青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

紺碧の海原を遥かに

2020年01月11日 22時00分00秒 | 銚子電鉄

(午後の日射し降り注ぐ@君ヶ浜駅)

南欧風の駅のゲートが名物だった君ヶ浜の駅。本来は、上にギリシャの神殿よろしく屋根が掛けられていたのですが、老朽化により落下などの危険が発生したため、取り外されて現在に至ります。10年前からそうなんだけど、直す気はないらしい。この駅もネーミングライツで「ロズウェル」の名前がついているようなのですが、かの有名な「ロズウェル事件」(米軍が墜落したUFOを回収したと言われている事件)から取られているらしい・・・なんで君ヶ浜でUFOなのかと思うのだけど、銚子は「UFOで町おこしをしている」からなんだって。初めて聞いたわw

野良猫がのんびりと日向ぼっこをする君ヶ浜の駅。海岸へは徒歩10分ほど。お正月は「本州で一番早く昇る初日の出」をウリに、ご来光を拝みに来る客で大変混雑するのが君ヶ浜。銚子電鉄も臨時ダイヤを組んで、朝4時台からJRの初日の出臨を受けての初日の出輸送にフル回転します。元旦が銚子電鉄の一番のかき入れ時であり、まさに「一年の計は元旦にあり」を地で行く会社でもあります。以前は形式もゴチャゴチャな旧型車をありったけ繋げて初日の出輸送に臨んでいましたが、今は元京王車の導入で収容力が大きくなったことから、通常の2連運行になっているようです。

駅周辺は、朝にも撮影したキャベツ畑。遠く犬吠埼灯台を見るこのアングルも、銚子電鉄ではおなじみのものです。銚子の海岸の中でも屈指の美しい砂浜を持っていた君ヶ浜の海岸ですが、最近は砂浜の浸食がひどく海水浴場としては整備されていません。海水浴は少し北の海鹿島か、犬吠埼灯台の先にある長崎の海水浴場くらいか。夏場の海水浴輸送も銚子電鉄の大事な収益源だった時代もありましたが、そもそも海水浴というレジャー自体が下火になっている昨今ではあります。

君ヶ浜の坂道を降りて来るデハ2000系の外川側のお顔。まんま京王5000系ですけど、前述の通りサハへ増設した運転台を取り付けた結果このようなカオになりました。片方が湘南顔の京王2010で片方が京王5000という統一感のなさ。どっちかに寄せろよと思わなくもない。それにしてもこの昭和的な水色と紺色の色使いはレトロ感があって実に渋いですな。垢抜けなさと野暮ったさの表現が絶妙というか。

午後は愛宕山にある「地球の丸く見える丘展望台」へ。キャベツ畑を走る銚子電鉄の車両。君ヶ浜のタブノキの林と、その先に広がる紺碧の大海原。実に銚子らしい光景ですね。今年の銚子の初日の出は太平洋上に雲があって上手いこと拝めなかったようですが、初日の出輸送は無事に終わったようですからひとまずおめでたい事です。午後になって銚子上空はまだら雲が来襲し、展望台からの俯瞰もヤキモキさせられましたが、2本目で一応の成功カットを収める事が出来ました。

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昔日の交換駅

2020年01月07日 17時00分00秒 | 銚子電鉄

(暮れの賑わい@銚子ウオッセ21)

魚屋の店先に並ぶ大ぶりのマグロやメカジキのサク。銚子と言えば国内有数の規模を持つ銚子漁港水揚げの海産物を思い浮かべる方も多いかと思いますが、銚子ポートタワーの下にある「ウオッセ21」は、暮れという事もあり多くのお客さんで賑わっていました。ただ、銚子の場合は漁港の近くに一般向けの小売店がそうある訳ではなく、観光地然とした魚市場としては整備されていません。近隣では、那珂湊の魚市場や日立のおさかなセンターの方がよっぽど店の数も品揃えもしっかりしている印象がありますが、ともあれこの時期の銚子のメカジキが脂乗ってて美味いんだ。メカジキなんて台湾あたりの冷凍ものしか知らない人、何となく煮付けてパサパサしてるのしか食ったことない人、だいぶ人生損してるから今すぐ銚子に行って生のメカを買ってぜひ刺身でやってくれ。下手なマグロよりよっぽど美味いので。

