tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

豊臣秀長ゆかりの郡山城/毎日新聞「かるたで知るなら」第43回

2022年03月17日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は同会が制作した「奈良まほろばかるた」の各札を題材に毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載している。先週(2022.3.10)掲載されたのは〈往時は5層 天守閣/郡山城跡(大和郡山市)〉、執筆されたのは、奈良まほろばソムリエの会の前理事長で現在は顧問の鈴木浩(ゆたか)さんだった。

今回の札は新聞連載のため、絵本画家のなかじまゆたかさんに描き下ろしていただいたものだ。連載は約50回、50音表で「を」と「ん」を除くと44文字となり、札が足りなくなるのだ。なかじまさんは豊臣秀長像にお城のイラスト、最近完成したばかりの「極楽橋」まで描いてくださり、とても楽しい絵札になった。では、全文を紹介する。

〈豊臣秀長ゆかりの郡山城〉
西ノ京丘陵の南端の郡山城は、天守台のある本丸を中心に内堀、中堀、外堀に囲まれた総構えの構造を持つ平山城(ひらやまじろ)です。天守台は犬が伏せたように見えるので、「犬伏城(いぬぶせじょう)」とも呼ばれています。大和を統一した筒井順慶は1580(天正8)年に筒井城から郡山へ移り、築城を始めました。

順慶が没すると、1585年、豊臣秀吉の弟秀長が入城し、大和、和泉、紀伊国の百万石の大名にふさわしい城郭に整備します。追手門は紀州根来寺(ねごろじ)の大門を移築、石垣に石仏、墓石、礎石など転用石を用い、本丸、毘沙門郭(びしゃもんかく)を築造しました。大和大納言と称された秀長は、紺屋町、綿町、材木町など「箱本(はこもと)十三町」が自治運営する「箱本制度」を創設。城下町の振興に力をそそぎます。

その後、増田(ました)長盛が外堀を造成。関ケ原の戦の後、廃城となりますが、江戸時代に水野、松平、本多氏が城主に入った後、柳沢氏の治世が明治維新まで続きました。明治初期に多くの建物が取り壊されましたが、1980年に築城400年を記念して追手門が復元されました。豊臣秀長の家紋「五三桐紋(ごさんのきりもん)」が掲げられています。

2014年、天守台の発掘調査で、天守閣は5層の高層建築だったと推定。天守台からは大阪城と同じ金箔(きんぱく)瓦や軒丸瓦も発見され、本格的な築城は秀長時代に始まったことが裏付けられました。復元整備された天守台からは秀長が見た奈良の原風景を展望できます。恒例のお城まつりには、ぜひ登城して秀長の時代をしのんでいただきたいです。(奈良まほろばソムリエの会顧問 鈴木浩)

【郡山城跡】
(住 所)大和郡山市城内町
(交 通)近鉄郡山駅から徒歩約10分
(見 学)無料。3月24日~4月7日のお城まつりは規模縮小(行列、出店など無し。HP参照)
(駐車場)無料
(電 話)0743・53・1151


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能楽の始まり大和猿楽四座(よざ)/毎日新聞「かるたで知るなら」第42回

2022年03月07日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は同会が制作した「奈良まほろばかるた」の各札を題材に毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載している。先週(2022.3.3)掲載されたのは〈「発祥之地」に石碑建立/面塚(川西町)〉、執筆されたのは奈良市在住で同会理事の久門たつおさんだった。

大和猿楽四座は室町時代初期に成立し、それが現代にまで受け継がれ、2008年(平成20年)には能楽がユネスコの世界無形文化遺産に登録された。まさに「はじまりはいつも奈良」だ。では、記事全文を紹介する。

〈能楽の始まり大和猿楽四座〉
猿楽(さるがく)は、奈良時代に中国から伝わった滑稽(こっけい)な寸劇や曲芸などを行う散楽(さんがく)と、日本古来の土着の芸が一体化し、平安時代に生まれたとされます。

室町時代初期に大和では、現在の田原本町に円満井(えんまい)座、川西町に結崎(ゆうざき)座、桜井市に外山(とび)座、斑鳩町に坂戸座が猿楽を演じました。

大和猿楽四座と呼ばれ、興福寺、春日大社や妙楽寺(現・談山(たんざん)神社)、法隆寺など有力社寺に所属し、法会(ほうえ)や祭礼で芸を披露しました。そこに登場したのが結崎座の観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)の父子です。

