青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

猫招く 地方再生 ここにあり。

2022年05月17日 17時00分00秒 | 和歌山電鐵

(木の神様を祀る@伊太祁曾神社)

和歌山電鐵沿線最大の神社仏閣である伊太祁曽(いだきそ)神社。大正時代に山東軽便鉄道が開業する際、乏しい沿線人口に対して「沿線の神社仏閣への参詣者」を当て込んで建設された経緯があるのですが、沿線最大の社殿を持つのがこの伊太祁曽神社でした。明治43年の「軽便鉄道法」施行により、全国に雨後のタケノコのように軽便鉄道が建設されましたが、軽便法はそれまでの私設鉄道法に比べて設備の認可基準が緩く、個人でも許可申請が出来たうえ、開業10年間の欠損は国が補填してくれたという大盤振る舞いの法律でした。その中には鉄道会社としてはニーズも資本も乏しく短命に終わってしまった会社も少なくありませんが、大正から昭和の初期にかけては、国策として鉄道の建設が奨励された時期ではありました。

午後も非常に良い天気に恵まれた和歌山電鐵線沿線。これまたあてもなく何となく、途中の駅に降り立っては列車にシャッターを向ける。岡崎前駅にてたま電車を下車。春にしては強い午後の日射しの中、ボディの猫駅長が躍り出す。和歌山電鐵で使用されている車両は、南海からの転換時に承継された2270系。2Mユニットで組成された元高野線の22000系を1M1Tに組み替え出力をダウンサイジングし、ワンマン改造を施した車両。前面貫通路の埋め込みと、運転台側のドアだけが片開きになっているのが特徴。ワンマン車両に求められる降車時の運賃収受とスムーズな乗降の動線を作るためには、片開き扉で戸袋を運転台と反対側に寄せる事で、出入口と運転台をなるべく近付けておく事が必要だったのでしょうね。

岡崎前~交通センター前間。和田川と言う和歌山市内の小さな川の土手沿いを行く。チャリンコに乗った子供たちが駆け抜けていく後を追って、日本動物愛護協会ラッピングの2270系。さすがに「たま駅長」を通じて動物愛護に理解のある(?)和歌山電鐵らしいラッピングと申しましょうか。和歌山電鐵の車両は貴志側がダブルパンタになってるんですね。

電車を待って乗り込む貴志行きは「たま電車ミュージアム号」。車内に溢れんばかりのたま駅長の装飾、GW和歌山から乗って来た「たま電車」とはまた一味違ったデコラティブな車両である。車内は一日乗車券を持った小さな子供連れのお父さんお母さんで溢れていて、その中にデートでやって来た若い二人連れの姿なんかも。沿線利用は自動車に奪われ、南海本社からはそう目立った投資もなく、ジリ貧の気配が色濃かった貴志川線。この路線と車両自体を「たま駅長」の下でブランディングし、観光のアトラクションの一つとして沿線住民以外を呼び込み、路線自体を活性化させることに成功しました。

伊太祁曽駅で交換する「たま電車ミュージアム」と「たま電車」。車体前面上部に燦然と輝くティアラとネコミミ。 何でもありの圧倒的ファンタジックレールである。一般の乗客が躍起になってスマホで車内のあれこれを写真に収めるさまを見ると、貴志川線を再生させるために打ち出したプランが、ある意味鉄道路線自体のエンタメ化なんだろうなあと。

この鉄道会社に、いわゆる地方のローカル私鉄然とした鄙びた佇まいであるとか味わいだとかを求めて来ると、ここではそれを大きく裏切られることになります。地元に根差した利用の促進と全国へのアピール、これが地方鉄道の再生の一つの形なのかもしれません。

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猫の手が 客を呼び込む たま電車。

2022年05月15日 12時00分00秒 | 和歌山電鐵

(東西の和歌山を結ぶ@紀勢本線・和歌山市駅)

加太の街ブラを終えて、和歌山市駅へ戻って来ました。ここからは、南海電車からJR線にお乗り換え。和歌山市街の西側にある和歌山市駅と、東側にあるJRの和歌山駅を繋ぐのがJR紀勢本線の和歌山支線。加太線ホームの隣から出ています。使われている車両は227系の2連で、JR西日本の標準型というフェイス。いつも思うのだが、JR西のこの系統の車両って連結部の転落防止幌が競走馬のチークピーシズにしか見えない。

和歌山市からJRの和歌山駅までは、電車で10分弱。紀勢本線・阪和線・和歌山線が乗り入れる県都・和歌山の中心駅。南紀方面の特急くろしおやら、紀州路快速が忙しなく発着している光景を、一番駅の外れにあるホームから眺める。以前は、和歌山市駅に対してこの駅は東和歌山駅と言われていて、現在の紀和駅が和歌山駅と言われていた時代があったのだとか。

