか止まらないかくらいの雰囲気でフワっと通り過ぎた後、あっさりと終点の太宰府駅に到着した。正味10分もない短い支線の旅である。こういう「目的」のはっきりした路線にありがちなあっさりとした短さっていいよね。関東で言うところの西武狭山線みたいな。もとより、この太宰府線が太宰府天満宮の参詣路線として馬車軌道で開通したのは明治35年(1902年)のことで、天神大牟田線を西鉄の前身である九州鉄道が建設したのが大正11年(1924年)の話。現在は支線扱いはされていますけど、路線としては太宰府線の方がだいぶ先輩に当たるんですよね。

太宰府の駅は、全国の天神様の総本宮である太宰府天満宮の最寄り駅でありますので、ホームの柱は緋色に塗られ、天満宮にゆかりの梅の花があしらわれた垂れ幕がホームを飾ります。筑紫野は太古の昔から国府(太宰府)が置かれた西国九州の国家の中心地、考古学の好きな方には見どころは多く、天満宮の他にも各種名所旧跡には事欠かない街です。それゆえに太宰府線は参拝客や観光客が中心の客層・・・と思われがちなんですが、どっこい周辺は福岡都市圏のベッドタウンでもあり、筑紫台高校(旧筑紫工業高校)などを擁する学生の街。この時間は上りの電車に乗って福岡方面へ出勤する人や、夏休みですが学生の姿もあり、日常の生活路線としても重要な路線となっています。ラッシュ12~14分間隔、日中13~17分間隔という微妙に異なるダイヤで、短い路線を一生懸命、忙しなく日がな往復しています。

五月雨式に乗って来るホームの乗客たち。
時期を確かめて車掌さんが吹鳴一斉、二日市行の電車が発車して行きます。

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トラディショナルに魅せられて。

2024年09月16日 08時00分00秒 | 西日本鉄道

(バスを待つ、君と繋がる熱帯夜@西鉄二日市駅前)

西鉄福岡(天神)から夕方ラッシュの特急に乗り、混雑した車内から暮れて行く筑紫野の街を眺める。そのまま久留米まで乗っていても良かったのだけど、西鉄二日市の駅で途中下車。駅西口の西鉄バスのバスのりば、行き先ごとに手書きの看板が掛かっていて、なんともひと昔前の雰囲気が感情に訴えかけてくるねえ。ところどころ消された行き先に「かつての栄華」を偲ぶ部分もあるのだけど、西鉄バスってのは西日本最大のバス会社ですから、これでも路線は十分に維持されている方とも思う。もとより九州、たびたび災害によって寸断される鉄道より今や高速バスが都市間輸送の主力となっている感もあって、九州の高速バスが乗り放題の「SUN-Qパス」なんていう企画券も旅の強い味方。そして路線バス部門に目を移せば、福岡都市圏を旅しているぶんには、だいたい西鉄バスがどこでも連れてってくれるという強力な安心感がある。

夜になっても蒸し暑いバスのりばにやって来た西鉄バス。西鉄二日市とJR二日市の二つの駅を繋いで市街を循環するルート。西鉄とJR、同じ名前を持っていても駅がだいぶ離れていて、特に西鉄二日市とJR二日市、西鉄久留米とJR久留米なんかはちょっと歩くのが面倒なくらいの距離がある。小岩と京成小岩、佐倉と京成佐倉くらいの位置の齟齬があるので、利用される人は注意した方がいいのかもしれない。JR二日市に行きたいんだったら、むしろお隣の紫駅から歩いたほうが近いのだが、紫駅は普通電車しか止まらない駅なので利便性が薄いのが泣きどころ。こちらだとJR西船橋→京成西船くらいの感覚で乗り換えることが可能なんですけどね。とりあえずすべて京成で例えてみた(笑)。

