青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

松山の 老舗の鉄路 十重二十重。

2021年11月20日 17時00分00秒 | 伊予鉄道

(愛媛松山四方八方@伊予鉄路線図)

さて、最近のライフワークとも言える全国の地方鉄道探訪、今回のターゲットは伊予鉄道。愛媛県は松山市の松山市駅を中心に、北は高浜線が港町高浜へ、南は郡中線が郡中港(伊予市)へ、そして東は東温市の横河原へ向かう横河原線の3路線の郊外線(鉄道線)と、JR松山駅・松山市駅から官庁街・道後温泉などの市内各所を結ぶ市内線(路面電車)で構成されています。伊予鉄道は、官営鉄道より先に四国で初めて開業した鉄道で、全国レベルで見ても創業は1887年(明治20年)と相当古い老舗鉄道会社。松山平野をそれこそ四方八方十重二十重に伸びる路線網は、1泊2日で乗り撮りするにはそれなりにボリューミーな感じ。

さて、駅のうどん屋で軽い昼食を済ませ、荷物をロッカーにぶち込み身軽になったところで駅の観光案内所で「ALL IYOTETSU 2Day Pass(伊予鉄電車・バス2日間フリー乗車券)」を購入します。伊予鉄の市内線・郊外線とバスが乗り放題で2日間で2,800円。バスはいらないかなあなんて思ったんだけど、よくよく考えたら次の日松山空港から帰るので、バスも入ってて良かった。全線完乗して乗り撮りするならフリーパスは必須でしょ。市駅の上にある観覧車も乗れるみたいだしね。

駅前にある電停から、とりあえず来た電車に乗っかって、二つ目の西堀端の電停まで乗ってプラプラと。3時間前は高松城のお堀端を歩いていた男が、今度は松山城のお堀端を歩いております。南堀端通りをミカン色の路面電車が走って行きますが、そう言えばこの日は文化の日の祝日。松山市内線は、全車がご丁寧に旗を差していました。いわゆる「旗日」ってヤツですか。路線バスなんかがやってるのはよく見るけど、路面電車でもやってるトコはやってますよね。

松山市役所をバックに南堀端通りを下って来る51号。伊予鉄松山市内線では最古参のモハ50形のトップナンバー。古豪のフォルムが秋の午後の日射しに映えます。よく見ると、市役所には「優勝おめでとう!東京ヤクルトスワローズ」の垂れ幕が・・・そう言えば、一時期ヤクルトって松山移転なんかを取り沙汰されていた時期がありまして、実際に主催試合なんかも増やしてた記憶があるんですけどどうなったんでしたっけ。ヤクルトで愛媛県ってーと宇和島東の岩村明憲と今治の藤井秀悟ですわなあ。あと宮出とか。

西堀端電停に停車するモハ51号。聞いたところによるとこの車両、私が訪問した後すぐに方向幕がLEDに換装されたのだとか。幕車からLEDへ、ってのは見た目上の大きな変化ですよねえ・・・いやもちろん、古い車両でもきちんと交換すべき部品は交換して長く使えるようメンテするのが当然なんですけど、そう思うとこの姿って結構貴重だったんだなあって思いますね。

伊予鉄名物・大手町のダイヤモンドクロスを往く54号。ガッタンガッタンガッタンガッタンと複線の線路を超えて行くボギー車の車輪の音が小気味よく響きます。郊外線の電車が来て、上手く旧型の市内電車と絡む瞬間が欲しかったんだけど、なかなかそう上手くは行かないですね。当たり前だけど、そこを被らないようにダイヤを組んであるのだろうし・・・このダイヤモンドクロスでは、レールだけでなく架線のトロリーも上空で交差しているのですが、この関係で郊外線は高浜線だけ直流600Vと市内電車と同様の電圧になっています(横河原・郡中線は750V)。

ちなみにこちらが踏切待ちをする路面電車と大手町の駅に進入する郊外電車(翌日撮影)。もう何度紹介されたか分からない大手町のダイヤモンドクロスの構図を撮影するとこんな感じ。高浜線のダイヤは、基本的には大手町の駅を上下列車が同時刻で発着するようになっており、これによって市内電車を支障する時間をなるべく少なくしているんでしょうね。