そんな和歌山駅の一番駅の外れのホームから出ているのが、和歌山電鐵貴志川線。鉄道ファンには「たま電車」でお馴染み、と言えばいいだろうか。JR和歌山駅に接続し、元々南海電鉄の支線・貴志川線として本線筋から離れ小島のような形の路線でしたが、収益悪化に伴う南海電鉄の撤退の意向を受け、平成17年に地元和歌山市と貴志川町が音頭を取る形で引受先の存続会社を公募。岡山県の両備グループ(岡山電気軌道)が支援に名乗りを上げ、「和歌山電鐵」の名称で生まれ変わりました。

和歌山市駅を拠点とする南海本線とは接続がなく、南海との合併以降も何となく傍流的な立場を抜け切れなかった貴志川線。架線電圧も長らく600Vから昇圧されなかったせいもあり、南海本線で使い古された骨董モノのツリカケ車両が行き交うだけの路線でした。貴志川線は元々「山東軽便鉄道」として大正初期に敷設された地方鉄道。戦後は和歌山電気軌道(和歌山市内線)と合併し「和歌山電鉄」を名乗って和歌山市街の域内交通を形成していたこともあり、「和歌山電鐵」を名乗るのは二回目という事になります。

車体に踊る猫のキャラクター。「たまでん」なんて言われると、私のような関東モノは「東急玉川線・世田谷線」の緑色の電車を思い出してしまうのですが、こちらの「たま」は猫のタマ。違う意味での「たまでん」です。南海から和歌山電鐵へ転換される際、終点の貴志駅で飼われていた駅猫を駅長に抜粋するという奇抜なアイデアと、水戸岡鋭治氏のデザインによる「たま電車」の導入は、地方再生のシンボルとしてのメディアミックスによって「ねこ駅長」ブームを巻き起こしました。この貴志川線のリブランディングと和歌山電鐵の運営手腕が高く評価され、両備グループの総帥である小嶋光信氏は「地方交通再生請負人」の称号を確立するに至ります。

改札口で初老の駅員氏から一日フリー乗車券を購入し、ホームに停車していた貴志行きの電車に乗車する。「たま電車」に一歩足を踏み入れると、そこには既に和歌山電鐵と水戸岡鋭治氏が作り出す独創的なファンタジスティック・ワールド。車内の本棚も、木のベンチも、連結部の暖簾も、普通に電車として走らせるには不必要なものばかりですが、そこかしこにあふれ出すギミックの数々が、この電車を特別な存在に押し上げています。鉄道ファン的にはメルヘンチックに寄せ過ぎているような感じも受けるのですけど、これこそが和歌山電鐵を再生に導いたメソッドの一つなのでしょう。

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潮風を 嗅いで路地裏 加太の街。

2022年05月13日 17時00分00秒 | 南海電鉄

(新緑包む終着駅@加太駅)

終点・加太駅。もう少し海の近くの雰囲気有ろうか、という勝手なイメージがありましたが、潮風の気配は少し乏しい場所にあり、かえって駅を取り囲む丘陵地帯の新緑が綺麗な色を見せていました。加太の駅が港から少し離れているのは、鉄道が開通した明治の時代に、街場の人達から鉄道に対するちょっとした反対運動があったからなのだとか。当時の鉄道となれば当然ながら陸蒸気。火の粉で火事になるだとか、騒音で鶏が卵を産まなくなるとか、とにかく各地で色々な理由による鉄道敷設の反対運動も多かった事は知られる話です。

観光客がぞろぞろと加太の街に繰り出せば、折り返しの準備に余念なく。GWという事で、職員の方々も案内や精算に大わらわ。普段は静かな駅なのだろうけど。「めでたいでんしゃ」をフラッグシップに置き、華やかに勢いよくポップに飾り付けられた加太駅舎。電車を降りて、早速自分も街歩きに繰り出して見る事にしましょうか。

加太は、狭い路地に黒い瓦屋根と焦げ茶色の板塀の旧家が立ち並ぶ、いかにも昔ながらの漁師町。和歌山県の最北部・紀伊水道に面するこの街は、紀伊水道を挟んで本州と淡路島の距離が一番近い事から、海運と漁業を中心に発展して来ました。漁村、というには立派な作りの商家が多いのは、廻船業や漁業で富を成した家が多かったからなのか・・・天気がいいせいもありますが、明るく豊かな街並みという雰囲気があります。

お寺の大伽藍、旧家の壁の琺瑯看板。まあね、最近はこういった街の景観についてもレトロ的なものを集客の柱に立てて観光誘致をする地区も多いので、どこまでが真でどこまでが虚かなかなか見極めにくいところもあったりしますが・・・人通りの少ない裏路地を燦々と照らす日の光に目を細めながら、そぞろ歩きを楽しむ。