銚子電鉄から「ウオッセ21」にアプローチするなら最寄り駅になるのが笠上黒生駅。ですが、港の方に歩いて20分くらいかかるので最寄り・・・と言うにはちと遠い。銚子の駅前からバスに乗る方がいいのかもしれない。銚子と外川の中間にあるこの駅は銚子電鉄では唯一の交換駅で駅員も常駐しておりますが、スカルプケアの会社(メソケアプラス社)のネーミングライツにより「髪毛黒生(かみのけくろはえ)」駅となり、薄毛の方々への聖地として啓毛、いや啓蒙活動に努めております(笑)。どうせならサッポロビールと提携して「笠上サッポロビール黒生駅」とかにしてくれれば良かったのに。夏はホームにビアガーデンとか作ったりしてね。

暖かな光の射し込む笠上黒生駅の待合室は、銚電の駅らしい黒板の時刻表と旅客運賃表。この黒板、確認出来るところでは仲ノ町、本銚子、笠上黒生、外川にあると思うのだけど、誰が書いているのだろうか。細かい文字をとても丁寧な楷書で書き上げていて、いつも感心してしまう。駅の出札窓口の下には、かつてのオーナー企業であった内野屋工務店の社長を模したとされるゴリラのキャラクターのヘッドマークが侘しく置かれている。この社長による銚子電鉄の名前を利用した個人的な借財とその金銭の業務上横領が、車両検査費用にも事欠く苦境の発端であったが、債権者から銚子電鉄の会社の口座を差し押さえられたというのだから穏やかではない話。

笠上黒生の駅は以前はほぼ全列車で交換が行われたものですが、現在は10時~16時のデータイムが減便され1編成による折り返し運行となりました。よって朝夕しか交換風景を見る事は出来ず、寂しくなったなあと思わずにいられません。車内には料金収受のためのアテンダントの女性が1名乗務していますが、2編成を運行している時間帯は銚子~笠上~銚子の行路となるので、交換の合間を縫って電車を乗り換えます。銚子電鉄は銚子駅に出札窓口がなく、JRからそのまま乗り換えて来る客がほとんどなので、銚子側の守りを固めないと運賃を取りっぱぐれるという事なんでしょう。

かつての笠上黒生での交換風景。801と1001の交換。昔は1両での運行でしたので、上下列車の運転台の頭を突き合わせて停車し、線路上の駅員を介してスタフの交換が行われていました。現在は全て2両編成の運行になりましたので、駅員がホームで下り電車の運転士からスタフを受け、ぐるりと構内踏切を渡って上り電車の運転士に渡すという流れに代わっています。

笠上黒生の駅では何年か前にポイントでの脱線事故があって、その復旧と原因究明のために暫くの間運行が休止されていた記憶があります。駅の脇にはうず高く積まれた古枕木が置かれていて、保線の方々の奮闘が感じられますが・・・昨今、地方私鉄での脱線事故が増えているように思うんですが、だいたい原因が軌道変位(線路の幅が広がってたりする事ね)だったりして、どこも運行を維持するための保守経費が厳しいんだろうなあと思いますよね。地方のローカル私鉄の経営の厳しさって、軌道保守やき電の管理に一番如実に表れてくるような気がしますしねえ。公共交通機関はもっと積極的に上下分離方式の議論を進めても良いと思うんですが、相変わらず日本は公共交通を私企業の自助努力に帰結させてしまう事が多い。ここらへんは莫大な借金をこしらえた国鉄の亡霊なんですかねえ。

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本銚子今昔

2020年01月05日 17時00分00秒 | 銚子電鉄

(いつの間にやら新しく@本銚子駅)

浅間様の参道のある交差点から、小学校へ向かう路地を入った場所にある本銚子の駅。一応駅舎には切符を販売する窓口があって、浅間様のお祭りに合わせて窓口が臨時に開く事があるそうですが、普段は無人の駅です。観音から笠上黒生に向かっては犬吠埼のある台地への登り坂に当たっており、駅は堀割の森の中にあります。昔はトタンの古びた木造駅舎でしたが、いつの間にやら新しくなっていました。

駅の上には、隣接する清水小学校への通学路である「清愛橋」がかかっていて、本銚子の駅を見下ろすことが出来ます。この清愛橋も、銚子電鉄ではおなじみの撮影スポット。清水小学校自体は明治の初め頃からの歴史を持っている伝統ある小学校で、平日だと電車に乗って通学してくる小学生の姿を見る事もあります。この通学需要も、銚子電鉄の大事な収入になっています。

今から12年前の本銚子駅を、同じ清愛橋の上から。小学生たちが犬吠方面へ遠足に行くのだろうか。トタン張りの古びた待合室と、駅の周りの植生が今よりだいぶ少なくてスッキリとしているように思う。やって来たのが当時の主力車両だった銀座線の1000系。昔はコカ・コーラの自販機に屋根がついてなかったんだね。さすがに10年以上経てば細かいところもだいぶ変わっているということか。

