青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

favorite car of the トヤマチテツ

2019年09月18日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(いつ見ても威風堂々@岩峅寺駅)

駅チカの撮影地での撮影を終え、岩峅寺の駅に戻って来ました。この駅に来るといつもどーんと駅舎をそのまま撮影してしまうのだけど、威風堂々としたその佇まいには毎度毎度引き付けられてしまうねえ。10020は朝の1往復を終えるとそのまま稲荷町の車庫に入って留置され、何かない限りは動きませんので、とりあえずは今回のミッションの一つは終了。あとは沿線に展開しながらまったりと撮って行きましょう。一応この日の富山は晴れということになっているので、天候が戻って来るのを祈念したいところです。

と、その前にクルマをデポしてある寺田まで戻らなくてはなりません。10030形カボチャ京阪の立山行き。京阪から移籍して早い車両では30年になりますが、未だに7編成が稼働していて地鉄で一番の大所帯の車両。岩峅寺のホームと言えば「日本海みそ」の大きな看板ですよね。雪ちゃんが今日も変わらず行き交う電車を見つめています。

寺田方面行ホームで電車を待つ。頭の上にはこれも岩峅寺名物の縦書きの駅名標。下に入った蔵元の広告が渋くていい。日本酒ってほぼ飲まないけど、日本酒のラベルや広告に使われるロゴって郷土色豊かで好きだなあ。富山は米どころでもあるし、黒部川扇状地湧水群をはじめ、北アルプスに積もった雪が清冽な伏流水となって湧き出る水どころ。いい日本酒が出来る条件は揃っていると思われる。かすれた広告には「中新川酒造株式会社〇〇〇・・・とあるけれど、調べたら今はもう存在しない蔵元みたいだ。

立山線ホームには上滝線から乗り換えた高校生のほか、大勢の乗客が待っていた。14760形の寺田経由電鉄富山行き。さすが平日らしく活気ある姿が嬉しいね。引退の発表があってから俄かに10020形と14720形の存在がクローズアップされてはいるけれど、私にとってはこの14760形が「フェイバリットカー・オブ・ザ・富山地鉄」と言うべき大好きな車両でもあります。特にグレーとホワイトを赤のラインでスッキリとまとめた地鉄の正調・雷鳥カラー(あえて大根とは言わず)が好きですねえ。

ちなみに、14760をカボチャに塗るくらいなら、白いラインに紺色の昔の地鉄カラーを復活させて欲しいんよ。名鉄から持って来た旧型車に塗ってた塗装ね。14710形でしたっけ?名鉄は「特急北アルプス」の立山乗り入れなど、一時期地鉄にかなり肩入れしていた経緯もあって譲渡車も多かったですよね・・・。少なくとも現行のライトグリーン&山吹色のカボチャ電カラーより、あの深みのある紺色は絶対14760にハマると思うんだよなあ。

 

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走って走って半世紀

2019年09月17日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(歴戦のコックピット@10026運転台)

岩峅寺で、エンド交換のためドアを開けていた乗務員氏の作業の合間に、ちらりと見えた運転室の中を失敬。半世紀の歴史が積みあがった計器類、そして数多の運転士が握ったであろうマスコンハンドル。春夏秋冬の富山の四季を走り抜け、使い込まれて使い込まれたその末の、油濡れしたような機械独特の輝きが何だか見る方の心に染み込んで来るような気がします。だいたいが鉄道マニアなんて、引退の声を聞かなければその車両の魅力に気付かない鈍感な人種である。今更ノコノコと名残を惜しみに来るようでは遅いのは百も承知だけど、まあ一応地鉄の車両たちはボチボチと追い掛けてはいましたのでね。もうちっと走ってくれるものと半ば安心していたフシはあったけど。

岩峅寺での折り返し時間は7:13着→7:25発だから12分。ゆっくりと10020形の各パーツを眺めながらお名残りを惜しむヒマはあまりないのだけど、目の前で車掌さんがサクサクと折り返し準備を進めていく。前面の方向板はリバーシブル、ひっくり返せば電鉄富山行きの完成。私鉄でこの手の方向板を未だに使っているところって他にあまりないですよねえ。大井川の南海が最近になって丸板を使いだしたけど、あれも湘南2枚窓のデザインだったな。長電の2000とか福井の200もヘッドマークを付けていたのだけど、貫通路のない2枚窓の車両はお腹の部分になんかがハマってた方が収まりがいいのは間違いないようで。

車内でスマホに興じる高校生。乗っている車両が違うだけで、都会も地方も朝の通勤電車でやるこた同じである。富山地鉄の自社発注車は側面に社紋のエンブレムを挟んで両側に車番をデコレーションしているのが特徴。地鉄の社紋は真ん中のレールに8つの稲妻が集まって行く感じのデザインなのだけど、県内に群雄割拠していた鉄道会社を統合し、「一県一市街地」の理念の下で富山県の交通都合を成し遂げた創業者である佐伯宗義社長の理念が現われているように見える。違うのかも知らんけど。