加太の港。かつては淡路島までの航路もありましたが、今は定期の旅客船は沖合に浮かぶ友ヶ島までの観光航路(友ヶ島汽船)が残るのみ。友ヶ島は加太の沖合・淡路島との間に浮かぶ無人島で、明治時代に大日本帝国陸軍により大阪湾の守備陣地として置かれた砲台跡などが残っているのだとか。釣りやキャンプ、海水浴の好適地という事ですが、東京湾で言うところの猿島的な位置付けなのかな。去年の秋に松山に行った際、瀬戸内海の沖合に浮かぶ興居島まで船で渡ったのを思い出したのだけど、今日はちょっとそこまで渡っている時間はなさげ。

美しい森に包まれ、加太の海を眺める総鎮守・淡島神社。紅い社殿が美しい。全国に「淡島神社」と呼ばれる神社はかなりの数がありますけれども、この紀州加太の淡島神社が総本山なのだそうです。氷川神社とか琴平神社とかも、総本山からの「勧請(かんじょう)」という形で全国に広がってますけど、「勧請」の言葉の意味を調べると、「本社に祀られている神の分霊を迎え、新しく設けた分祀の社殿に迎え入れて祀ること」とあります。いわゆる神社仏閣にも「のれん分け」的なフランチャイズのシステムが太古の昔からあるのですよね。「少彦名命(すくなひこなのみこと)」を祀る淡島神社は、女性の病気回復や安産・子授けなどの願いにご利益があるのだそうで、神殿の周りを囲むように全国から持ち込まれた人形供養の神社としても有名。

時間はお昼時。せっかく漁港のある街まで来たのだから、港の近くにある食堂みたいなので魚料理でも・・・と思ったのだけど、さすがにそこはGW。めぼしい店はどこもクルマで一杯人で一杯。加太観光、鉄道利用よりもクルマで来る人間の方が圧倒的に多いようだ。大阪・京都方面のナンバーが目立ったが、その辺りから日帰りドライブで来るにはちょうどいい距離感なのだろうな。京都から加太なんか遠いだろうと思うのだけど、最近は京奈和道という無料高規格道路が宇治から奈良・五條・橋本を通って和歌山まで伸びて来ている。あまりクルマで関西まで来ることはないのだが、中京・関西圏は首都圏に比べてあっという間に高規格道路が出来てしまうよね。

昼メシは後回しにして、加太の路地裏を潮風に吹かれつつ野良猫の様にブラブラと。
味のある書き文字の海の家、夏場ならやってるんだろうか。

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磯ノ浦 寄する波音 鉄の音。

2022年05月11日 17時00分00秒 | 南海電鉄

(支線の駅@八幡前駅)

コンパクトな平屋建ての駅舎に、必要最低限な駅の設備が収まりよくまとまっている。いかにも「支線の駅」と言った面持ちの八幡前駅にフラリと降りてみる。「八幡」というのはこの駅の北にある「木本八幡宮」の事らしい。近ければ次の電車までの待ち時間にササッとお参りしても良かったんだけど、駅からは1.5km程度離れているようだ。「前」というほど近くはないのだな。本殿が和歌山県の重要文化財に指定されているそうです。

加太線の沿線は、比較的古くからの住宅街という感じ。どこも駅前は狭く、小さな商店がぽつぽつと見受けられるだけで、商店街が形成されていたりする余地は残っていない。この日はGWでしたので、加太へ向かう観光客が大勢乗車していましたが、普段は和歌山市北部から和歌山市街への通勤通学路線なのでしょう。加太へ向かう親子連れを横目に、めでたいでんしゃ「かしら」。

磯ノ浦駅。磯ノ浦は古くから知られた和歌山の景勝地。下り線だけが拡幅されたホームに、今は使われていなさそうな鉄柵の臨時改札。紀ノ川の流れによって運ばれた砂によって作られた浜辺は、かつては「二里ヶ浜」と呼ばれていたほどの長く続く白砂青松の砂浜でした。その名は今でも加太線の駅名としても残っています。磯ノ浦駅も、夏の繁忙期は多客対応でてんてこまいになったのでしょうね。

終点加太で折り返して来る「かしら」を撮影し、小さな駅を降りると、徒歩2~3分で海に出る事が出来る。さすがにまだ海に来るような人は少ない時期だが、サーフィンをしている人は目立つ磯ノ浦の海岸。二里ヶ浜、と言われたからには、かつては二里(8km)程度の砂浜が続いていたのだろうと思われるのだけど、1940年に紀ノ川の河口部の土地を一括接収して建設された住友金属工業和歌山製鉄所の戦後の規模拡大によって、二里ヶ浜は東側からどんどんと製鉄工場に姿を変えて行きます。高度経済成長の波に乗り、ついに工場の敷地は磯ノ浦に迫りました。しかし、激しくなるばい煙や粉じん公害と併せ、美しい海と浜辺を守れという地元住民の猛烈な反対運動によって、最終的にはこの砂浜だけは埋め立てられることなく今に至っています。

