(駅舎と朧な公衆電話@信濃竹原駅)
前日の23時頃に自宅を出て、中央道の須玉から真夜中の野辺山を抜け、朝4時の戸倉上山田温泉で朝湯に浸かったりしながら信濃竹原の駅に到着したのが朝の6時過ぎ。高速で松代PAを抜けた辺りから雪が降り始め、信州中野ICを降りて山ノ内の方に上がって来たらそれなりの降りになっていた。まあ、スタッドレスを履いてるからにゃこんくらい雪が降ってくれた方が張り合いがあるよな・・・なんて思いながら、開業96年の古駅舎を持つ駅を味わう。屋代線とか木島線があった時代は、開業当時からの木造駅舎が残っている駅もそこそこあったような気がしますが(木島とか信濃川田とか松代とか東屋代とか)、今となってはココと村山くらいなんですかね・・・
長野方面行きのホームにある架線柱。よーく見ると「竹原四號 昭2.3」と書かれていて、それこそこの架線柱も開業当時からのモノである事が伺い知れます。よくホームの屋根を支える柱の古レールとかに西暦の刻印があったりして、相当の年代モノが使われている事が分かったりするのだけど、架線柱に設置年の表記があるのってなかなか珍しいような。
須坂発の始発で湯田中に送り込まれた上りの一番電車。この日は鯨こと3500系2連。さんざん長野でお世話になったこの車両も、このN8編成がついぞ最後の1編成。そして、今月の半ばを持って定期運用を終了することが決まっています。今回の長野行、温故知新というのもあるけど、鯨にお別れを言いに来たというのも少しだけある。思えば昭和30~40年代デビューの車両が、こうして三つの元号を跨いで令和の時代まで約60年間に亘って走り続けたというのも結構凄い事だ。営団で30年、長野で30年か。
凍て付く信濃竹原で交換する3500&3000系。平成初期に一気に40両近くが送り込まれ、長野オリンピックを控えた長野電鉄の輸送力強化と車両の均質化に貢献した3500系。その跡目を継ぐのは同じ営団日比谷線で活躍していた03系というのも、一部マニアには現実になる前から噂にはなっていましたが「本当にそうなるんかい!」という感じもあり。営団03系改め長野電鉄3000系は一昨年より順次5編成が導入され、東急の8500系がカバー出来ない湯田中方面まで入線するなど既に主力級の活躍を見せています。ってか、最近とみに長電で8500系の影が薄くなっているような・・・なんだかんだ言ってあのクルマも50年選手だかんなあ。
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