西鉄二日市駅からバスに乗って10分、やって来たのは二日市温泉の温泉街。温泉大国・九州の中でも二日市温泉は特に長い歴史を持つ温泉で、開湯は奈良時代ともいわれる古湯。「博多の奥座敷」と呼ばれる温泉場には、今でも5軒程度のホテル・旅館が軒を連ねていますが、道路を挟んだ向かい合わせに「博多湯」と「御前湯」という共同浴場があって、ここを中心に二日市温泉の中心街が形成されています。共同浴場の「博多湯」は1860年(万延元年)の創業。中の造りは岩風呂の内湯一つながら、特に掛け湯から硫黄の香りと新鮮な金気がプンプン薫って思わず顔がほころぶ。浴槽にも新鮮で適温のぬる湯をガンガン掛け流していて、良泉をシンプルな湯使いで味わえる最高の施設でした。九州には別府・雲仙・指宿を始めとして湯布院・黒川・長湯に小浜・嬉野・武雄など、ありとあらゆる泉質の有名温泉地がありますから、あえて二日市温泉でもないのかもしれませんが、博多の近くにこんないい温泉があったんだねえ。バスの時間があってあまりゆっくりできなかったが、天神から来る価値はあります。

博多湯で汗を流し、市内循環線の最終バスで西鉄二日市の駅へ戻る。久留米の宿に向かっても寝るだけなので、駅前のコンビニで缶チューハイを買い、チビチビと飲りながらしばらくやって来る電車を撮影することに。西鉄二日市の駅は太宰府線が分岐する特急停車駅で、4面5線の非常に広い構内を持ちます。夕方のラッシュも引けた頃合い、広いホームの端っこに人の姿は少なく、安全な場所で静かにやって来る西鉄大牟田線の電車を愛でる。地元の方はいつも見ている電車ばかりで、さしたる珍しいものでもないんでしょうが、こちとらはるばる神奈川県から西鉄電車を見に来た訳ですから、やって来る車両それぞれに発見と驚きがあって興味は尽きない。そして、5000系7連特急西鉄福岡(天神)行きの尊さといったらどうだろう。昭和50年デビューのこの車両、物心ついたころから図書室の「カラーブックス・日本の私鉄(保育社)」ほかの書物を読みふけり、色々な大手私鉄の車両を憧れを持って眺めていた私。その時代の西鉄の電車と言えば、特急車の2000形と通勤型の5000形がそれぞれのイメージリーダーという感覚が強くあるのですよね。左右非対称のパノラミックウインドウに、川重らしい円筒案内型の重厚な台車。そして西鉄カラーのパステルなアイスグリーンをキリリと引き締める鮮やかなボンレッドの帯!これぞ西鉄通勤車のトラディショナルスタイルではないだろうか。

この車両に魅せられて、二日間追い掛けてしまったのは言うまでもありません。

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ターミナルの風格とは。

2024年09月14日 11時00分00秒 | 西日本鉄道

(博多と天神の違いって・・・?@天神地下街)

貝塚線の探訪を終えて、市営地下鉄で天神へ。この日は宿を久留米に取っていたので、こっから西鉄天神・大牟田線で移動することになります。地下鉄から乗り換える天神の地下街、福岡市の中心部は東のJR駅を中心とした博多と西の西鉄・天神、そしてその中間にある歓楽街の中洲・川端と大まかにこの三つに分かれています。以前は「博多より天神の方が栄えてるよ」というイメージが漠然とあったのですが、九州新幹線開通を契機としたJR九州の積極的な不動産開発とテナント誘致によって博多がだいぶ福岡商業圏の中で存在感を増しているようで。やっぱり新幹線が直結しているってのがデカいのだろうか。金沢における香林坊と金沢駅前の相関関係なんかも似たようなとこありますよね。北陸新幹線の開通で再開発された駅周辺の大型商業施設(金沢フォーラスとか)が中心になって商圏が変化しているという。ちなみに、福岡市営地下鉄の天神駅と、西鉄の駅は微妙に離れていて天神の地下街を200mほど歩いて接続する。地下街を歩いていると、それこそ新宿とかなんばの地下街と何も変わらんよね。変わってると言えば、やたらと案内表記にハングルが目立つくらい。韓国から来てるっぽい若い女性も目に付くし、東京より釜山の方が圧倒的に近いお土地柄でもあり。

