(四方の天然温泉@なまず温泉)
午後は地鉄の線路際から少し離れ、富山市内は四方(よかた)にある鯰(なまず)温泉にやって来ました。地鉄沿線の温泉って言うと、魚津の金太郎温泉だったり、それこそ宇奈月温泉だったりが有名だったりするのですが、以前はここも地鉄沿線の温泉地だったんですよね。温泉の前を、富山地方鉄道射水線が走っていて、「鯰鉱泉前」という駅を設けていました。
鯰温泉前の道路。これが射水線の廃線跡で、現在は拡幅され道路に転用されています。手前のクルマが止まっている少し土が盛り上がっている場所がかつてのホーム跡だそうで、よく見るとホームに建てられていた待合室の基礎?のようなものが残っています。鯰温泉には現在でも2軒の温泉宿が残っていて、射水線の線路を挟んでそれぞれ「鯰温泉」と「ふじのや」が宿を構えています。
射水線は大正時代に越中電気鉄道として開業。富山大橋のたもとの新富山から北に進み、四方から西に折れて新湊までを結んでいました。戦時中に富山県内の交通大統合の流れの中で地鉄に編入され、全盛期には新湊や四方からの通勤通学客のみならず、沿岸部の漁師町から富山市街へ魚を売り歩く行商人に利用されたりと、富山湾沿岸部の物流の大切な足となっていました。しかし、富山県による富山新港の建設のため、昭和40年に新湊の手前で路線は分断。分断された湾口部分(新港東口~越ノ潟間)を県営渡船が連絡するという形で路線は存続しましたが、利便を欠いた路線は乗客が激減。1980年(昭和55年)3月に新港東口~新富山間の全線が廃止となりました。往時の鯰鉱泉前駅付近、田んぼの真ん中にぽつんとある温泉であったことは今も昔も変わらないようで。
この鯰温泉の開湯は古く江戸時代に遡り、四方の漁師さんが足を患った母親に思い悩むうち、この辺りに白いナマズの住む池を見付け、その水を母の足に掛けたらたちまち快癒した・・・という由緒謂れがあるそうで。温泉の由来ってだいたい行基が見付けたとか、弘法大師が杖を突いたら湯が湧いたとか、動物がそこの湯に浸かってケガを直してたとかのどれかだよな。富山県は、宇奈月や立山周辺などの観光開発された温泉地は目立ちますが、こういった昔から古くから伝承的に湧いている温泉というのはあまりないように思います。
鯰温泉は、平日の昼間でも近所のおじいちゃんでそこそこの混雑。四方の住民たちの温泉銭湯的な使われ方をしているらしく、価格も440円と銭湯価格でリーズナブルである。古くからの赤錆びた鉄鉱泉と、後から掘り抜いたらしい塩辛くぬめりのある塩化物泉を内湯と露天風呂で使い分け。内湯で使われている鉄鉱泉はさすがに湧出量こそ少ないものの、濃厚な鉄粉臭がして暖まりの強いものでありました。鉄分を含む赤湯ってのは打ち身や傷や痛みに効能があるものなので、開湯の由緒謂れもさもありなんといった感じ。ひとっ風呂浴びつつ小一時間、地元言葉のじいちゃんたちに囲まれながら、射水線華やかなりし頃の栄華を偲ぶ。
帰りは、射水線の跡と思しき道路を富山方面にずーっと走ってみたのだけど、田んぼの真ん中を真っすぐに走る路線だったらしく、だいたいが拡幅された道路に転用されていて、これといった鉄道の痕跡を辿る事は難しくなっていました。まあもう廃線から40年も経つんじゃしょうがないよね。転用された道路は旧八ケ山(はっかやま)の駅付近で雑な感じのバリケードが置かれて行き止まりになっていたのだけど、森に消えていく緩やかな坂道と真っすぐなアスファルトには、ここだけは「確かに鉄路がそこにあった」とでも言いたげな雰囲気が色濃く残っていました。