新装された本銚子の駅は、ステンドグラスのように加工された色ガラスと白壁に木目のベンチが非常に温かみのあるもの。聞けば、2年前の夏に「24時間テレビ」の企画によって改修されたのだとか。鉄道会社が民間のテレビ局に設備改修を投げてしまうなど大手では考えられない取り扱いだと思うのだが、メディアに自社設備を拠出することでタイアップし、相当安価な出費(おそらく無料に近いでしょう)で設備改修を果たしてしまうあたりが銚電らしい。

こちらも、以前とは違って線路際の樹木がだいぶ伸びたような印象のある清愛橋の笠上黒生方。 デハ2000は銚子方だけが湘南窓で、外川方は京王5000系を模した形となっています。これは、当初はサハ付き3連に改造して伊予鉄に譲渡されたものを、伊予鉄がサハに運転台を付けてクハ化させ、2連に減車したためです。後付けの運転台の方は京王5000系を模してはいるものの、中間車のため裾絞りがなく正直間の抜けた顔になってしまってるんですよねえ。やっぱり湘南顔のほうが締まりがあるので、デハ2000に関しては銚子側の撮影が多くなってしまいました。

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いつまでも、銚子のシンボル

2020年01月04日 17時00分00秒 | 銚子電鉄

(陽だまりの待合室@仲ノ町駅)

車庫や本社があり、銚子電鉄の運行上の基幹駅である仲ノ町の駅。暖かな冬の日差しが、待合室に入り込んでいる。以前と古さは変わらないまでも、色々と細かいところは手直しされて殺風景な感じはなくなったような気がする。前回の訪問時はいわゆる「ぬれ煎餅ブーム」の時で、駅の待合室には出荷待ちの段ボールがうず高く積まれていた事を思い出します。静かな待合室のベンチには座布団が敷かれていて、暖かな日差しに包まれているとウトウトと眠くなってしまうな。

この仲ノ町の駅では、入場券(150円)を買うと車庫の中を見学させてもらえるのは昔と変わっていません。増収策の一環という事なのでしょうけども、コンプライアンスやらなんやらの強まった時代ですから、車庫の中を自由に見学できるという事自体が今のご時世には珍しいと思われます。という事で窓口で150円を支払い、仲ノ町の小さな車庫を見に行くことにしました。仲ノ町は閉塞区間の境目にある駅なので交換可能な配線になっていますが、ホームは単式一面しかなく、実際の列車交換は笠上黒生の駅でしか行われていません。左手のタンクは醤油メーカー・ヤマサ醤油の銚子工場。古くから銚子電鉄とは縁の深い会社で、この工場から出荷された醤油を国鉄の銚子駅まで運んでいくのが銚子電鉄の大事な仕事でした。

留置されていたのは、この日は運用に入っていなかったデハ2000系の第2編成。この編成はローズピンク系のツートンカラーという昭和40年代の銚子電鉄の塗装を踏襲していますが、何だか国鉄の交直流型急行色のようにも見えないこともない。お隣にいる機関車のデキ3も元気な姿を見せてはいますが、現在お色直し中とのことでビューゲルが外されていました。奥にいる銀座線1000系車両は、前回訪問時に主力を担っていた車両で、引退に際し丸ノ内線の方南支線で使われていた頃の塗装に復刻された後、事業用車両として仲ノ町車庫でスタンバイする事になりました。

仲ノ町の車庫は、相変わらず小さなスペースに色々なものがゴチャゴチャと詰め込まれていて雑然としており、犬釘のサビの匂いや機械のグリスの香りと、隣から流れ込んでくる醤油の香りが合わさって独特の世界観を作り出していました。車庫の壁一面に積まれた様々な工具類と、ピットに流れる油のシミ、そして床には投げられたウエスが転がっています。大手の私鉄のように車両と線路の保守業務がきれいに分業化されている訳でもないのだろうか、車庫の奥には線路際に立てる標識の類も無造作に投げ込まれていました。男の職場感をプンプンにさせているその様子がいかにも地方の小私鉄らしいなあと思うのだけど、もう少し写真のウデがあればこの雰囲気を上手に表現のしようがあるのかもしれない。

