(陽だまりの待合室@仲ノ町駅)
車庫や本社があり、銚子電鉄の運行上の基幹駅である仲ノ町の駅。暖かな冬の日差しが、待合室に入り込んでいる。以前と古さは変わらないまでも、色々と細かいところは手直しされて殺風景な感じはなくなったような気がする。前回の訪問時はいわゆる「ぬれ煎餅ブーム」の時で、駅の待合室には出荷待ちの段ボールがうず高く積まれていた事を思い出します。静かな待合室のベンチには座布団が敷かれていて、暖かな日差しに包まれているとウトウトと眠くなってしまうな。
この仲ノ町の駅では、入場券(150円)を買うと車庫の中を見学させてもらえるのは昔と変わっていません。増収策の一環という事なのでしょうけども、コンプライアンスやらなんやらの強まった時代ですから、車庫の中を自由に見学できるという事自体が今のご時世には珍しいと思われます。という事で窓口で150円を支払い、仲ノ町の小さな車庫を見に行くことにしました。仲ノ町は閉塞区間の境目にある駅なので交換可能な配線になっていますが、ホームは単式一面しかなく、実際の列車交換は笠上黒生の駅でしか行われていません。左手のタンクは醤油メーカー・ヤマサ醤油の銚子工場。古くから銚子電鉄とは縁の深い会社で、この工場から出荷された醤油を国鉄の銚子駅まで運んでいくのが銚子電鉄の大事な仕事でした。
留置されていたのは、この日は運用に入っていなかったデハ2000系の第2編成。この編成はローズピンク系のツートンカラーという昭和40年代の銚子電鉄の塗装を踏襲していますが、何だか国鉄の交直流型急行色のようにも見えないこともない。お隣にいる機関車のデキ3も元気な姿を見せてはいますが、現在お色直し中とのことでビューゲルが外されていました。奥にいる銀座線1000系車両は、前回訪問時に主力を担っていた車両で、引退に際し丸ノ内線の方南支線で使われていた頃の塗装に復刻された後、事業用車両として仲ノ町車庫でスタンバイする事になりました。
仲ノ町の車庫は、相変わらず小さなスペースに色々なものがゴチャゴチャと詰め込まれていて雑然としており、犬釘のサビの匂いや機械のグリスの香りと、隣から流れ込んでくる醤油の香りが合わさって独特の世界観を作り出していました。車庫の壁一面に積まれた様々な工具類と、ピットに流れる油のシミ、そして床には投げられたウエスが転がっています。大手の私鉄のように車両と線路の保守業務がきれいに分業化されている訳でもないのだろうか、車庫の奥には線路際に立てる標識の類も無造作に投げ込まれていました。男の職場感をプンプンにさせているその様子がいかにも地方の小私鉄らしいなあと思うのだけど、もう少し写真のウデがあればこの雰囲気を上手に表現のしようがあるのかもしれない。
その昔の仲ノ町駅全景。今よりもよっぽど雑然としている様子が伺えます。この頃は車両の全般検査を行う費用にも事欠く状態であり、それが件の「電車の修理代を稼がなくちゃいけないんです」というメッセージと、ぬれ煎餅の購入のお願いに繋がっていくのでありますが・・・元銀座線の1001形が検査に入っているのか、塗装の下地処理をしているみたいで真っ白なボディになってますね。この後ハドソンの「桃太郎電鉄」のラッピングで走ったんだっけねえ。今でもそうなんですけど、この関東の東の外れの小私鉄は、必ずしも経営が楽ではないながら、色々な企画やスポンサーとのタイアップが上手な印象がある。情緒に訴える宣伝戦略といい、ラッピング電車・駅名のネーミングライツを始め、タブーなしのフットワークの軽いところが生き残りの秘訣なのかもしれない。
そんな現在の仲ノ町駅は、ネーミングライツにより「パールショップともえ・仲ノ町駅」となっています。パールショップともえ、って地元の宝石屋さんかなんかかと思ったのだけど、成田に本社があるパチンコのチェーン店らしい。銚子電鉄へのネーミングライツで、出資企業にどれくらいのインセンティブがあるのかは全く未知数ですが、儲かっている会社の広告宣伝費をすこーし提供する事で、「地元公共交通への社会貢献!」と錦の御旗を振れるのであれば、安いものなのかもしれない。平成18年頃のぬれ煎餅ブームに沸いてから、平成23年の東日本大震災で観光需要が大幅に落ち込みながらも何とか車両更新を行いつつ生き延びているのも、こういった「地元との繋がり」を強めることによって地域のシンボルとしての鉄道会社をの存在感を高め、赤字・黒字に左右されない経営を目指した結果と言えるのかもしれません。