(坂道シリーズ@鈴蘭台西口駅)
この日の午後は粟生線方面へ。鈴蘭台から一つ目、鈴蘭台西口駅。未だにピッカピカのダイエーが聳え立つ神戸電鉄の心臓部・鈴蘭台の駅からたった一駅で、とても静かな裏六甲の住宅街である。いかにも郊外電車の駅らしい佇まいが好ましい駅舎は、平屋造りで間口が大きい。朝のラッシュ時間だったら、次から次と通勤通学客が押し寄せるのだろうか。まあそれにしても、駅前から住宅街に向かう坂道の急なこと。かくいう私も、生まれも育ちも駅から坂道ばかりの街であるので、妙に親近感が湧く。行きはよいよい下り坂、帰りは怖い登り坂。この手の街だとタクシーが結構幅を利かすんだけど、タクシープールはなかった。どうせ乗るなら、隣の鈴蘭台から乗ってしまうんだろうな。
西鈴蘭台から50‰の勾配を登ってくる新開地行きの準急。粟生線の動線は、神戸の街から遠くに行けば行くほどだるま落としのように列車本数が少なくなって行くのだが、西鈴蘭台までは平日休日関係なく日中を含め毎時15分程度の運転間隔が保たれています。毎時4本のうち2本が新開地行きの準急、2本が鈴蘭台行きの普通。鈴蘭台行きは有馬線の新開地行きに接続するパターンなので、鈴蘭台~西鈴蘭台間のたかだか2駅だけをせせこましく折り返す区間運転列車がたくさん運行されている。どうでもいいが、鈴蘭台西口の次が西鈴蘭台。駅名が紛らわしい。この鈴蘭台西口駅、開業当初は「鈴蘭ダンスホール前」なんていうえらいハイカラな駅名だったそうで、今の鈴蘭台小学校に当たる場所にダンスホールがあったのだとか。いわゆる「六甲モダニズム」の流れを汲む文化の香りが息づいていたのでしょう。
鈴蘭台西口の駅は、鈴蘭台側が小さなサミットになっていて、ここを「小部(こぶ)トンネル」という小さなトンネルで抜けています。駅舎側の踏切から、トンネルのギリギリまで伸ばしに伸ばしたホーム。かつての粟生線は、朝のラッシュを捌くため、志染で増結を行って湊川方を5両運転としていた時期の名残でもあります。粟生線の輸送ピークは1990年代初期までで、そこからの乗客数は崖を転がるような下り坂。粟生線のほうがよっぽど鵯越の坂落としになってしまっているのは、皮肉なものである。
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