ビルに囲まれた高浜線の大手町駅。駅を出て渡る松山駅の駅前通りに、路面電車とのダイヤモンドクロスがあります。なんか、ホームに立って電車を待ってる際に、妙なデジャブ感を覚えたんですが・・・あ、そうだ。この雰囲気、流鉄の幸谷駅に似てますよね。まああっちは単式ホームだけど。ビルに挟まれた狭いホームから空が見えるこの感じがさ。

ちなみにこちらが流鉄の幸谷駅。ほら!ほらほら!同じやん!(笑)。現地でも思った事が、改めて見ると思った以上に雰囲気が似ている事に驚いた。実は幸谷と大手町、生まれてすぐに生き別れてしまった兄弟感ある。まあ、幸谷から大手町とか馬橋で千代田線に乗り換えて30分くらいだしな・・・(違います)。などとアホなことを考えていると、ほどなく高浜線の電車がやって来ました。大手町(愛媛)から電車に乗り込んで、伊予鉄探訪まずは高浜線方面へ行ってみたいと思います。

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瀬戸の海 讃予の旅よ しまなみよ。

2021年11月18日 22時00分00秒 | JR

(Shikoku Smile Station@JR四国・高松駅)

玉藻公園を散策し、お堀端のことでんを何枚か撮影した後は、JRの高松駅に戻って来ました。笑顔のあしらわれた駅前に、托鉢の僧侶が鎮座しているのが四国と言えば四国らしい・・・本州と宇高連絡船によって結ばれ、四国の玄関口として栄えた歴史はもう30年以上も前の話。貨車や客車が桟橋まで犇めいていた大きなヤードはすっかり形を変え、再開発の商業ビルが立ち並ぶエリアに生まれ変わっています。

駅全体のスペースはコンパクトにはなりましたが、連絡船の時代と同様の頭端式のホームは健在。予讃・土讃の四国の二大幹線に、高徳本線と瀬戸大橋線方面の列車が発着していて、連絡船の時代に比べて発着番線の数は増えていたりする。改札口の電光掲示板には、色々な方向の様々な列車が表示されていて、その行先を眺めるだけでも旅心が慰められるというか、いいものですね。

仏生山の撮影会と琴平線でのレトロ運行は諦めて、少し早めに高松を後にします。乗車するのは、特急いしづち9号松山行き。JR四国ではお馴染みの「アンパンマン列車」で運転されていました。この列車、途中の宇多津で岡山からやって来るしおかぜ9号と併結されるのですが、高松口では3両しかないのね。

ちなみに、発車5分前で自由席はこんな感じの乗車率。これでは3車でも多いかも・・・と思ってしまう。飛び石でもない週中にあるポツン祝日で、昼前に高松を出る特急。緊急事態宣言明けて1ヶ月程度の四国では、まだまだ観光需要もビジネス需要も戻っていないのか。対松山で考えると、JR四国バスが伊予鉄と共同運行で高速バスも出してたりして、およそ2時間半強で4,100円なんですよね。JRは特急で同じく2時間半強で5,760円と運賃では負けてしまってたりするので、そっちに流れてるってのもあるのかなあ・・・

高松を出たいしづち9号は宇多津でしおかぜ9号を併結し、一路松山を目指します。高松~松山間で鉄道とバスの所要時間が変わらなくなるのは、バスは今治を経由せず、松山道を直行してしまう事にあります。四国と九州はホント高速バスが便利で、正直都市間移動だけであればバスに軍配が上がるのですが、鉄道は所々で瀬戸内の海岸線沿いを走るので風景はこちら。多度津から先、詫間や箕浦付近では、波打ち際を瀬戸内の島々を眺めながら走って行きます。

大王製紙の工場の巨大な煙突が何本も見える川之江・伊予三島。構内にコンテナが山と積まれた新居浜は、古く別子銅山の鉱山開発を契機に住友財閥が発展させた街。その他タオルと造船の今治など、特急いしづち号は瀬戸内にベルト的に繋がる工業都市に停車して行きますが、JRの特急列車に2時間以上乗るなんていつ以来か。ガラガラの車内が伊予西条から乗ってきた親子連れグループでちょっと賑やかになりつつ、列車は松山へ。