一通り撮影を終えたところで、駅の先にあったそこそこ良さげなカーブで走行写真を狙う。北西から南東へ向かって伸びる不二越・上滝線は増結側しか順光になる場面がないのが難儀なところで、北側に付いている10025の顔を順光で撮影する事はほぼ無理。なので、上滝線の朝運用を撮影するにはあまりビカビカの光線にならない方が良いのかもしれない。定刻、岩峅寺を発車して行く折り返しの普通608レを面タテとサイドで二通り。架線柱が密に立っているのでパンタを抜くのもなかなか難しいのは地方鉄道にはよくある話ですね。

初老の運転士の挨拶代わりの(?)タイフォン一発。ゆるゆると体を揺らしながら、朝の輸送力列車が電鉄富山へ向かいます。
越中の国を、走って走って半世紀。あと半月余りの定期仕業。富山の若人たちを乗せて、最後の奉公の姿です。

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生徒諸君の足として

2019年09月16日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(出区回送@稲荷町~電鉄富山間)

9月一杯で引退が予定されている10020形。増結用のクハ175をくっつけた3連で、朝の不二越・上滝線の輸送力列車を担います。現在の定期運用は平日のみ、電鉄富山6:38→(上滝線・南富山経由605レ)岩峅寺7:13/7:25→(上滝線・南富山経由608レ)電鉄富山8:03を1往復するだけ。6:20頃稲荷町の車庫を出て、電鉄富山駅までの送り込み回送。もう引退までのカウントダウンに入った編成ですから、動いているシーンを収めるだけでも貴重な機会です。

そんな貴重な貴重な平日朝の定期運用。その姿を、沿線に出てゲバ立てて撮影・・・と最初は思っていたのですけど、今のところ沿線に展開するほどの天気でもない。いずれにしろ9月で引退となる名車。寺田で「観光列車フリーきっぷ」を購入していたこともあり、折角なので惜別の意味を込めてのお名残り乗車をしてみる事に。通学の高校生と通勤客が並んでいる板張りホームの稲荷町の駅に、増結クハ175を先頭に605レが入線します。【←電鉄富山】[モハ10025+モハ10026]-[クハ175(増結)]【岩峅寺→】がデフォルトの編成運用なので10020形の顔が拝みにくいのだが、輸送力列車と言う本来の目的を考えれば、それは已む無きことでしょう。 

朝の輸送力列車は、御多分に漏れず乗客の8割が高校生。1.5割が通勤客、そして私を含め若干名のマニア(笑)。基本ワンマンの地鉄電車ですが、この3連は車掌常務のツーマン運行となっていて、無人駅の多い上滝線で車掌氏は忙しなく車内を動き回っては検札をしドア扱いを行っていた。天井に一列に並んだ蛍光灯、目の細かい頑丈そうな金網の網棚。小さく窓の桟の上には座席指定番号が割り振られて、この車両が紛れもなく優等車だった事が分かります。

車内の高校生は、途中の布市駅までであらかたが下車して行き、その後は岩峅寺乗換えで立山町の高校へ向かう生徒がぽつぽつと乗車するのみの車内となりました。すっかり空いた車内を見れば、2ドアの間を転換クロスシートがズラリと埋める風景は壮観。そして日車ロマンスカーの車両らしいビニルの座席カバー。車内広告に掲載された「金太郎温泉」は魚津随一の名湯ですが、やるせないほどの広告の焼けっぷりが気になる。よくよく広告を見てみると、北陸自動車道の朝日ICから上越ICまでの間が未開通となっていて、どうやら昭和63年以前の広告である事が分かります(笑)。「連日豪華演芸!」だもんな。煽り文句が匂い立つような昭和だ。ちなみに金太郎温泉は塩分と硫黄分が濃厚に含まれた温泉で、温泉好きなら一回入って損はないと思う。

月岡付近の田園地帯を眺めつつ、ガタコンガタコンと輸送力列車が往く。この辺りは保線が弱いのか車両の揺れっぷりはハンパなく、車掌さんもよろめきながら車内を行ったり来たり。そう言えば3年前にも夏の富山に家族で来たことがあるのだが、あの時は富山の地鉄ホテルに泊まって、朝練でこの上滝線の3連運用を月岡で狙ったのだった。何度も言うけど地鉄ホテルの朝食バイキングはとても良い。2Fのレストランフロアから電鉄富山の駅を眺めつつ、イカの黒作りだのホタルイカの沖漬け(イカばっか)だのでメシをかっ込むのは富山の幸せなひと時であります。まあ、今回は節約の一環でお安いビジネス旅館泊まりだったけど、また泊まってみたいものだ。

稲荷町から約30分、終点の岩峅寺(いわくらじ)に到着。ホームには富山市内の高校に通うであろう学生が大勢電車の到着を待っていた。この電車が折り返して電鉄富山に到着するのが8時頃だから、上滝線を使って富山市内の高校に通うにはこの電車がちょうどよい時間帯になる。多客がゆえの3連対応なので、10020が引退した後は誰がこの輸送力列車を担当するのだろうか。増結クハは引退しないだろうから、本家14760に増結クハを連結しての3連対応だろうか。

