青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

戦国の 播磨に咲いた 深情け。

2023年08月07日 17時00分00秒 | 神戸電鉄

(城下の停車場@三木上の丸駅)

三木城跡の高台の下にある三木上の丸駅に、粟生行きの電車がやって来た。三木城は、1400年代に別所氏の居城として建てられた北播州の平山城で、三木の街はその城下町として発展してきました。時は戦国に至り、全国統一を目指す羽柴秀吉の攻勢を受け、周囲から攻め立てられた三木城では、攻め立てる羽柴軍に対して別所軍による二年に亘る籠城戦が展開されたそうです。城内の住民や兵士が、生き延びるために城の塀に混ぜ込まれた藁まで食べたとも伝えられる究極の籠城戦は「三木の干殺し」と言われ、その結末はついぞ観念した別所長治が、城下の臣民と兵士たちの身の安全を保障させた上で、割腹した上で自らの首を差し出すという形で戦いの幕が降りたのでありました。

三木上の丸駅を中心に、市役所や文教施設が広がるのが東側の上の丸地区。三木市街の中では古くから栄えた地域で、駅を降りてすぐのところには、「ナメラ商店街」という昔ながらのアーケード型商店街があります。往時は三木市内で一番の繁華街だったっそうで、幅は細いながら、長く天蓋の続く立派なアーケードが見事です。残念ながら、今はそのほとんどの店が商売を終えたと見え、シャッター通りとなっているのは淋しい限り。御多分に漏れず、神戸電鉄の駅を中心とした三木市の旧市街は斜陽化の一途を辿っており、新しい商圏は山陽自動車道の三木小野ICを中心とした国道175号沿いに移っています。

三木市は別所氏の城下町として開かれた後、江戸時代以降は刃物を中心とした北播州の工業の街として発展して来ました。そう言われれば、道の周りには、工具や機械を扱う店が多いなあと思うのですが、例えばこのお店。金ヘンに「武」って書いて何と読むのだろうか。そんな三木の街を走る、神鉄の赤い電車。三木市には、もう一つ旧国鉄三木線から転換された三木鉄道という会社があって、加古川線の厄神駅とを結んでおったのですが、元々国鉄時代から特定地方交通線として廃線対象になった赤字ローカル線。その経営状況を改善するには至らず、2008年で廃線となりました。三セク転換から僅か25年での終焉でしたが、その車両は遠くひたちなか海浜鉄道や北条鉄道に買われて行き、今も使用されています。

三木城の城跡のある高台に登り、黒瓦屋根の連なる北播の古式ゆかしい市街を眺める。夏の午後の強い日差しにギラギラと輝く美嚢川の流れ。遥か600年前、城主・別所長治の眺めた景色はいかばかりであったか。長治は、非業な最期を遂げはしましたが、城下の臣民と自軍の兵隊を守り抜いた情け深い若殿様として三木の人々に称えられているそうです。城址の北の端を築堤で抜けてきた神戸電鉄は、美嚢川の鉄橋を大きな左カーブで抜け、三木の駅から小野・粟生方面へ向かって行きます。ちょうどリバイバル編成が粟生から戻ってきました。気の遠くなるような日差しの中で、スプリンググリーンの車体が踊りました。


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