松山到着。高松から2時間23分。恥ずかしながら、高松と松山という隣県の県庁所在地の割には案外遠いのだなという事を実感。高松から194.4kmとなると、東京から静岡の先の焼津くらいの距離だからかなりのもんだ。こっから先、予讃本線はさらに伊予大洲から八幡浜を通り宇和島まで通じているのだけど、宇和島方面は特急宇和海へ乗り継ぐことになります。宇和海はいしづちの到着したホームの先端部に縦列で付けてくれるので、階段を上り下りすることなく乗り換えが出来ます。

という訳で、人生初の松山に到着。どっちかって言うと、今回の旅程では高松のレトロは行きがけの駄賃的な感覚で、行った事のない松山の方を楽しみにしておりました。JRの松山駅は、県庁所在地の駅にしては非常に昔のままの体裁を残しているようで、駅ビルとかステーションモールなんてのはどこ吹く風の、横に長い二階建て。駅前の車寄せに、これほどクラウンコンフォートのタクシーが似合う駅もないんじゃないかなあ。

ともあれ、時刻は午後二時過ぎで、まだまだ街歩きをする時間は残されています。
ちょっと重たい余計な荷物をコインロッカーに叩き込んで、街へ出ると致しましょうか。

 

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名にし負う 讃岐の水城 ひとめぐり。

2021年11月16日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(お茶電と、電車祭りHM@高松築港駅)

瓦町でレトロを見送った後は、仏生山の撮影会に向かおうかなとも思ったのですけど、そのまま琴平線の電車に乗って築港駅まで出て来ました。ホームで電話をしていたマニアが「(現地は)撮影会の並びが凄くて、これからでは間に合わないかも」みたいな事を聞いてしまったんよね。それと、朝からどこへ行っても目を血走らせてレトロを追っ掛ける同業者だらけってのに疲れたというのもある。曲がりなりにもラストランを撮影出来たという個人的な満足感もあり・・・。やっぱり地方私鉄は、気ままに好きなように撮るのが自分の信条。

築港駅を出て、玉藻公園を散歩とかしてみる。前回は、高松に二泊したにも関わらず、駅の隣にある玉藻公園には入る事すらしなかったので・・・(笑)。勿論、子供のやってる「日本100名城」のスタンプ集めってのもありますが。天正年間に、生駒親正の築城により完成した高松城。天守こそ現存しませんが、本丸跡の石垣は堂々とその姿を残しています。

二の丸から天守に繋がる一本橋・鞘(さや)橋からの眺め。有事の際は、この一本橋を落とす事で完全に天守は籠城の体制に入ったと言います。高松城はお堀に海水を巡らした水城で、堀を巡る船が観光客を乗せてのんびりと櫂を漕いでいました。鞘橋が跨ぐ堀は、そのまま高松築港駅のホームに面していて、琴平線の電車が入線して来たのが見えます。ここからの風景、もうちょっと電車がハッキリ見えればなかなかの撮影地なのかな・・・と思うんですけど、ホーム屋根の陰に入ってしまって上手く見えませんね。

堀の水は青々と秋の高松の空と雲を写し、流れのない水の中ではチヌの群れが泳いでいました。竿と餌でも持って来ればいくらでも釣れそうですが、もちろん釣りは禁止です。本丸の石垣の上からなら、築港駅と絡めたいい写真が撮れそう・・・なんて思ってしまったのだけど、残念ながら高い石垣の上は立ち入り禁止。

玉藻公園を東門から出て、艮櫓を眺めるいつもの撮影地に。ことでんと言えばやっぱりココ、玉藻城下のお堀端を往く電車の姿を撮影しないと何となく収まりが悪いですな。琴平線と長尾線の電車がひっきりなしに行き交うこの区間、待たずとも色々な電車がポンポンと来てくれるのでシャッター数も弾みます。琴平線組では大所帯の京急組に隠れて控えめな存在の元京王5000系。何故か貫通路幕をLEDに交換して、尾灯が埋められてしまった1107Fが来ました。

長尾線は元京急1000形の1305F。同僚の京急700形が前照灯をオデコに埋め込んだ4ドアスタイルというスマートな雰囲気の車両なのに比べて、渡り板のベロや幌周り、屋根上に潜望鏡の様に突き出た一灯ライトが武骨で勇ましいです。水の上に落ち葉やらゴミやらなんやら乗っかって汚かったのだけど、側面が潰れるのを承知でイン側に寄ったのは、この日の高松の青空がことのほかキレイで、お堀の水に青空を溶かしたかったから。ちょーっと風が吹いて水面が揺らめいてしまったけど、長尾線のエメラルドグリーンが爽やかな秋の空にマッチして、カラッとした一枚になりました。