車内にドドドっとなだれ込んだ学生たちは、めいめいに自分の場所を確保。イヤホンをして勉強に集中している女子高生、仲間うちとのお喋りに夢中な男子学生、部活の朝練の道具を持って、アクビしながらドア口に立っている下級生。あまり毎朝の電車の事に関心がありそうには見えないけれど、毎日毎日生徒諸君の通勤の足となったこの車両が引退することを、どれほどの生徒が知っているのだろうか。知っていたところで特段の感慨もないのかもしれないが・・・この10020のスジの一本前にはやはり輸送力列車としてダブルデッカーエクスプレスも走るし、マニアのおっちゃん的には羨ましいことこの上ない通学環境にあったことを、ちょっとでもいいから覚えて置いて欲しいものである(笑)。

 

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ロマンスは永遠の輝き

2019年09月15日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(名車の誉れ・日車の誇り@富山地方鉄道10020形)

湘南二枚窓のスタイリッシュないで立ちで、昭和30年代の高度経済成長期に地方鉄道の花型車両としてデビューしたいわゆる「日車ロマンスカー」と呼ばれる車両たち。長電2000系を筆頭に次々に仲間が引退して行く中、その牙城を最後まで守り続けていた富山地方鉄道の10020形・14020形ですが、とうとうこの度引退が発表されました。平成の世を過ぎて、いよいよ「いつまでも走ると思うな国鉄型と自社発注車(字余り)」という事なのだけれど、とうとう来たかという感じですねえ・・・。そうと決まれば最後に一目でも良いので顔を見たくなるのがマニアの心情。3連休が2回もある9月ですし、期末に向けて有給をどっかで消化する算段もあったので、思い切って金曜日に有給を取って富山まで出かけて来ました。

中央道で松本まで2時間ちょっと。そこからはR158で安房峠を越え、平湯からR471神岡、R41で大沢野を通って富山市街へは3時間。クルマで行くのは3回目だが、何だかんだ富山へは安房トンネル経由が一番距離が短くて速い(但し真っ暗な山道をずーっと走るのが苦にならなければだが)。晴れ予想の天気予報とは裏腹に、思ったほどは天気が良くなかった金曜日の朝。寺田の駅前にクルマを置き、電車に乗って稲荷町の車庫へ。現在の定期仕業は平日の朝に不二越・上滝線を1往復するだけの10020形が、車庫のいつもの所定の位置にて寝起き顔。出区前のコーヒーブレイク。

前面四隅のふっくらと丸みのある優しい表情。オデコや車体の裾に出て来るこの丸みが日車ロマンスカーの特徴の一つ。少し下膨れなその表情、雨の日に紫陽花の葉の上で休んでいるアマガエルのような愛らしさがあって、そこが個人的にも好きだったりする。10020型が昭和39年製造、14720型がちょっと先輩の昭和37年製造。先日の養老鉄道では、同じ50年前のオリンピックイヤーに製造された東急の7700系が第二の人生を送る姿を見て来ましたけど、長命なステンレスとは違ってこちらはどちらも普通の鋼製車。雪国での使用環境も厳しいものがあった事でしょう。褪せる事のない魅力を漂わせながら、2回目の東京オリンピックを前に、別れのご挨拶という事になります。

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台風過ぎて

2019年09月10日 23時00分00秒 | いすみ鉄道

(夷隅川渡渉@いすみ鉄道 城見ヶ丘~上総中川間)

関東を直撃した台風15号、日曜の夜半から月曜の朝にかけて東京湾を横断して抜けて行った。さすがに我が家も夜半は吹き付ける雨と風の轟音で度々眠りを妨げられたんだけど、どちらかと言えば翌朝の首都圏の交通大混乱のほうに辟易としてしまったなあ。JRの計画運休はあんまり関係なかったんだけど、相鉄は二俣川で線路脇の足場が崩れて架線が切れただの、小田急では藤沢で電気系統がヤラれただの、復旧見込みを立てても立てても被害状況の全容が掴めていないのか見込み時間がどんどん後ろずれして行く状態。クルマでヘタに動いても、家の周辺から鉄道の途絶による大渋滞。これはもうどうしようもないな、と判断して会社に一報を入れ、相鉄と小田急の動きを確認してから12時半くらいに出社したのだが、それでも乗換え各駅ではホームに入場規制がかかるなど、難儀な出勤でありました。

竹生い茂る夏の夷隅川をキハ28+52の急行列車がのんびりと渡って行く。今回の台風、進路の東側に当たる千葉県の被害状況が非常に大きいと聞く。暴風によって送電線や電信柱が倒壊したため、大規模な停電と断水が広域に発生しており、なかなか復旧されないようだ。この台風が過ぎても熱帯のうだるような空気が残り、関東は異常に蒸し暑い上の高温が続いていて、冷房冷蔵水道が使えないのは生活的にも死活問題と思う。停電の影響は当然のごとく鉄道にも影響を及ぼしており、この時点でも千葉以遠の銚子方面、房総方面の鉄道は動いていない。ディーゼルの小湊・いすみとて、電気が止まれば踏切も信号も動かない訳で、運行できるはずもない。被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、早期の復旧を記念したい次第である。

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