西鉄福岡(天神)駅。言わずと知れた九州最大の私鉄ターミナルであります。西鉄の天神のターミナルは、西鉄天神大牟田線の西鉄福岡(天神)駅、西鉄天神バスセンター、そして三越福岡店が一体となった超大型複合商業・交通施設で、大き過ぎて写真でも納まりきらない。ちなみにこの「西鉄福岡(天神)」という表記は、カッコ内の「(天神)」までを含めたものが正式名称だそうで。以前は西鉄福岡駅だったのだけど、2001年から今の表記になったらしい。吹き抜けのアトリウムに作られた西鉄福岡(天神)駅の大階段、これぞターミナルという雰囲気を醸し出していますねえ。日本の私鉄ターミナルで最強なのは阪急の大阪梅田駅、最高なのが南海のなんば駅だと思ってるのだけど、そこらへんに次ぐぐらいの面構えはあるだろうか。関東の大手私鉄は、東武の浅草駅がターミナル・・・かなあ、くらいで、独立性というか個性は薄めですよね(副都心線と繋がる前の東横渋谷なんかはターミナルだったかな)。関東私鉄は開業当初から国鉄(省線電車)に接続したターミナルを志向したこと&早い段階からの地下鉄との相互乗り入れによる流動分散があるので、関西から向こうの大手私鉄のターミナル駅とは機能の持ち方がちょっと違うように思う。これは関東と関西の私鉄文化の違いではないかと。

西鉄福岡(天神)駅の構造は3線4面の頭端式で、各線の両側にホームを置いて乗降を分離するタイプ。相鉄の横浜駅と相似した形ですね。平日の夕方、ひっきりなしに行き交う西鉄電車。大牟田まで行く特急は30分おきだけれども、久留米方面は普通列車&急行を含めて分刻みのダイヤで発車していて、そこには家路を急ぐ福岡都市圏の人々のラッシュアワーの光景がありました。こういう風景は関東も関西も九州も変わらないのだけど、なにぶん天神から西鉄に乗るのはいつ以来か・・・という感じなので目にするものがとにかく新鮮である。西鉄大牟田線、那の津の福岡ボートに来たときか、唐津ボートの帰りに乗ったような乗らなかったような、という朧げな記憶しかない。どっちも理由がろくでもないのだが、熱心に旅打ちをしていた頃の話である(笑)。ちなみに唐津の帰りは博多から寝台特急あかつきで三ノ宮まで出て、次の日に尼崎の周年記念を打ちに行ったのは覚えてるんだよねえ。確か唐津の周年記念(全日本水の王者決定戦)と尼崎の周年(近松賞)をハシゴしたんだよ。どっちも1月開催だから合ってるはず。調べたら1999年の話だったみたいだ。もう25年前か・・・元気だったんだね、当時の自分。

降車ホームへ一斉に吐き出される乗客。アイスグリーンにボンレッドの西鉄6000形。そうそう、最近は新しいカラーリングの車両も増えてきましたが、西鉄電車と言えばこの色ですよね。日本の大手私鉄では唯一、本州外にあるのが西鉄。その路線網と事業規模もさることながら、車両の形や塗装も一種独特のものがあります。ローカル中小私鉄への偏愛を隠さない私ですが、大手私鉄の一角としての「西日本鉄道」をきちんと味わってみたい!というのもあったんですよね。東武・京成・西武・京王・東急・小田急・京急・相鉄・東京メトロ・名鉄・近鉄・京阪・阪急・阪神・南海そして最後の西鉄。さすがに支線の全路線まで乗っている訳ではないけど、西鉄乗車で記念すべき大手私鉄の16社目です。そう言えば、昔は「準大手私鉄」なんてくくりがあって、これに新京成・神鉄・山陽・泉北なんかが入ってましたよね。このカテゴリは最近使われていないようですが。

福岡中心部のオフィス街から、筑紫野を通り久留米・柳川を経て炭鉱の町・大牟田まで。西日本鉄道の主力路線(本線筋)である西鉄天神大牟田線は、全長で74.8kmとかなり長い。関東で言うと東武東上線の池袋~寄居間が75.0kmでニアピン。京成電鉄本線が京成上野~成田空港間69.3km、小田急線の新宿~小田原間が82.5kmなのでその間くらいのサイズ感でしょうか。中京・関西圏だとこのくらいのサイズ感の私鉄が意外となくて、近鉄名古屋線の近鉄名古屋~伊勢中川間が78.8kmだからこの辺りに当てはめると分かりやすいかな。ちなみに私は生まれも育ちも小田急線民なので、天神を新宿とすると二日市が登戸、久留米が町田、柳川が秦野、大牟田が小田原くらいの位置関係で脳内変換していました(笑)。

