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五重の大塔跡が残る華厳宗元興寺/毎日新聞「やまと百寺参り」第47回

2020年04月01日 | やまと百寺参り(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまと百寺参り」を連載している。本年(2020年)3月26日付で掲載されたのは「往時の栄華語る塔跡/元興寺=華厳宗(奈良市)」、執筆されたのは奈良市在住の池川愼一さん。池川さんは「奈良歴史漫歩」というブログを書かれている。
※トップ写真のキャプションは、「元興寺の塔跡は奈良町のサクラの名所=奈良市芝新屋町で」

元興寺は、「元興寺極楽院」(真言律宗元興寺)と「元興寺塔跡」(華厳宗元興寺)の2つに分かれる(より正確には「元興寺小塔院」を入れて3つ)。今回登場するのは「元興寺塔跡」の方である。奈良国立博物館に寄託されている木造薬師如来立像(国宝・平安時代)と木造十一面観音立像(重文・鎌倉時代)は、ともに「元興寺塔跡」の仏像である。では全文を紹介する。

わが国最古の寺院とされる飛鳥の法興寺(飛鳥寺)は、平城遷都とともに新しい都に移り元興寺と寺名を変えました。現在の奈良町の中心部にあたる広大な寺域に七堂伽藍(がらん)がそびえました。なかでも大塔(だいとう)と呼ばれる五重塔は回廊で囲まれ、僧坊も付属する東塔院として寺の一画を占めました。

中世になり国家の保護を受けられなくなると寺勢は次第に衰えますが、東塔院観音堂に安置された丈六観音像は民衆の信仰を集めます。京から長谷寺へ観音詣でする巡礼者が、その前に参拝したという記録が残ります。『大和名所図会』にも五重塔が描かれる奈良の名所として知られました。

しかし1859(安政6)年、民家の火事が燃え移り、五重塔も観音像も焼失しました。塔跡は国史跡に指定され、三間四方の礎石がほぼそのままの形で残ります。心礎の下から鎮壇具(ちんだんぐ)と見られる勾玉(まがたま)、水晶玉などが出土し、重文になっています。所蔵の木造薬師如来立像(国宝)は平安時代初期を代表する仏像であり、木造十一面観音立像(重文、鎌倉時代)と共に奈良国立博物館に寄託されています。(奈良まほろばソムリエの会会員 池川愼一) 

(宗 派)華厳宗
(住 所)奈良市芝新屋町12
(電 話)0742・22・5218
(交 通)近鉄奈良駅から徒歩約15分、またはバス「福智院」下車、徒歩約5分。JR奈良駅からバス「田中町」下車、徒歩約10分
(拝 観)8時~17時 無料
(駐車場)無


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