青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

越中黒部&能登半島一周ツアー 完結編

2006年05月20日 10時05分09秒 | 日常
(写真:同行お疲れ様でした)

持つべきものは、旅の友。
ネタに付き合う心意気(笑)。

続き。

町野高校からさらに海岸線沿いを西へ。
のと鉄道の廃線跡とか町野高校とか、マイナーな所ばかりを好んで観光して来た我々だが、正統派能登観光と言えばこの白米千枚田(輪島市HP)は絶対に外せないスポットの一つと言えるだろう。有名観光地だけに、道の駅に止まり切れない車は国道の路肩まで溢れ返っており、かなりの数の観光客と、風景を収めようとするアマチュア写真家が棚田を見下ろす国道沿いに陣取っていた。ちょっと煩い感じがしたので、青い海に向けて広がる棚田の間の細道を海に向かって降りて行く事にする。

確かに素晴らしい風景だ

青い海、岩場に寄せる波頭。午後の太陽に照らされて、大小無数の田んぼ一枚一枚が「銀鱗」という感じで光っている風景は強く印象に残る。いつの時代から築き上げられたものなのだろうか。田植えを待つ千枚田の幾重にもうねる畦(あぜ)が、何となく能登の歴史を裏付ける年輪のようでもあります。
ぐるりと千枚田の中の農道を歩いて戻って来ると、へんしうちょは崖の上でお座りをしていました。
「だって、こんな急な坂道、降りたら登らなきゃいけないじゃん!」
仰る通り(笑)。

午後の日は西に傾き始め、輪島市街から旧門前町(現在は輪島市)を経て今日最後の景勝地である能登金剛へ向かう。能登半島を回って気がついたのだが、案外とソメイヨシノは少なく、その代わりシダレ桜や八重桜の多い事。5月の連休の時期がちょうど見頃であったのだろう。国道の道すがらに、そのピンク色を鮮やかに見せてくれていた。
関野鼻(せきのはな)と言う海辺の断崖に面したドライブイン風の食堂で遅い昼飯。時間も外れていた事もあり広いフロアに客は我々のみ。異常なほどガランとしていた食堂に、調理場のババアの雑談とバカ笑いがこだまするのであった(笑)。
付近は松本清張の小説(「ゼロの焦点」って有名なんでしょ?)で登場したヤセの断崖(関野鼻パークハウスHPより・てか、何だこの女の微妙なポージングはw)と言う景勝地があったり、まあ船越栄一郎がいつ出てきてもおかしくない傑作ワイド劇場(但し開始から1時間35分後限定)と言う感じの風景が続く。

能登金剛の海を照らして、傾いていく夕陽を見ながら、表題のようなネタ写真(笑)を撮りつつ、ようやく旅の終わりが近づいて来る事を実感。白川郷、黒部峡谷、なぎさドライブウェイ、能登半島一周と、これでだいたいのミッションは完了した。

今回の旅をまとめると何か、と問われたら、ネタ画像&映像収集はともかくとしても(笑)、「うら寂しさと暖かさ」の旅だったような気がする。

自然厳しい黒部の峡谷に、うら寂しい奇跡的なボロ宿(笑)を維持する鐘釣のおばちゃんは、我々のために露天風呂をサルベージしてくれた。売れ残りを危惧していた能登空港のおばちゃんは、無駄にカキフライを大サービスしてくれたw
穴水から先の、廃線となったのと鉄道の打ち捨てられた物悲しさ。廃線となっても、まだ諦め切れずに咲いていた鵜川駅の花と、蛸島駅の放置された車両。廃校となった町野高校のグラウンドでは、ホームベースだけが妙にリアルだった。風雪に耐え、曲がりながら生きる禄剛崎を始めとする能登の木々の数々。肥沃な平野があれば、決して出来る事はなかった千枚田…
生きるために幾多の不便をかこちながら、それでも人はそこに住む訳だ。

合理化された世の中に置き去りにされた存在に味わいを求めるのは、もう自分もおっさんである事を改めて確認させられる「感傷的なノスタルジー」なのかもしれないけどね。

ともかく、長々とした物語もこれで一応の完結。
へんしうちょ、Kenshin両氏には感謝の意を表します。
コメント (1)
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