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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

西上州、夏の灼熱物語。

2021年07月21日 23時00分00秒 | 上信電鉄

(梅雨明けの日差しの中で@馬庭~西山名間)

5月のGWは長電&上田、そして6月は地鉄と松電。コロナ禍の中でも、ちょこちょこと泊まりのない程度のソロ活ショートトリップを繰り返している最近の自分。6月に撮って来た地鉄の写真もあらかた整理し終わったところで、タイミングよく関東地方に梅雨明けの報。梅雨明け一週間は天気の相場的に安定して晴れるだろうと踏んで、群馬の上信電鉄に久々に行って来ました。もうしばらく来てないからホントご無沙汰。お隣の秩父までは良く来るのだけどね。何で上信?というのは特に理由はないけど、強いて言うならば今どき珍しい自社発注車の比率が高い地方私鉄だって事。だったのだけど、いつの間にやら上信のラインナップは最近導入された新前橋電車区のJR107系に席巻されていて、来る電車も来る電車も107系という状態。上信では700形を名乗っているようだけども、あれほどいた独自色の濃い自社発注車はどこへ・・・?という感じ。思えば前来たのってもう7年前くらいだから、時は流れたんだなあと。

梅雨明けと同時に行くにはちょっと灼熱が過ぎたかもしれない上州路。妙義荒船に繋がる山並みを背に、夏の日差しを浴びる向日葵の横を快走する下仁田ジオパーク編成、これは元々西武の701系に施されていたラッピングだと記憶しておるのだけど。701が107という回文的な輪廻転生である。閑話休題、話がそれた。ここから暫く、西上州を走る地方私鉄の夏の日に、お付き合いのほどを。

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音沢、一つ前の一本前。

2021年07月18日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(終着駅の前の駅@音沢)

音沢駅。電鉄富山から40番目の駅にして、次は終点・宇奈月温泉。個人的に、旅の中で掘り下げているテーマである「終着駅の一つ前」の駅。集落を貫く旧道に面して、人ひとりが立つのもやっとな細い細いホームが立っている。今日の営業は、宇奈月温泉行の列車を2本残すのみ。電鉄富山方面の終列車はもう行ってしまった。何年か前に富山県の統計では、この音沢の駅でも日に200人程度の乗降客があるとの統計が出ているのだけど、現在はいかばかりか。

21時35分、終電一本前の宇奈月温泉行きが、静かに山を登って来た。こんな時間の電車、誰も降りる人なんかいないだろう・・・なんて高をくくっていたら、運転席寄りのドアから何人かの乗客の降りる姿が。黒部の谷狭まる音沢の集落、ここから黒部や魚津の街へ仕事に通っている人々の帰宅の足として、鉄道がしっかりと役割を果たしていました。「どうせ通勤はマイカーがほとんどでしょう」なんて、見くびっていたのはこちらだったのではないかという汗顔の至り。

電鉄黒部から、黒部川の扇状地を断続的に登って行く黒部線。立山線ほどではないが、こちらも終点に向かって急勾配になっている。音沢の駅は、駅の途中から22パーミルの勾配。本来であれば駅のホームはレベル(水平)であることを良しとするところではあるのだけど、そうも言っていられないという事か。カーブの向こうに電車の灯りが消えると、また駅を暗闇と静寂が包みました。

音沢。黒部川に流れ込む小さな沢音が、止むことなく響いているような。そういう土地の情景から名付けられた集落の名前でしょう。大正11年に黒部鉄道がこの地に鉄道を建設してから、来年で100年を迎える変わらぬ鉄路の情景。たかが2年に満たないコロナ禍でどうにかなってしまうような、地元との繋がりはそんなヤワなものではないと信じたい。今回の富山行、大幅な減便ダイヤとなってからは初めての訪問となったのだけど、さすがに特急が消えた地鉄沿線には一抹の寂しさがあって・・・再び立山黒部に観光の賑わいが戻るまでには、しばらくの時間が掛かりそうです。

ま、一介のマニアが出来る事は、こうやって現地に赴き、ささやかな売り上げに貢献するくらいのほかはないのだけど。

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テールランプ、闇に揺れて。

2021年07月14日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(夜は更ける@内山駅)

もうだいぶ時間も遅くなってしまった。宿も取らずの日帰りの身であるから、そろそろ店仕舞いをして帰り支度をしてもいい頃合いなのだけど、何となく黒部線から離れがたく。もうすっかり人の姿も消えた宇奈月へ向けて、何かを求めて集落を彷徨う異邦人。あまり夜にヨソモノがウロウロしていては相当に怪しまれてしまいそうな重い闇に沈む内山の集落を抜け、朝も訪れた内山の駅へ。蛍光灯の周りをバタつく虫と、壁をよじ登ってポスターの裏に隠れたカナヘビが迎えてくれた。