観阿弥は猿楽に音曲と物語性を加え、世阿弥は物語性を深化させ、亡霊らが主人公になる「夢幻能」を考案、能を確立したとされます。

座は大和以外にもありましたが、豊臣秀吉や徳川家康が大和の座を厚遇。江戸幕府は行事で能を重用しました。結崎座は観世流、外山座は宝生(ほうしょう)流として江戸に本拠を移し、坂戸座は金剛流として京を拠点とし、円満井座は金春(こんぱる)流として大和を本拠としました。

この4流に江戸時代創設の喜多流を含めた5流は、能と狂言を合わせた能楽の世界を支えてきました。2008年、能楽は世界無形文化遺産に登録されました。

川西町結崎に「室町時代のある日、寺川のほとりに空中から一個の翁(おきな)の面と一束の葱(ねぎ)が落ちてきた」との伝説があります。面は埋納されて面塚と呼ばれ、葱は結崎ネブカとして知られます。

観世流関係者が1936(昭和11)年、「面塚」と「観世発祥之地」の石碑を寺川沿いに建立し、戦後の河川改修で現在地に移されました。(奈良まほろばソムリエの会理事 久門たつお)

【面塚と観世流の石碑】
(住 所)川西町結崎1904の2
(交 通)近鉄結崎駅から徒歩約15分
(金春流の石碑)興福寺西金堂跡(奈良市)
(宝生流の石碑)宗像(むなかた)神社境内(桜井市)
(金剛流の石碑)龍田神社境内(斑鳩町)


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二月堂 春を告げるお水取り/毎日新聞「かるたで知るなら」第41回

2022年02月22日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は同会が制作した「奈良まほろばかるた」を題材に毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載している。先週(2022.2.17)掲載されたのは〈回廊照らすお松明/東大寺二月堂(奈良市)〉、執筆されたのは同会会員の石田一雄さんだった。

石田さんは県下の伝統行事について、ソムリエの会では最も詳しい人である。今年の東大寺二月堂のお水取りは、残念ながら昨年に続きコロナ禍のなか、さまざまな制約を受けて営まれる。詳しくは東大寺の公式HPでご確認いただきたい。では記事全文を紹介する。

〈二月堂 春を告げるお水取り〉
東大寺二月堂の「修二会(しゅにえ)」は「お水取り」「お松明(たいまつ)」の名でも知られる行事ですが、正式名称は「十一面悔過(けか)法要」です。

これは私たちが日常知らず知らずのうちに犯しているさまざまな過ちを二月堂の本尊である十一面観世音菩薩(ぼさつ)の前で懺悔(さんげ)することです。その上で天下泰安、五穀豊穣(ほうじょう)など人々の幸福を願います。

奈良時代の752(天平勝宝4)年から、「不退(ふたい)の行法(ぎょうぼう)」として1270年もの間一度も絶えることなく毎年続けられてきました。大伽藍(だいがらん)の大半が焼失した時ですら、また江戸時代に本堂が火災で焼失した時ですら、途切れませんでした。

私たちに代わってその行法を行うのは11名の練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる僧侶の方々です。本行は3月1日から14日までの2週間、精進潔斎(しょうじんけっさい)の上、毎日6回の行法を続けます。

初夜の行法時に堂下の参籠所(さんろうしょ)から本堂に上る練行衆の道明かりとなるのが「お松明」です。回廊で打ち振られる、美しく見事なお松明の後、堂内では練行衆によりさまざまな行法が深夜まで続けられます。

3月12日深夜(13日の午前1時半ごろ)に、堂下の「若狭井(わかさい)」という井戸から観音様にお供えする「お香水(こうずい)」を汲(く)み上げる儀式が行われます。これが「お水取り」です。

今年も新型コロナ禍の影響で残念ながら「お松明」などの拝観についてさまざまな制約が設けられています(詳細は東大寺ホームページを参照)。皆さんも練行衆と心を一つにして、懺悔し新型コロナ禍の終息や人々の幸福を願ってみてはいかがでしょうか。(奈良まほろばソムリエの会会員 石田一雄)

【東大寺二月堂】
(住 所)奈良市雑司町406の1
(交 通)JR・近鉄奈良駅から市内循環バス「東大寺大仏殿・春日大社前」下車、徒歩約10分
(拝 観)無料。3月1~14日は人数制限、12日は禁止
(駐車場)無
(寺務所)0742・22・5511


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冷気にさらして作る三輪そうめん/毎日新聞「かるたで知るなら」第40回

2022年02月17日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は同会が制作した「奈良まほろばかるた」の各札を題材に毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載している。

先週(2022.2.10)掲載されたのは〈熟練の技 冬の風物詩/大神(おおみわ)神社(桜井市)〉、執筆されたのは同会会員の藤井哲子さんだった。藤井さんは画家であり音楽家、まさにマルチタレントである。以下に記事全文を紹介する。