天神発19:00の特急・大牟田行き。乗務員交替もにこやかに、天神の雑踏がそのまま車内に吸い込まれて行きます。

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あの頃は 大牟田線の 色男。

2024年09月11日 17時00分00秒 | 西日本鉄道

(青い彗星、博多の片隅に眠る@貝塚交通公園)

西鉄新宮まで貝塚線を乗り通した後、折り返しの電車に乗って貝塚駅まで戻って来た。どこへ行っても暑いので、自動販売機の飲み物では飽き足らずコンビニで買った大型のペットボトル(2リットルの水)を持ち歩いていた。貝塚駅前の公園のベンチで荷物を降ろして休憩。貝塚駅前の公園は「交通公園」という立て付けになっていて、ゴーカート乗り場があったり4発機の実機が置かれていたりするのだが、猛暑の芝生の広場をテクテクと国道3号線方面に進んで行くと、昔懐かしいブルートレインの客車・・・ナハネフ22がキューロクの蒸気機関車とともに保存されています。現役時代は「あさかぜ・はやぶさ」等の九州ブルトレに使用され、晩年は門司港~西鹿児島間の九州島内を走る夜行急行「かいもん」の寝台車として使用されていたのだそうです。屋根掛けの保存でもないのにやけにきれいで、保存状態は非常によさげに見える。正直ただの市営公園でこんな保存状態なの、バックにどこぞの保存団体でもついてるのかしら?なんて思ったのだが、調べると何年か前に有志によるクラウドファンディングがおこなわれ、再塗装と大規模な補修が施されたのだとか。

ナハネフ22の内装。さすがに、国鉄20系客車ってのは全廃されたのが平成ヒトケタなので、利用することは出来なかったですよね。「急行かいもん」も時刻表の中の列車、というイメージで。九州の島内夜行急行と言えば、鹿児島線が「急行かいもん」で、日豊本線が「急行日南」。どちらも門司港発の西鹿児島行き客レ急行でしたが、終点まで急行列車で走るかいもんと異なり、日南は南宮崎から普通列車になってしまうので、えらい時間がかかる列車だった。それにしても、自分が乗ったことのある寝台特急ってどのくらいあるのだろう?いわゆる「ブルートレイン」に限れば、九州方面がさくら・あさかぜ・はやぶさ、信越・東北・北海道方面が北陸・あけぼの・エルムくらいのものだろうか。同世代の人に比べれば大したことのない経験であるけども、今の世代の鉄道ファンが逆立ちしても体験できないことではあります。ブルトレってぇと14系か24系25形の世代なのですが、このナハネフ22の大きなパノラミックウインドウと最後尾の展望室は、まさしく「走るホテル」と言われた気品あふれる優美さが感じられるもので、こういう「九州の鉄道文化遺産」みたいなものは、門司港の「九州鉄道記念館」にでも行けばより詳しく見られるのだけれど、今回の旅程ではそこまで手が回らんかったでなあ。

午後の日差しを浴びながら、貝塚駅で折り返しを待つ608編成。この編成だけ検査明けで間もないのか、塗装の汚れやくすみもなく非常にきれいな状態であった。貝塚線の貝塚口は、2連という編成の短さもあって、朝のラッシュ時には10分間隔の運行でも相当な混雑となってしまうのだとか。それだけ博多近郊の通勤通学需要は旺盛ということなのだが、廃止された津屋崎方面の乗客減と反比例するように、福岡都市圏も都心回帰が起こっているのだろうか。貝塚駅は既に橋上駅舎になっており、西鉄側ホームの外側に上下とも線路一本分の空きスペースがあって、ここに福岡市営地下鉄のレールを敷設すれば、相互乗り入れ自体は行えるような準備が出来ています。計画は凍結されてはいますが、現在の西鉄ホームを貝塚線内折り返し、地下鉄ホームを相互乗り入れ車両が使う動線を想定していたようです。