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讃岐っ子 思い出詰めて 瓦町。

2021年11月14日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(オールドファンに見守られ・・・@瓦町駅)

新川橋梁周りでレトロ長尾線の往復を撮影し終えた後は、急ぎ平木駅に戻って続行の築港行きに乗り込みます。この日の午前中のレトロの行程は、瓦町→長尾→築港→仏生山というルートになっており、続行電に乗れば瓦町にてギリギリ築港で折り返して来るレトロをもう一回撮影出来るのです。前回みたいにレンタカーでも借りてしまえば先回りしてもう何発か撮れたのかもしれないけど、途中でバカ停を挟むわけでもないので、電車追っ掛けだとやれて3回でしたね。続行電は各駅で撮影を終えた同業者を乗せて超満員、各駅での乗降に時間が掛かり、じわじわと遅れを出して行く状況・・・果たしてレトロに間に合うか、とヤキモキしたのだけど、ホームで人垣を作るファンの間から何とか、瓦町のホームに滑り込んで来るレトロを撮影する事が出来たのでした。「佛生山」のカンがいいよね。旧字体って言うんですか。

レトロ電車は、仏生山の車両工場で日中は有料の撮影会に供されることになっており、この便で会場入りするファンも多かったようです。自分の乗って来た長尾線から乗り換える人や、最後の姿を収めようとする人でホームはごった返していました。レトロ電車を取り囲むファンの面々を見ていると、若い人と言うよりは流石に自分より年配の世代が多かったですね。平成の初めごろまでは、こういったオールドスタイルの小さな木造車両や他の私鉄から集められた種々雑多な旧型電車が大量に跋扈していたのが琴電ですから、地元の讃岐っ子の皆さんも、小さな頃の思い出に浸っていたんでしょうか。

小さな車両の座席はおろか吊り革まで塞がり、運転台の近くまで立錐の余地のないレトロ仏生山行き。一瞬、ここでレトロを撮らずに乗り換えて仏生山の撮影会へ参加しようという気持ちも生まれたんだけど、まあ乗ったら撮れないのが撮り鉄の業。満員の車内で押し合いへし合いしてもしょうがないかってのもあって。荷物も大きかったしね。長尾線のホームから、ささやかに最後の姿を収める事に致します。120号と300号の小さな車体たった2両で収めるには多過ぎる乗客を乗せて、大盛況のまま瓦町を出て行きました。

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古希行かば ああ惜別の 青雲に。

2021年11月12日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(開業当時の面影を残して@学園通り~平木間 新川橋梁)

ことでんレトロの運行は、通常ダイヤの間を縫って行われているため、レトロ電車は終点の長尾ですぐに折り返してきます。先ほどの平木のストレートから振り返って、新川の橋で返しのレトロを狙います。一枚目の撮影地がもっと瓦町に近かったら、場面転換して新アングルを狙いに行けたんだけどね。とてもじゃないけど場所を動いている時間はないので・・・アングルを決められる時間は僅か15分程度。ファーストショットをオーソドックスな形で撮影したので、何かひと捻り加えたいという事で、橋の下に降りてみました。高松電気軌道時代に、将来の複線化を見越してL字の長靴型で作られた新川橋梁の橋脚。何度となく渡ったこの歴史ある石積みの橋を、堂々と渡り納めて行くレトロコンビ。

そして、メイン機材では広角のレンズを思いっ切り引っ張って下から煽り倒すことに。この時期は太陽の高度が低いので、イコライザー台車と床下機器までガッツリと光が回るのがいいですねえ・・・古風な車両らしく、リベットで丁寧に鋳造された300号の車体。大正レトロの風情を残す戸袋の丸窓も美しい。何度も何度も延期され、全国のことでんファンが待ちに待ったレトロの走行イベント、そして、全世界のことでんファンが来て欲しくなかったレトロのラストランは、抜けるような讃州の青空の下で挙行されたこと。そして、そんな晴れの日の末席にカメラを持って参戦する事が出来たこと。先々までも良い思い出となる、ことでんレトロ古希の旅立ちでした。

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