tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

2020年 桜回顧(1)辯天宗 宗祖御廟(五條市野原東)

2020年04月23日 | 写真
さくらさくら さくら咲き初(そ)め咲き終わり なにもなかったような公園
俵万智『サラダ記念日』

今年もヤエザクラなどを除いて、桜の季節が終わった。今年ほど桜の美しさが心に染みた年はなかった。1つは新型コロナ禍のせいだが、私には別の理由があった。昨年秋の彼岸に母を亡くし、またこの3月には会社で1歳年上の友人だったMさんを突然死のような格好で亡くしたのである。母は私が撮った昨年の桜の写真を喜んで見てくれたし、Mさんは毎年のように、大阪城公園で花見をされていたと知った。







「花見は自粛を」とのお達しがあり、今年は吉野山はおろか大阪城公園に行くのも憚(はばか)られたが、人出の少ないオープンスペースを選び、急ぎ足で桜の写真をカメラに収めた。そのいくつかを紹介したい。







初回の今日は五條市野原東の「辯天宗(べんてんしゅう) 宗祖御廟(しゅうそごびょう)」の桜である。智辯学園中学・高校の南にある。以前から桜の名所と聞いていたが、訪れるのは今年(2020.4.8)が初めてだった。五條市の真土峠を訪ねることになっていたので、その日の朝にお参りした。





午前9時に到着したときは、掃除のおじさんのほかは誰もいなかったが、時間が経つと、ぽつぽつと花見客が増えてきた。それでも5~6人だった。とてもお天気が良かったのに、もったいないことだと思いながら、ひたすらシャッターを切った。





まず目に飛び込んできたのはソメイヨシノ。この桜は《オオシマザクラとエドヒガンの雑種で、明治初年に東京・染井(現在の豊島区巣鴨付近)の植木屋から売り出されたサクラである。初めはヨシノザクラとよんでいたが、奈良県吉野山のヤマザクラと混同されやすいので、藤野寄命(帝室博物館員)によりソメイヨシノと名づけられた》(日本大百科全書)。




こちらの手前はシダレザクラ

今「郡山城の桜はいつ植えられたか」という議論が巻き起こっているが、ほとんどがソメイヨシノなので、明治以降に植えられたということになるだろう。そもそも戦の砦である城に桜は似つかわしくないので、江戸時代にまで遡ることはなさそうである。







次はヤマザクラ。《東北地方の一部および北海道を除く日本の山地に広く分布するサクラ(中略)シロヤマザクラともいう。落葉高木で、樹皮は横に裂ける。葉は長だ円形で上面にのみ散毛があり、長さ8~12cm、幅3~5cmで、鋭い鋸歯がある。花は中輪で白色に近い。むかしから有名な奈良の吉野山・京都の嵐山・東京の小金井のサクラは大部分が本種である》(旺文社生物事典)。





上品な白い花びらと、花と葉が同時に芽を出すのが特徴である。青い葉が白い花を引き立て、良い雰囲気をかもし出している。最後はあでやかなヤエザクラ。《サトザクラの八重咲き品種の通称で、ボタンザクラともいう。4月中旬から下旬に大形の美しい花を開くものが多い》(日本大百科全書)。



奈良公園や、天理市の親里ホッケー場の周辺でもよく見かける。この日はベビーカーに赤ちゃんを乗せた若いママが、赤ちゃんと2人でヤエザクラの花見を楽しんでいた。





こうして写真を並べていると、あの日は汗ばむような暑い日だっことや、少し高台にあるので涼しい風が心地良かったことを今、思い出している。この連載は断続的にあと2回ほどさせていただく、お楽しみに!
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