夏雲湧く貝塚の街、600形がフロントマスクのお掃除中。西鉄の車両の中でも最古参の600形、その車体形状の変遷については「にしてつWebミュージアム」に詳しい。ちなみにこのアーカイブス、西日本鉄道という企業体がどうやって福岡・筑後の街の中で成長し、確固たる地位を築いていったのか・・・という歴史を詳細に学べる素晴らしい教材になっている。車両を中心とした鉄道事業の歴史だけでなく、沿線風景の変遷を絡めたホテル事業や天神地区の開発、福岡市内の高架化事業、もう一つの中核事業である西鉄バスの歴代車両や、西鉄クリッパーズからの西鉄ライオンズの歴史まで、西鉄の全てが会社として所有している秘蔵資料や当時のエピソードとともに余すところなく網羅されている。惜しむらくは写真が妙に小さい(複製されることへの対策なのだろうか)ことなんだけど、このWebページを読み込めばきっと西鉄博士になれるだろう。それにしても、西鉄600形の大牟田線デビュー時のスタイルの端正な事!まるで小田急のABFM車とかHE車(小田急2400形)のようではないか。今はどちらかといえば並列の二つ目ライトで柔和な感じのイメージですが、顔を洗いながら「若い頃はイケメンだったんだよ」とでも言いたげな600形。置き換えの前にこの形に戻してくれたら、また福岡飛ぶから、よろしくお願いします(笑)。

朝早く出て来たこともあって、体力の回復のために喫茶店でも入りたかったのだが、ないので冷房の効いた地下鉄で筑前前原まで往復することに。少しウトウトしながら博多の地下を折り返し、貝塚に戻って来た頃には太陽は西に傾いていました。今日の貝塚線の最後に、今一度名島橋のカットを取っておきたく再び橋のたもとへ。粘って見付けた名島側の立ち位置は灌木生い茂るブッシュの中、条件はあまりにもよろしくなかった。クモの巣のネバネバをこそぎ落とし、迫りくるヤブ蚊をペチペチと引っぱたきつつ、夏の斜光線を緩く浴びて多々良川を渡って行く600形を収める。コンクリートアーチの橋脚が水面に揺れて、貝塚線のいい締めの一枚となりました。

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猫の駅 陽炎揺れる 昼下がり。

2024年09月09日 17時00分00秒 | 西日本鉄道

(猫の佇む駅名票@西鉄新宮駅)

和白から住宅街の中にある三苫駅を経て、西鉄貝塚線の10km程度のショートトリップはここ西鉄新宮の駅で終了。駅名票にはなぜか猫が佇む。これは、西鉄新宮駅のある新宮町の沖合に浮かぶ離島・相島が「猫の島」と呼ばれていることにちなむのだとか。相島は新宮町の沖合7.5km、玄界灘に浮かぶ小さな島で、島ではバーベキューやバードウォッチング・釣りなどが楽しめるそうです。福岡県の玄界灘沿いには、壱岐や対馬まで行かずともいくつかの小さな離島があって、相島もその一つ。ちょっと興味があって、島まで渡る船の時間とか調べちゃったよ(笑)。駅から渡船の出る新宮漁港までは徒歩20分、そして島までは渡船で20分。漁港へは渡船に合わせてコミュニティバスが出ているのだけど、さすがにこのクソ暑い中で大荷物持って離島に行く元気はないのであった。そう言えば、行きの飛行機から見えましたよね。相島。

西鉄新宮の駅は、元々は津屋崎に向かう宮地岳線のちょうど中間点に位置し、糟屋郡新宮町の旧市街にあります。新宮町は福岡市に隣接する福岡都市圏のベッドタウンで、人口は3万人強。かつての宮地岳線の沿線地域に比べ、最近ではJR鹿児島本線の新宮中央駅を中心にした市街地の整備拡大が目覚ましく、大手不動産の開発による大規模なマンション群と大型ショッピングモールを中心とした開発が進んでいます。宮地岳線改め貝塚線の終点となった新宮の駅は、そんなJR沿いの都市化とは少しテンション感の異なるローカルムード。1990年代までは、新宮漁港で揚がった魚を博多の魚市場へ運ぶ行商人のおばさんの利用などもあったらしく、駅の周りにも鄙びた海辺の街の雰囲気がそこはかとなく残っている。少し海のほうに歩けば海水浴場もあるようだし、浜辺に続く松林の路地には、夏休みを謳歌する子供たちの声も。宮地岳線の部分廃線から既に17年が過ぎ、津屋崎へ向かっていたレールは駅の構内でブツリと切られ、冒進防止のバラストと車止めで無造作に終わっています。島はともかく、駅の近くに野良猫でもいないのかな、と思ったのだが、あまりの暑さに陽炎揺れる駅前通りに、人の姿も猫の姿も見えはしないのでありました。