その昔の仲ノ町駅全景。今よりもよっぽど雑然としている様子が伺えます。この頃は車両の全般検査を行う費用にも事欠く状態であり、それが件の「電車の修理代を稼がなくちゃいけないんです」というメッセージと、ぬれ煎餅の購入のお願いに繋がっていくのでありますが・・・元銀座線の1001形が検査に入っているのか、塗装の下地処理をしているみたいで真っ白なボディになってますね。この後ハドソンの「桃太郎電鉄」のラッピングで走ったんだっけねえ。今でもそうなんですけど、この関東の東の外れの小私鉄は、必ずしも経営が楽ではないながら、色々な企画やスポンサーとのタイアップが上手な印象がある。情緒に訴える宣伝戦略といい、ラッピング電車・駅名のネーミングライツを始め、タブーなしのフットワークの軽いところが生き残りの秘訣なのかもしれない。

そんな現在の仲ノ町駅は、ネーミングライツにより「パールショップともえ・仲ノ町駅」となっています。パールショップともえ、って地元の宝石屋さんかなんかかと思ったのだけど、成田に本社があるパチンコのチェーン店らしい。銚子電鉄へのネーミングライツで、出資企業にどれくらいのインセンティブがあるのかは全く未知数ですが、儲かっている会社の広告宣伝費をすこーし提供する事で、「地元公共交通への社会貢献!」と錦の御旗を振れるのであれば、安いものなのかもしれない。平成18年頃のぬれ煎餅ブームに沸いてから、平成23年の東日本大震災で観光需要が大幅に落ち込みながらも何とか車両更新を行いつつ生き延びているのも、こういった「地元との繋がり」を強めることによって地域のシンボルとしての鉄道会社をの存在感を高め、赤字・黒字に左右されない経営を目指した結果と言えるのかもしれません。

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空より蒼く、海より碧く

2020年01月03日 17時00分00秒 | 銚子電鉄

空より蒼く、海より碧く@海鹿島~君ヶ浜間)

さて、正月三が日はとくに出掛ける予定もございませんが、年末の銚子遠征からいくつかのカットを。銚子に到着してまず座を構えたのが君ヶ浜のキャベツ畑、というか銚電で開けた構図を作りたいならここしかないという場所。この風景はそれこそ前回来た10年前とそう変わらず、走って来る電車だけが変わっていました。この日は京王の2010系改造のデハ2000と、京王のデハ5000系改造のデハ3000の2形式が充当されていました。コバルトブルーの青空に、群青の海と白波のラインをあしらった海の街らしいカラーが朝日に映えます。

まだ作付けされてから浅いキャベツの畝を行くデハ3000。旧型車からの体質改善で導入したデハ2000&3000は、銚子電鉄では初めての冷房車になりますが、銚子は沖合で寒流の親潮(千島海流)と暖流の黒潮がぶつかる海洋性の気候であり、夏でもそう暑くなる場所ではありません。冷房がなくても、以前は窓を開けておれば風が入って来て、そこまで不快な思いをする事もありませんでしたが最近はどうなんでしょう。酷暑と言われる最近の夏でも去年の8月で最高が32℃くらいだったみたいだからそこまででもないよね。同じ県内でも牛久(上総牛久)が37℃だからだいぶ違う。

そしてこのデハ3000のカラーは、過去に銚子電鉄で観光用に活躍していた遊覧車「澪つくし号」のカラーリングを踏襲しています。澪つくし号は、国鉄の車掌車の中身をくり抜き座席と窓枠を付けたトロッコ車両で、昭和60年に国鉄から購入して改造。銚子電鉄では夏場のイベント列車として活躍していたそうですが、走っている姿を見た事はなかったですねえ。運転時は定期列車に連結して走っていたらしいが、いつまで走っていたのだろう。外川の留置線に放り投げられていた澪つくし号ことユ101。先代の伊予鉄からの譲渡車両だったデハ801の姿も懐かしい、平成18年暮れの外川。

京王5000系は、京王での引退後に系列の京王重機整備にて大量に改造され、富士急行を始め一畑電鉄、高松琴平電鉄、伊予鉄、そして電装解除されわたらせ渓谷鉄道(トロッコ客車)へと譲渡されましたが、富士急からは岳南鉄道、伊予鉄から銚子電鉄と二度目の譲渡が発生している車両もあります。片開き3ドア18m車という取り回しの良さで、東急7000系シリーズや西武新101系シリーズと肩を並べる地方私鉄の一大勢力となっていますが、個人的にも京王5000系って優美な裾絞りのスタイルと女性的なデザインで京王の中でも一番好きなクルマだったんで、こうして未だに活躍の場が与えられているのは嬉しいことです。

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