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璉珹寺(れんじょうじ)のご本尊は聖観音菩薩像だった!/毎日新聞「やまと百寺参り」第51回

2020年04月25日 | やまと百寺参り(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)の刊行を記念して毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまと百寺参り」を連載している。先日(4/23)掲載されたのは「紀寺跡に伝わる三尊像/璉珹寺(奈良市)」執筆されたのは、大阪市出身・奈良市在住で、小倉涼眞の法名を持つ小倉つき子さんだった。
※トップ写真は、三尊像のうち脇侍の聖観音菩薩像、しかしこの像が本来の本尊だったという

小倉さんは今、奈良県内(主に東部)廃寺の仏像の行方を調査されており、近々、これを1冊の本にまとめて刊行される予定である。さすがに目のつけ所が違う。今回の記事も、「本来のご本尊は、脇侍の聖観音菩薩像だった」というご住職の話を紹介されていて、これは初耳だった。では全文を紹介する。


今のご本尊・裸形阿弥陀如来像

七世紀後半、飛鳥の地に創建され、平城遷都とともに奈良の地に移ってきた紀寺(きでら)の一院と伝わる璉珹(れんじょう)寺。縁起では、都が京都に遷(うつ)り、寺が衰退した平安時代に紀有常(きのありつね)が再興したと伝えられています。

盛衰を経ながらも、阿弥陀如来像を本尊に、聖観音・勢至(せいし)両菩薩(ぼさつ)像を脇侍(きょうじ)とする優れた造形の三尊像が伝えられています。中尊の阿弥陀如来像は鎌倉時代作の裸形像で、50年に一度袴が取り替えられます。秘仏ですが、毎年5月のひと月間だけ開扉され、多くのファンが参拝されます。

下間景甫(しもつまけいほ)住職の説明では「璉珹寺本来の本尊は、三尊像に向かって右に祀られている聖観音菩薩像でした」とのことです。制作は平安時代初めと推定されています。像高105㌢、頭部と胴体は針葉樹の一木造り。顔は写実的で引き締まった表情ですが、胸や腹部の肉付きが豊かで、細い胴を左に少しひねっています。

左の勢至菩薩像は聖観音菩薩像の模刻で、制作年代は不明ですが、両像とも国の重要文化財に指定されています。女人の如く美しいプロポーションの三体の像に魅了される古刹(こさつ)です。(奈良まほろばソムリエの会会員 小倉つき子)

(宗 派)浄土真宗遣迎院派
(住 所)奈良市西紀寺町45
(電 話)0742・22・4887
(交 通)JR・近鉄奈良駅からバス、「田中町」または「紀寺町」下車すぐ
(拝 観)9時~16時、500円(本尊拝観は5月のみ)
(駐車場)2、3台(無料)


残念ながら新型コロナ騒動で、今年5月の特別公開は中止となった。またの機会をお楽しみに。

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