日中の貝塚線は、下りの列車が新宮に到着すると既に折り返し準備をしていたもう片方の電車が釣瓶のように発車して行く運行パターン。いわゆる「段落とし」になっていて、運転士氏は折り返し電車が発車するまで、僅かな間の休憩時間が与えられる様子。一応駅舎には職員の姿があり、小さいながらも乗務員の詰所があります。猛暑の中、日差しの強い運転台での乗務はなかなかの重労働であろう。車内の冷気が抜けるのを防ぐため、詰所に戻る前に運転台のスイッチを操作して、貝塚側の一つのドアしか開けずに締め切られた西鉄600形。車体の隅に刻まれた銘板は、「昭和37年7月・川崎車輌」とある。まだ川崎重工でも川崎重工車両カンパニーでもなかった頃の、先代の「川崎車輌」のクルマ。ちなみに現在の川崎車両は、川崎造船所→川崎車輌(先代)→川崎重工→川崎重工業車輛カンパニー→川崎車両(2代目・現在)という変遷を辿っていて、日立製作所と並ぶ日本の財閥系鉄道車両メーカーとして現在も車両の製造を続けています。ちなみに西日本鉄道の車両は現在オール川重製なんだそうで。昔は川重以外の車両も入れたことあるみたいですけどね。

青空の下、折り返しを待つ600形。それにしても、昭和37年というのは、今やふた時代前の話になる。前回の東京オリンピックが昭和39年(1964年)であったことを考えれば、西鉄600形はそれ以上に古い車両だ。歴史を紐解けば、東京オリンピックと同時に開業を控えた東海道新幹線の試作車両などといっしょに川崎車輛で産声を上げているらしい。首都圏の私鉄でさすがに昭和30年代製造の車両を使っている会社もなかなかないが、大手私鉄の中では指折りのオールドタイマーであろう。ただ、その時代の車両の造りというのは、台枠から組み上げた鋼板の大振りの躯体に、いかにも鋳造物という感じの頑丈な台車(西武電車のお古らしいが)と、消費電力の大きい造りながらもインバータではなく電気接点で動くシンプルな制御装置で構成されていて、あまり時代が「省〇〇」を求めなかった時代のものなので、丈夫なのかもしれない。また、大牟田線から宮地岳線へ転籍させる際に、台車の交換と同時にモーターの新造もおこなったので、足回りは比較的若く保たれているのもあろう。

600形の運転台周りのレイアウト。車内の非常停止装置がヒモで引っ張るタイプなのが珍しいのだが、これは車掌が列車を急停車させるために引く非常弁(非常ブレーキ)と同じものが装備されているのではなかろうか。今は非常通報装置はブザーだから、即座に列車を停止させる装置とは少し違うような気もするが。昔ながらの短冊形のスタフに刻まれた列車のダイヤも、最近の電車はこういうものすらモニタ画面に表示されるのが常だからねえ。いちいち指で停車駅の矢印の目盛りを動かしたりはしない。

本当であれば、市営地下鉄と相互乗り入れが果たされていて、そうなっていれば、何らかの新しい車両が入っていて、そうなっていれば、津屋崎までが廃止にもならずに済んで・・・などなど数々の「れば」が重なり合って今に至る西鉄貝塚線。ちなみに、西鉄が2022年に発表した計画では、「2027年度までに貝塚線600形を廃車し、車両再生工事を実施した7050形16両を導入する」との記載があって、600形の置き換えの話がない訳ではないようだ。コロナ禍の中で発表された経営計画なのでどこまで実行に移されるのかは予断を許さないとはいえ、文言通りであれば来年あたりから600形の廃車が始まることになる。ようやくこの路線にも、新しい波が押し寄せるのであろうか。

昔懐かしの真鍮のブレーキハンドルを持った運転士さんが詰所から出て来て、還暦越えの電車のマスコンに、シャコンとハンドルをセットした。

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