少し風は冷たいながらも、朝の曇天からは見違えるような素晴らしい晴天に恵まれる。紀伊水道の向こう右手にゆったりと続く陸地は淡路島か。そして、その横にぽつんと小さく見える島は、淡路島の南に位置する沼島(ぬしま)か。土地の買収、漁業権の買い取り、工場での漁業権を失った漁師の雇用と生活保証。昭和の時代に全国で見られた沿岸部の工業開発のメソッドは、第一次産業従事者への金銭による国策への隷属でした・・・なんて言ってしまうと、その産業の近代化による果実を享受している現代社会の否定になってしまうのだけど、そこを大きく通り過ぎて日本の工業が競争力を失ってしまったこの令和の時代。「昔徳川・今住金の城下町」と謡われた和歌山工場も、工場の高炉停止による規模縮小が進められているそうで、栄枯盛衰を感じてしまうのであります。

新緑のレールを踏んでやって来た「かい」に乗って。座席では、海の生き物が気持ちよく泳ぐ。
昭和の時代にギリギリで残された、二里ヶ浜の形見のような浜辺を眺めながら、加太へ。

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めでたきに 色とりどりの 帆を上げて。

2022年05月09日 17時00分00秒 | 南海電鉄

(これで運気も鯛アップ@南海加太線・めでたいでんしゃ)

一昔前ならば、GWともなると「スルっとKANSAI・2dayチケット」と言われる関西圏の民鉄ほぼ乗り放題になる魔法の杖のようなフリーパスで色んな会社を乗り倒していたもんですが、何でか知らんけど何年か前に海外からのインバウンド旅行者向け以外は発売を廃止してしまいましてね。最近はあまり関西私鉄の乗り鉄に来ておりませんでした。今回和歌山に行く事が決まってから色々と付け焼刃で調べたのでアレなんですが、ひとまず南海加太線が「加太さかな線おさんぽきっぷ」という比較的手ごろな感じのフリーパスを出していたのでそれに乗っかる事に。

和歌山市駅に入線する加太線の電車。数日前までは「和歌山に行く」という事を想定していなかったので、加太線に乗りに来るなんて思いもよらなかったんだけど、まあこれはいつも通り「その地域にある地方私鉄を巡って来る」という基本に立ち返るというか。あ、勿論加太線は現在れっきとした大手私鉄である南海電鉄の路線ですが、その辺りはご容赦いただきたく(笑)。大手私鉄の末端路線≒地方私鉄みたいなもんじゃない?暴論?

改めて南海加太線。紀ノ川駅から南海本線と分かれ、和歌山市北部の住宅街を海岸線に沿って進み、磯ノ浦から小さなサミットを一つ越えて終点の加太に至る全長9.4kmの路線。列車は全て紀ノ川駅から本線に乗り入れ、和歌山市~加太間の通し運転を行っております。全線単線。トンネルはナシ。途中の西ノ庄駅以外はすべて列車交換可能。あ、それと紀ノ川~東松江間に信号所(梶取信号所)があって、ここでも交換を行えるようです。加太は万葉の時代から和歌に詠まれる景勝地で、最盛期には1万人に迫る人口を誇りましたが、今は人口3千人弱の静かな港町です。

全線をそのまま乗って行けば僅か20分と少々で終点に到着してしまう短い路線。折角のフリーきっぷでもあり、見どころも何も知らないけれど、紀州の西端を走る大手私鉄の末端支線を味わってみる事にする。紀ノ川駅から分岐して最初の停車駅・東松江。モルタルの古い駅舎と構内を結ぶ通路は住民たちの生活の道になっていて、待合室の中を我が物顔で自転車が通って行く。緩く風の吹き抜ける旧駅舎の待合室では、「めでたいでんしゃ」の幟がはためいていた。

「めでたいでんしゃ」とは、南海本社の加太線に対するテコ入れ策として開始されたプロジェクトの一環の観光列車。7100系ワンマン2連をリフォームしたもので、「さち(桃)かい(青)なな(赤)かしら(黒)」の4編成を加太線に順次投入。南海では高野線の「天空」に次ぐ既存車両のリフォームによる観光列車ですが、普段はいつもの南海カラーの電車が行き来しているだけだった加太線に、突然こんな華やかなカラーリングの電車が投入されたインパクトは結構デカいんじゃないかな。勿論GWだからって事もありますけど、車内もなかなかの混雑でしたのでね。デザインワークなんかも、ちょっと人を食ったようなファニーな感覚があって洒落ている。


この日の午前中は、「かしら」と「かい」の2編成が運用に就いていました。
青空と競うように輝くスカイブルー。加太観光の新しいイメージリーダーです。

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