人間にとって、あまりにも深い闇は、それはそれは怖いもの。内山の駅に迫る黒部の前山が、想像以上の漆黒の威圧感で視覚に襲い掛かって来る。ホームの外灯や待合室は頼りないながらも明かりが灯っているので、それだけでも気持ちが少し軽くはなるのだが。錆びて曲がってしまった駅名標を、まだ若く色付き途中の紫陽花が囲んでいて、そのほのかな色合いも梅雨の風景らしくていいものだ。思えばこの富山行ももうひと月前の話。ホームの紫陽花も、今はもう色付きを終えて枯れているんだろうな。そろそろ次の旅の支度をしたくなる今日この頃、オリンピックが始まる前に・・・とも思うのだけど。

古い木造の駅舎を、板やトタンで補修して何とか立っているという感じの内山の駅。風雪に耐えて耐えて使われて来たホームも歪みが酷く、どこが水平なのか分からなくなる。供するにギリギリのラインで運営されているものも多い地鉄の鉄道事業、こと設備に関しては、過日の東新庄駅脱線事故の調査報告を読まずとも、ヒトモノカネの全てが足りないのは自明の理。これは地鉄に限らない地方私鉄の現状でしょう。これを「安全に対する投資は企業の自助努力で行われるべき」という突き放した「べき」論で会社を追い詰めては・・・残っているのは国土交通省に対する廃止届の提出しかない。そうならないためにも、地元自治体の積極的な関与と、建設的な議論が必要不可欠なものと思われます。

去って行く電車のテールランプが、闇の中で頼りなげに揺れた。

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遥か都、近き東京。

2021年07月12日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(夜に佇む@舌山駅)

新幹線と接続する新黒部から300メートル、小さな水色の木造駅舎が眠りに就こうとしています。舌山駅20:30。もうあと何本かの列車の発着を待つのみの駅前広場に、待合室の蛍光灯の灯りだけが煌々と差している。静謐な時間の流れ。駅横の道をたまに車が通り抜ける時だけ、光と物音が動く。

舌山の駅は、この駅で交換をする場合以外は、富山へ行く電車も宇奈月へ行く電車も南側の2番ホームを使う一線スルー方式。これは、駅舎側の1番ホームが、旅客の発着というよりは農業倉庫からの荷物の積み出しのために使う貨物ホーム的に使われていたからではなかろうかと思われるのだけど、そんな農業倉庫とフラットに繋がる1番ホームから宇奈月方を見やると、京阪かぼちゃの電鉄富山行き158レがライトを光らせてやってきました。

黒部宇奈月温泉から東京方面の最終の新幹線は20:55発のはくたかなので、この158レが宇奈月から東京への最終接続列車。富山のしかも黒部川流域から、こんな時間になっても当日中に東京に戻れることに、北陸新幹線がもたらした圧倒的かつ革新的な交通事情の改善を感じてしまう。ちなみに、30数年前のJR発足直後だと、黒部19:28発の雷鳥25号で長岡乗り換え→上野23:16着。前述のはくたかは東京に23:24着なので、およそ1時間半の滞在時間の増加が図られたことになる。尤も、少し前までは23時台に魚津を出る特急北陸、そして黒部を出発する急行能登があって、これに乗れば上野は翌朝6時台。身支度を整えてからでも、出社に十分間に合う時間に都内に戻る事が出来た。どちらが便利かは、人それぞれだろうけど。

暗闇の中で物憂げに流れるテールランプと、東京行きの最終列車を見送る。
速さの先に消えた情緒の澱が、糸を引いて闇に消えて行きました。

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夕暮れ模様。

2021年07月10日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(薄暮のホーム@越中三郷駅)

富山大橋で夕暮れを迎え、空が焼けるか・・・と待ち焦がれているうちに、空は梅雨の空気を吸って白く霞んだまま日の入りを迎えました。日が暮れてから夜の帳が降りてくる間のほんの僅かな時間をブルーモーメントなんて言ったりしますけど、そんな時間帯をどこで過ごそうかと考えて、結局越中三郷の駅に。電鉄富山~寺田の間は、減便ダイヤとは言え朝夕の時間帯は上下の電車が10分ごとに行き交う過密なダイヤ。赤幕表示がもう東急当時のそれ、としか言いようがない17480形の急行宇奈月温泉行。相変わらずの幕故障状態であるのがいと勿体なき。

上市ローカルで折り返してきたと思しき電鉄富山行き。今回の富山行ではあまり捕獲出来なかった純正雷鳥色。10020形、そして14720形という僚友の引退により、地鉄電車最後の自社発注車の牙城を守る14760形。こちらも10030形同様、経年としてみたら40年を超えて来た車両も多く、そろそろ次世代車両を物色する時期に来ているとは思う。さすがに7編成も所属しているので、この形式がいきなり全て抜けるなどという事はあまり考えられないけどね。

家路への歩みを促すチャイムが流れる三郷の駅。ワンマン運転らしく、停車してからややあってドアが開き、上市方面の高校に通う生徒たちが下車して来た。遮断器が上がった構内踏切の向こうとこちら。それぞれが声を掛けて足早に去って行く女子高生たち。駅裏の出口を出て行く子の手がスッと上がって、今日の日はさようなら。

こんな風景を撮りに来たって感じがする、三郷の夕暮れ模様です。

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