(終着駅の一つ前@千平)
鏑川の河岸段丘上に開けた台地が潰える場所にある千平の集落。古びたコンクリートで固められたホームに、懐かしい色を纏った新型電車がやって来た。かつての上信電鉄の標準色だった、コーラルレッドに紫の帯を纏ったこのカラーリング。新しく導入された700形にも、リバイバル的な立て付けでこの塗装が施されています。千平の駅から、街へ出る乗客の姿にホッとする。何にせよ、乗客の姿があるのは有り難いことです。
上信電鉄のリバイバルカラーに塗られた705F。うん、いい意味で絶妙な垢抜けなさがいかにも地方私鉄っぽくて非常に宜しいですな。ヒマな大学生時代、夏休みにふらっと18きっぷの余り券で高崎に競馬やりに来た時、駅の西側にあった上信の車庫にはこの色の車両がゴロゴロしていた記憶がある。まだ高崎も長野新幹線開通前で、特急あさまとかがバンバン走っていた頃だ。若き頃は地方の公営競技を巡りながら旅打ちに勤しんでいた人生であったが、その頃の道中をあまり写真に収めていないのが今思うと悔やまれる。当時は親に借りたキャノンのオートボーイというカメラを使っていたんだけど、今みたいにデジタルで腐るほど連写して映りのいいものを適当に・・・という訳にも行かなかった。安いフィルムを詰め、現像代を惜しんで、一枚一枚大事に撮っていたのを思い出した。
思わず、本棚にしまい込んでいたアルバムを引っ張り出す。高崎競馬、もう廃止されて随分長い事経っているんだなあ。馬券的には相性が悪い競馬場であったが、500円で入れる安い特観と、大きな木の生えた狭いパドックが懐かしい。なんか上信のリバイバルカラーからぜーんぜん違う話になってしまった。そう言えば、未だに高崎駅の南側の道路は「競馬場通り」って名前がついてっけど、もう競馬場があった事を忘れてる人も多いんじゃないのかねえ。写真に添えられたメッセージには、1995年8月15日とある。草競馬に遊び、旅打ちを無頼に気取っていた若かりしあの頃。パドック裏の食堂で売ってるシケた焼き鳥を齧りながら、強い日差しを浴びてパサパサに乾いた白いダートの上を走る馬を見ていた、26年前の終戦記念日の記憶である。