〈冷気に晒して作る三輪そうめん〉
酷暑の頃、涼感を呼ぶそうめんが作られる季節は冬。極寒の未明から作業は始まります。小麦粉を塩水で練って生地を作ります。水加減や塩の量を、気温や湿度の変化を見ながら微調整する作業は、現代においても人による熟練の技が求められます。

麺生地は、伸ばすたびに植物油をつけて付着を防ぎ、徐々に細い棒状にしていきます。直径1㍉ほどになるまで、包丁を入れることなく、伸ばされた手延べそうめん。冷気で麺を乾燥させる光景は冬の風物詩です。

そうめん作りは1200年余り前、大神神社の御祭神の子孫が神様から啓示を受け、飢饉(ききん)と疫病に苦しむ民を救うために小麦を栽培し、それを水車の石臼でひいて、湧き水でこねて伸ばしたのが始まりとされています。

江戸時代の「日本山海名物図会」には「大和三輪素麺、名物なり、細きこと糸のごとく白きこと雪のごとし。ゆでてふとらず、全国より出づるそうめんの及ぶ所にあらず」と日本一との名声が記されています。

毎年2月5日、その年の三輪そうめんの相場を占うト定祭(ぼくじょうさい)が大神神社で執り行われ、その結果で卸値が決まり、全国の取引の参考にされます。

このように、大神神社と深く関わる歴史が、三輪そうめんの商標の象徴的な三ツ鳥居のデザインに投影されています。古くから神様への供え物として特別な存在でしたが、時代と共に身近な食材となりました。茹(ゆ)で時間の短さ、アレンジのしやすさ、保存ができることも大きな魅力になっています。(奈良まほろばソムリエの会会員 藤井哲子)

【大神神社】
(住所)桜井市三輪1422
(交通)JR三輪駅から徒歩約5分
(拝観)境内自由
(ト定祭)今月5日はコロナ禍で三輪素麺掛唄保存会の唄の奉納は中止。
(駐車場)無料
(電話)0744・42・6633


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世界最古の木造建築 法隆寺/毎日新聞「かるたで知るなら」第39回

2022年02月08日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は同会が制作した「奈良まほろばかるた」の各札を題材に毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載している。

先週(2022.2.3)掲載されたのは〈貴重な現存古代寺院/法隆寺(斑鳩町)〉、執筆されたのは奈良まほろばソムリエの会会員で画家の佳山隆生さんだった。佳山さんは「奈良の画家 佳山隆生」というサイトも運営されている。では、記事全文を紹介する。

〈世界最古の木造建築 法隆寺〉
2021年は聖徳太子の1400年忌の節目の年となり、太子建立の法隆寺では、遠忌(おんき)法要が厳かに行われました。法隆寺の西院伽藍(さいいんがらん)には金堂や五重塔など世界最古の木造建築物群が現存し、1993年に日本で初めて「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産に登録されました。

仏教は中国大陸・朝鮮半島から伝わりましたが、大陸では度重なる戦乱や天災で当時の建造物は失われており、法隆寺こそが、東アジアの古代木造寺院の姿を今に伝える貴重な存在なのです。その中でも、ひときわ古い建物が世界最古の木造建築とされる国宝・金堂。その威厳ある風格と堂々たる姿には、随所に飛鳥時代の建築様式を見ることができます。

深い軒を支える雲のような形をした雲斗(くもと)や雲肘木(くもひじき)と呼ばれる組物(くみもの)が特徴ですが、それだけでは支えきれず、二重目の屋根の四隅に支柱がたてられ、後に龍の彫刻が取り付けられました。

また、寺のシンボルとなる五重塔は日本最古の塔です。塔は上層になるほど塔身の幅が細くなりますが、法隆寺の場合は、五層の幅が初層(しょそう)のちょうど半分になっているため、その安定感と優美な姿に、他の塔にはない魅力を感じます。

高さは約31㍍。地震が多い日本で1300年以上も倒壊していません。塔の中心を貫く心柱(しんばしら)が建物から独立して他の骨組みと直接つながっておらず、制振装置として揺れを吸収することが耐震性の秘密の一つです。このように、法隆寺の伽藍には、先人の知恵が集積しているのです。(奈良まほろばソムリエの会会員 佳山隆生)

【法隆寺】
(住所)斑鳩町法隆寺山内1-1
(交通)JR法隆寺駅から徒歩約20分、またはバス「法隆寺参道」下車すぐ
(拝観)8〜17時(11月4日~2月21日は16時半まで)、一般1500円
(駐車場)周辺に民営あり
(電話)0745・75・2555


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